9.3 「船ごと沈めても殺せるとは思えないが」

 サン=オルギヌアの沖合――。

 海賊船は三隻。そのうち一隻が急速に海域を離れようとしていた。残る二隻がそれに続く。

 ディオニス率いる軍用船は大型一隻、中型二隻。それと沿岸警備の二隻。

 海賊船を包囲したつもりだったようだが、いとも簡単に包囲を破られた。

 海賊の操船技術が海軍を僅かに上回っていたこともあるが、海軍が背後から同士討ちを受けたことが大きい。

 港に停泊していた中型軍用船をザリアの民が奪い、ディオニスの中型船を後ろから次々襲ったのだ。

 大洋を目指す海賊船三隻を先頭に、それを追うディオニスの三隻、そして更にそれを追うザリアの船だ。

 ディオニス達は、逃げ続ける海賊を追うていで、事実上ザリアに敗走を続ける形になった。


「やはり急ごしらえの海軍じゃ、オーシュ率いる海賊には歯が立たんな」

「漁師にも敵いませんね。いえ、士気が上がらんのでしょうか」


 海賊もよく海軍とやり合って逃走に成功したが、港を襲撃した漁師――つまりザリアの民らは更に見事だった。

 甲板を奪って停泊中の軍用船を掌握した連中は、騒ぎに便乗したギルドの冒険者もいるが、多くはザリアの同胞である。

 将校は船に強いザリア人でも、帝国の乗組員は船に慣れていない。


「帝国人だ!」

「帝国人を倒せ!」

「ザリアの海から出て行け!」


 奪った軍用船を思い切り横からぶつける。

 狭間の波が高くしぶきを上げ、喫水の深い軍用船が大きく傾く。

 転ぶのがモートガルド帝国人で転ばないのがザリア人だ。

 甲板の上を滑ってゆくのが帝国人で、滑らないのがザリア人だ。

 船から船へ飛べるのが海賊だ。

 主砲甲板に逃げ込むのが帝国人だ。

 軍用船の脇腹に空いた砲撃窓から、主砲が吠えた。


「おい! 奴ら撃ちやがったぞ!」

「どんな教育をしてるんだ海軍め!」


 傾いた船から飛び出した砲弾は、大きく海域をはみ出して市街地に着弾した。

 港町がパニックになる様子が、船からも見えた。


「まぁ、さすがザリアだ。一時間で海軍を掌握、帝国人は全員海にてられるだろう」

「俺達はオーシュを追うぞ。海賊に逃げられちまったらミラと勇者を失う」


 ブリッジ二階から戦況を見ていたジャックとノートンは、ザリア人将校に命じて三隻の海賊船を追った。

 これは奪った軍用船の一隻。ジャックらと漁師数名で乗っ取ったが、船にいたザリア人将校は航海士役を買って出た。

 腕前も相当だ。

 猛然とスピードを上げる。

 海賊船は沖合十九キロ地点で煙を上げつつ、尚も西へ逃走中だ。


「奴ら、火魔術を使ってるぞ!」

「海賊は木造船だ。こいつはまずいな」


 こうなると消火に水魔術を使うことになり、推進力に回せる魔力が減る。

 追跡するのはディオニス皇帝の乗る大型船と、中型二隻。

 数的にはイーブンで海賊船のほうが機動力はあるが、いかんせん可燃物である。


「なんとか回り込んで加勢する」

「加勢? それからどうする。優先順位を付けろ」

「第一にミラの救出。第二に皇帝の確保。生死は問わん。第三に勇者の暗殺だ」


 ノートンは苦々しく、「ダメだ」と言った。


「駄目だ。皇帝の確保を最優先にしたまえ」

「さっき話した筈だぞ! ミラは勇者の指導者の情報を得ているんだ!」


 それだが、とノートンは船内のザリア人の顔を見渡し、最後にノヴェルの顔を見た。


「……我々は、多くのザリア人の助力を得た。彼らの未来に、もう無関係ではないんだ。そうだな、ノヴェル君」

「解ったよ! 俺とお前は皇帝を優先する! だがノヴェルだけはミラの捜索に当てる。それでいいな!」

「……」

「三人いるんだぞ! 一人ミラにつけても優先度は高い!」


 良かろう、と官僚はメガネを直した。

 ザリア人船員の手前、小声で訊く。


「だがどうやって勇者を倒す。相手はあのオーシュだ。船ごと沈めても殺せるとは思えないが」

「ヴェナル海事のときは沖合何キロだ」

「二十五キロ」

「五十キロで船に火をつける」

「倍なら泳ぎ切れないと?」

「そこまで楽観はしない。ただそこでなら、奴は南西二十キロ地点のこの島を目指すはずだ。ここが一番近い」


 ジャックは海図を示し、小声で続けた。


「火山島だ。ここで待ち伏せする。疲れ果てた奴を引きずって火山に棄てる。完璧だろ」

「完璧とまでは言い兼ねるが、勝率ゼロでもなさそうだ。まずうまく沖まで誘導する必要があるな」

「……ただまぁ、あんたの言う通り、オーシュについちゃ情報がねえ。あいつを狙うのは、あいつがレアだからだ。まず少しでも情報が欲しい。今回は別に俺達も命を狙われてねえし、殺さなきゃ大勢死ぬって局面でもねえ。従って優先度は低い。深追いするなよ、ノヴェル」


 深追いなんかしたことないぞ――ノヴェルは言いかけてやめた。

 全員耳にこれを付けろと、ジャックはイアーポッドを取り出した。

 ノヴェルはいよいよだなと気合を入れる。

 沖合二十一キロ。

 見渡す限り陸地の見えない洋上だ。

 海流に乗って対地速度は上がり始めていた。

 天気は快晴。風があり、波高は一・五メートル。やや高い。

 三隻の海賊船と、三隻の軍用船に追いつこうとしていた。



***



 ミランダは十三歳になっていた。

 本来なら学堂で、縁ある神々からの神託を得て、契約として魔術を使えるようになる頃だ。

 だが彼女は父のヘイムワース子爵による強権的な介入で、要するに神託の義をボイコットさせられた。

 ミランダは天賦てんぷの才と恵まれた魔力を持ちながら、その行使ができなかったのである。


(ちっ。この頃から魔術が使えりゃあよぉ……)


 長じて彼女は女神たちと契約を果たすが、キャリアの面では他者に大幅に劣る。

 年相応の技巧を凝らせないことは、彼女に大きなコンプレックスを残すことになる。

 そうした事情で、彼女は当時から認識阻害の技術を磨いた。


「盗賊か詐欺師にでもなれっていうの!」

「どうしてそんなことを言うんだ、ミランダ。魔術など何の役にも立たない」

「火だって起こせないじゃない!」

「そんなものは使用人にやらせておけばよいのだ。商人や法律家、働こうと思えばいくらでも仕事は」

「子爵なんかと誰が取引するっていうのよ!」


 官僚試験にも魔術の項目はある。あらゆる公務員に攻撃魔術の才能が重視されるのだ。

 一方、子爵は世襲される。ミランダはその唯一の序列者。

 彼女は貴族になどなりたくなかった。

 なりたくなかったのだ。

 幼い頃、領民は皆彼女に温かった。ご機嫌ようと言われ、挨拶を返すだけでその笑顔は愛らしく、天使のように思われていた。

 今の領内は――殺伐としていた。

 伝染病を恐れ、誰もが他人との接触を避ける。

 引っ越そうにも、ヘイムワース領から来たと知れれば行き場はない。

 外国の医師団が視察に訪れ、ヘイムワース子爵の医術を、呪術だとこき下ろした。

 かつては長寿子爵と持てはやされていたのにだ。

 母は他界していた。

 この二年前だ。隔離された病院で、ひっそりと生涯を終えた。

 医師団は火葬しろと言ったが、父は復活のためだと言い、土葬した。


「復活とは何か、死霊術のことかね」

「そんな汚らわしいものと一緒にするな。転生だ」

「転生とは何かね」

「命は生まれ変わるのだ」

「そんな話は聞いたこともない」

「ここの領民は、皆前世の記憶を持っている」

「馬鹿をいうな。それは病気の症状だ」


 父は益々病的になっていった。

 彼女と喧嘩したときもそうだった。

 いつまでも酒を飲みながらずっとくだを巻いていたのだ。

 思えば、彼の悲しみに一番多く触れていたのはミランダだ。

 ミランダは黙って聞いていた。

 遠くをみるような顔で、頷きもしなければ反論もしない。

 そんな彼女を見て父は、まだ若すぎて意味が通じていないのだと思っていた。


「お前まで魔術など使いたいと、どうしてそんなことを言うのだ。アレはろくなものじゃない。女神など、見た目ばかり小奇麗で人畜無害そうにしやがって、奴らは自分の魔術で人が焼け死のうと、溺れ死のうと、ありがたい微笑みをたたえるばかりで、涙の一つも流したことはないじゃないか。……聞け! ミランダ! おれは泣いたぞ。お前の母さんのために泣いた! あのお方も、おれのために泣いてくださった! 何が魔術だ! 何が魔力だ! あんなものが親から子に受け継がれるなんて、よっぽど呪いじゃないか!」


(言われてみりゃそうって、気持ちもわからねぇじゃあねえがな)


「馬鹿! お父様の馬鹿! そんなの逆恨みよ! 天に唾吐く、愚か者のすることよ!」


(おうおう、言うわ言うわ。こんなこと言ったわ)


「お父様がそんなだから! そんなだから領民も」


(ああ、やめとけ、それは言わないでやれ)


 ミランダは、それ以上は口に出さず、泣きながら部屋を飛び出した。



***



 部屋のドアを出ると、ミランダは十四歳になっていた。

 また、あの森だ。

 死者の眠る共同墓地があり、彼女の手には、半分焼け焦げて千切れたクマのぬいぐるみが握られていた。

 深い霧の立ち込める……いや、これは霧ではない。

 煙だ。

 爆炎が上がって、黒々とした森の木々の影を浮かびあげる。

 そこに、父の影があった。

 リン――鈴――、と手にぶら下げたれいを鳴らしている。


(おい、これは――これはやめろ)


 ミランダは、父に近付いてゆく。


(こんなものをミランダに見せるんじゃねえ!)


 ミラは、ミランダの体を振り向かせる。

 ここへ通じたドアだ。ドアに逃げ込め。

 だが今くぐったばかりのその扉は――燃え広がる炎に包まれ、赤色の無数の指に抱かれるようにして、崩れ落ちた。

 ミラは、この晩何が起きたかを覚えている。

 忘れようにも忘れられない。


「お前も!!」


 父が、吠えるように怒鳴った。


「お前もおれを役立たずと言うのだろう! エゴイストと言うのだろう! 未熟な医術で舞い上がって、領民を殺してきたと!」


 ミランダは震えていた。


「おれがいくら手を掛けても……人間など八十かそこらで死んでしまう……大賢者など百四十年以上も生きたというのに、どうして敵わないんだ……」

「お、お父様……」

「寄るな娘よ! おれは気が付いたんだ! 死霊術だ! あの気障りな異国の医者ども、あいつらはおれにヒントをくれていた!」

「何をしたの」


 明らかであった。

 ペニーの街は、死者で一杯だ。動く死者だ。命を失って尚単純な動きを繰り返す、生ける屍だ。

 それでも訊かずにはおれなかった。


「不治の病! 彼らはもう、死んでいたんだよ! おれの死霊術で転生したのだ! あの方が授けてくださった! 彼らはもう、永遠に生きる!」


 父は、顔の高さまで上げたれいを振り、りんとそのを響かせる。

 死者たちはいずれここにも来るだろう。

 いや、もういるのかも知れない。

 ミランダの足元には、共同墓地。死者などいくらでも眠っている。


「……どうしてこんなことを」

「わからないか! おれは感謝の言葉が聞きたいんだ! 彼らはおれに感謝していたが、死んで言えなかっただけなのだ! 直接聞けば、あの医師団とかいう連中も考えを変える! おれを崇めるだろう!」

「そんなことのために」

「そんなこと? そんなことというのか? この田舎子爵に、領民の尊敬以外に、いったい何が、お前に、何をのこしてやれるというのだ」

「殺されるわ! お父様も、私も! 許されない! 国王か、領民か、勇者に!」


 ――勇者? と、父は首をかしげた。

 そしてにんまりと、狂った笑いを顔に張り付けた。

 背後で燃え上がる炎が、それを網膜に焼き付ける。


「そんな心配はない。あのお方こそが勇者だよ」

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