9.2 「我々は、大海の一滴にはならない」

 ランボルギーニは海賊だった。

 クライスラーひきいる三隻の海賊船団。ランボルギーニはその一角の船長であった。

 最前までの話である。

 サン=オルギヌア港に入ったときはまだ海賊だった。それが夜明け前には、辞めていた。

 それが明け方頃、彼の船の主甲板上で起きた惨事の顛末てんまつである。

 海賊などはっきりとなる瞬間やめる瞬間があるわけではないから、他人から見れば彼はまだ海賊なのだろう。それでも海賊クライスラーを売る決心がついたときから彼は一抜けした気分であった。

 発端はマーリーン回収を皇帝筋から持ち掛けられたときまでさかのぼる。

 皇帝がなぜマーリーンを欲しがっているのかよくわからなったが、「勇者と渡り合うのにるんだろうぜ」という話で納得していた。

 ――抑止力ってやつだ、とは彼自身が言った言葉だった。

 ところが蓋を開けてみれば、実際にポート・フィレムで大暴れしたのはどうやら勇者じゃないか。

 俺っちは、勇者と皇帝が奪い合う世界一恐ろしいモノを運ばされているんだ。

 クライスラーは判ってねぇ。この星を真っ二つにして、大陸を丸ごと地獄の海の底に変えちまうような、そういうレベルの恐ろしさだ。

 それも二束三文で。

 彼が、彼の船でマーリーンの死体を運んだ。

 一分一秒たりとも生きた心地がしなかった。海上とていつ勇者に襲撃されるか判ったものではない。

 ――しかも腐ってやがる。

 二百年前の英雄だっていうからミイラみてえなもんと思っていたが、何のことはねぇ。死にたてほやほや。海風を浴び続けて干物みてえになった半分と、普通に腐ったもう半分。出来の悪いジジイの干物だ。

 どうして開いてから干しやがらねえ、お母ちゃんに何聞いて育った? と、死体を運んできたデカい屍の方は海にてさせた。

 サン=オルギヌアに着いてからすぐには入港できなかった。

 そんなことは日常茶飯事だ。

 港が凍っていたり、船が多すぎたり、入管の虫の居所が悪かったり……入港まで数日待たされるのはザラにある。

 だが今回はやはり違った。ダイムラーに聞いたところでは、サン=オルギヌアには皇帝が来るらしい。実際、港には軍用船が見える。しかもどこかに勇者までいるわけだ。

 ランボルギーニは発狂寸前で、部下に当たり散らしていた。

 そして明け方。

 ランボルギーニは、彼らを取り囲む軍用船から皇帝が乗船してくるのを目の当たりにして、狂ってしまったわけだ。


「マーリーンをここへ連れてまいれ」


 早朝、皇帝は大柄おおへいにそう言った。寝起きで機嫌が悪いんだろう。

 ここへ連れてまいれだって?

 腐ってやがるんだぞ。回収してこいって言われたから俺たちは回収しただけ。生きたまま連れてこいと言われたわけじゃない。

 そこらへん解ってるんですかね皇帝さんよ。

 クライスラーがランボルギーニを見て、「持ってこい」と言った。

 更に、そこに勇者とかいう奴が現れた。

 そいつはいつの間にか主甲板にいた。

 誰だ貴様は、と――酷く怪訝けげんそうに片眉を吊り上げて、皇帝が訊いた。


「七勇者が一人、我が名は高潔のオーシュ。海賊よ、マーリーンをこちらに渡すのだ」

「――なるほどな。うであるか」


 遂に来た。奪い合いだ。

 ランボルギーニの最後の理性が吹き飛んだ。

 クライスラーの頭を切り落とし、それから縛った。

 動き出してマーリーンを奪うかも知れないからだ。


「勇者様よ、皇帝さんよ、ジジイの死体なら船倉においてあるぞ」

「気でも狂ったか。二度は言わぬぞ」

「はぁ? これはビジネスだ。金を多く払ったほうにマーリーンを渡す。船ごとくれてやるよ。俺っちはもうこんなクソ稼業まっぴらだ」

「金ならばもう支払ってある」

「受け取ったのはそこで転がってる間抜け坊主だ。俺っちは見合った報酬を受け取ってねえ」

「……ふっ。よかろう。退職金代わりだ」


 皇帝はそう言った。それ受けてもう片方も言った。


「憐れな海の子よ。金が目的か? 安全な陸の生活か? この高潔のオーシュ、七勇者がその両方を与えてやろう」


 身の安全。地に足の着いた生活。裕福な老後。それを勇者が保障してくれるっていうんだぜ。

 決まりだ、とランボルギーニは言った。


「高潔のオーシュ――勇者様よ、この船をくれてやるぜ。あと、り負けた奴をきっちり殺してくれ」


 元海賊は、真っすぐに雇い主の皇帝を指差した。

 直後、皇帝は空気魔術の爆発を受けて、乗ってきた大型軍用船まで吹き飛んだ。

 こうしてその戦いは始まった。



***



 さすがに朝早い漁師達だ。

 日の出頃にはもう港へ詰めかけようという荒くれどもで通りは一杯になっていた。

 モートガルドの役人も出てきてあちこちで小競り合いが起きてはいるが、役人たちもこのザリア人たちをどうしていいか指揮系統に混乱があるようだ。


「官僚さん、どうだい、演説のひとつもつかい」

「遠慮しておくよ。顔が割れると後々差し障りがある。君こそ好きじゃないのかい」

「俺の方こそ、どっちにも顔が売れてないっていうのが強みなんだぜ。ノヴェル、行くか?」

「オレは無理だよ」


 どうして? と二人同時に訊いてきた。

 どうしてもこうしてもあるか。

 演説を打つ日が来るなんて想像したこともない。


「いや、今焚き付けないでどうするんだよ」

「いい経験になりますよ」

「煽ってやりゃいいんだよ」

「パルマ語でいいです。一応公用語ですし。まずは状況を説明してあげてください」


 なんだよこれ、マジでやれっていうの?


「二階のベランダからなら、役人からも死角です」

「いいか、照れるんじゃねえぞ。俺になったと思ってやれ!」


 ――というわけで。

 まんまと乗せられて、オレはこうして通りをやや上から見下ろしている。

 混乱がある。

 まずは誰かが状況を説明しないといけないんだ。

 エー、オホン。


「静粛に! ザリアの皆さん!」


 一瞬、何人かはこっちを見たが、すぐにまたザワザワし始めた。

 皆、港へ行きたいんだ。


「あー! 手短に済まします! まず今朝起きたことをお知らせします!」


 よっ、いいぞー! 頼む! というのは明らかにジャックとノートンだ。

 何人かがこちらに気付いて、怪訝そうに隣人を呼び止め、こちらを指差す。

 そうして呼び止められた人がまた誰かを呼び止め……。

 驚いた顔。仏頂面。なぜかニヤニヤ笑う顔まであるが――負けちゃいけない。

 彼らを一人でも多く味方につけなくては。


「入港しようとした海賊クライスラーの船三隻が! 今朝、海軍と接触しました!」


 本当かよ、見たのかよといった野次が起きた。

 だが「クライスラーだって?」「俺も見た。確かにクライスラーの船だ」といった声もあちこちで起きる。

 具体的な情報で彼らは関心を持ったのか。

 今やこちらを見上げる人は、十人や二十人じゃない。

 オレの声が届いているかは気にならない。情報が、ざわざわと伝播でんぱしてゆくのが目に見えて判るからだ。


「サイレンが鳴る少し前! ドンという音を聞いた人もいるでしょう! 高潔のオーシュが、皇帝に空気魔術の一撃を繰り出した音です!」


 いいぞ! と、これはジャック。

 聞いたぞ! とノートンが言うと、我も我もと声が上がる。


「勇者はどっちの味方だ!?」


 誰かが訊いた。


「オーシュはクライスラー側につきました! 皇帝に先制したのです!」


 場が静まり返った。

 しまった。滑ってしまった。何か間違えたか。


「――勇者は、ザリアの味方です!」


 そう言い直すと、力強い歓声が起こった。

 拳を振り上げる人もいる。


「船に乗ってください! 舵をとって、帆を上げてください! 海の上でなら、オーシュとザリアが勝ちます!」


 そうだそうだと聴衆が沸き立つ。

 相手は誰だ! と誰かが問う。


「相手は皇帝です!」


 皇帝が何だ! 皇帝は誰だ!

 彼らは、怒っている。長らくの圧政に、旧国と共に抑えつけられた、民族の誇りを賭けて。


「皇帝は! ザリアの滅亡を見て笑う者です!」


 彼らはヒートアップし始めた。

 今や、通りの群衆が皆オレの話を傾注けいちゅうしている。

 なんだこりゃ。

 こっちはまた滑らないように探り探りだっていうのに。


「帝国は! ザリアの民を気にも留めない!」


 そうだ! そうだ!


「我々は! 奴らに抗議するか!?」


 ノー! ノー! ノー! ノー!


「窮状を訴える手紙を書くか!?」


 ノー! ノー! ノー! ノー!


「我々は! 運命に抗うか!?」


 イエス! イエス! イエス! イエス!


「我々は、大海の一滴にはならない!」

「我々は、大海の一滴にはならない!!」


 聴取が返してくる。


「大海の一滴にはならない!」

「イエス! 大海の一滴にはならない!!」


 聴衆のボルテージは最高潮に達した。

 ジャックとノートンが聴衆にもみくちゃにされ、端のほうで小さくなっている。


「この騒乱に従え!!」


 まるで人の波だ。

 聴衆は、声を上げて港へ押し寄せて行く。

 全員が全員とも船に乗るわけじゃないだろうけど、急ごしらえの海軍なんかあっという間に乗っ取ってしまいそうな勢い。

 これが抑圧された旧ザリアの国民だ。


「いやぁ、名演説でしたね」

「ノートンさんまで、茶化さないでよ……心臓が爆発しそうだ」

「それくらいがいいんだって」

「後ろの方で言ってましたよ。勇敢なザリアの少年だって」


 そう思われるのか。そりゃあそうか。

 だって、昨日海の向こうから来たガキが「我々」とか言ってザリアを鼓舞するなんて、普通は思わないだろ。

 ノートンが、何とも言えない眩しそうな表情でオレを見た。今朝がたオレがロビーに降りて行ったときに見せた表情だ。


「あと、シャツがよかった」


 適当に選んだザリア語のシャツだ。

 二人はそれを眩しそうに見ている。


「これ? 読めない。これ何て書いてあるんだ?」

「『アイ・ラブ・ザリア』」

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