Ep.9: 反逆者の蜂起、或いは人工淘汰

9.1 「死んだ人はどこへ行くの?」

 海賊船上で起きた事件で、戦争を止める手段はもう無くなったかと思った。


「でもまぁ、海賊と皇帝がドンパチするぶんには、皇女様は安泰なんじゃないのか?」


 オレがそう言うと、ジャックもノートンも首を横に振った。


「皇帝がここで死ねばそうだが、その目は薄そうだ。海賊がここでやられちまえばその後はもう判らねえ。皇帝のやりたい放題だ」


 そうか。皇帝ディオニスがブチ切れてここで海賊を潰してしまえば、あとは死人に口なし、何でも難癖のつけ放題だ。

 皇女様の予想じゃ、皇帝がパルマの海賊を使って民王派をけしかけるというシナリオだった。でもこれは逆にしても成り立つ。パルマの海賊が帝国で粗相を働いても、派兵の口実にはできそうだ。

 やがてパルマ皇室とザリアの歴史は大国に飲み込まれて終わることになる。

 戦争になれば勇者は手を引いて、あとは高見の見物を決め込むだけ。

 二大国の兵力は、ゴブリンの大群よりも確実に死体を積み上げてゆくだろう。


「オーシュの野郎、これを狙って現れたのか――?」

「皇帝が勝てば戦争、皇帝が死ねば帝国全土で戦乱が起きるだろう。勇者め、地獄の釜を開いたな」


 初めからそれが狙いだったのかどうかは判らないが、強烈な先手を取られたのは間違いない。

 ――やられた。完全にやられてしまった。


「だが、手はできた。オーシュが先制して、皇帝を倒したと触れ回れ」

「どうして」

「ザリア人を利用する。海賊に加勢するよう促して、俺達はそれに乗る」

「なんてことを考えるんだ君は。罪のないザリア人を巻き込むのか」

「罪はねえがやる気はある。お前、ザリアにもう先がないと思ってるだろ。違うぞ。奴らは自分の手で未来を創る」

「詭弁だ。思ってもいないことを言うな。君はサイコパスだ」


 やるのか、やらねえのか、とジャックは迫る。

 ――ザリア人を利用する。

 もしそれが可能なら、オレ達、オーシュとザリアと海賊、皇帝と海軍、の三つ巴になりだいぶ話がシンプルだ。

 オレ達がオーシュと仲良くする限りは、オレ達とオーシュとザリアと海賊、皇帝と海軍、の対決なわけで更にシンプルな上に、戦力でもかなり有利に思える。


「……乗った。内通者に頼んでどうにかする。ああ、なんてことだ、子供の前でこんな」

「おいおい、悪いように決めつけるなよ。海軍将校はザリア人ばかりなんだろ? 一斉に寝返れば、皇帝一人赤子の手を捻るようなもんだ」

「時間はないぞ。早くしないと海賊船が拿捕だほされる。鍋の蓋でも叩いて、眠れる闘士どもを起こすか?」


 倒した二人の警備の武器をさらっていたジャックが、にやりと笑った。


「もっといいものがある」


 発煙筒があった。


「ノヴェル、下にもっとこいつがないか探してくれ。官僚さん、電気の魔術は得意だな。タイマーが欲しい」

「専門だ。ここにこれだけ補修用のワイヤがあれば、間を絶縁してキャパシタくらいは作れそうだが……大した仕事はさせられないぞ」

「すぐできるか? 十分後くらいにここの警備を起こしたい。経験上、気絶した奴を起こすには水責めか電撃だ」

「そんなこともあろうかと、エネルギーギャップのわかる化合物結晶を持ち歩いている。ワイヤを切って、間にこれを仕込んでおくと、最初は絶縁だがなんと電気的特性が」

「よくわからんが助かる」


 そういいながら、ワイヤを倒れている警備に巻き付けてゆく。

 違う違う、とノートンはワイヤを取り上げ、警備の背中の二か所に固定した。

 オレは一旦降りて、下で見かけた箱の中から発煙筒を探してジャックに渡した。


「これだけありゃあ充分だ。全部に火をつけるぞ」


 オレが発煙筒を取りに行っている間にタイマーの準備はできたようだった。

 次々発煙筒を擦ると、先端が赤く燃焼して煙が出る。オレでも使えたからこれは魔力を使わないらしい。

 あっという間に灯台は視界ゼロの濃い白煙に満ちて、息ができなくなる。

 オレ達は灯台から逃げた。

 少し離れた頃、灯台から物凄い音量で異常を知らせるサイレンが鳴り響く。

 音も凄いが煙も凄い。

 灯台自体の灯も相まって、どう見ても燃え落ちる寸前の灯台が演出されていた。


「野郎、うまく目覚めて火事だと思ったな」


 何事かと家々から目覚めた人で明け方の街がにわかに活気づいてゆく。

 ノートンとジャックはお互いにハイタッチを決めた。


「大変だ! 海賊が! 皇帝に! 反旗をひるがえした!」

「勇者が! オーシュが! 海賊についたぞ!」

「皇帝は船だ! 海賊と皇帝が戦争だ!」


 オレ達はあらん限りの声で叫びながら、通りを駆け抜けた。



***



 視界ゼロの白い泡の中で気を失って、ミランダはいつの間にか真っ白な廊下にいた。

 うっすら開いたドアの前だ。

 そこを覗き込むと、部屋にはベッドが一脚あるのみ。

 ベッドでは病床の母が上半身を起こしており、手前に傍に父が寄り添っている。

 母の顔は父に隠れて見えない。


(パパ――ママ――)


 伝染病が流行して母が倒れたあと、ミランダは母に会わせてもらえなくなった。

 彼女はいつもこうして、病室を見ていた。

 父も窶れていった。


「きっとパパが治すから」


 ミランダの前ではそう約束するが、病床で父が母にそう励ますところを一度も見てはいない。

 父が淡々と話すその病状の意味を、彼女は理解できなかったが――良い報せではないことだけは判った。


(ママはもう治らない……)


 彼女はもう、そのことを知っている。

 ミラも知っているし、十歳のミランダも知っている。

 一目だけでも母に会いたいと、彼女は扉を開けた。

 部屋に飛び込むと、そこは雷鳴の響く外だった。


(くそっ、あのドアをくぐっちまった)


 しとどに雨に打たれ、ミランダは震える。

 そこから彼女の住む、ヘイムワース子爵邸の玄関先を見ていた。

 右手にある車止めで馬車を降り、左手の玄関へ、ローブ姿の男が歩いてゆく。

 雷鳴の下、その黒くただれたような肌が一瞬だけ見える。

 父を訪ねて来ていた。


(患者――?)


 このところ頻繁にやってくる。

 母の病状が悪くなってからだ。

 流行り病の勢いは止まらず、このヘイムワース子爵領内だけでも多数の死者を出していた。

 症状は体温の異常低温化。

 気温が異様に暑く感じるようになり、凶暴化したり無力化したりするようになる。

 またこれは記憶の劣化を伴う。

 本人の体験したことがないはずの、”前世の記憶”というものが入り込むようになり、人格に分裂をきたす。

 あの日――たまらず病室に飛び込んだ彼女は知ってしまった。

 かつて母親だった女性が、まるで見知らぬ他人になってしまったことを。

 そして父親も、彼女から離れつつあった。

 東方から来た、よくわからない男と会うようになってからだ。


「死んだ人はどこへ行くの?」


 彼女はよく父にそう聞いた。


「人の魂は天界に戻る」

「そこで穏やかに暮らすの?」

「――そうだといいね」


 父はそう答えた。


「死んだ人はどこへ行くの?」


 彼女はこの頃、また父に聞いた。


「人の魔力は宇宙の原点に戻る」

「宇宙の――?」

「力を源泉に戻し、人はまた転生する。神の子として」

「転生――?」

「死は終わりではないのだ。受け入れねばならない。そうあの方は教えてくれた」

「あの、近頃よくお見えになる方が神様なの?」

「あのお方も神の使いに過ぎない。神は、天界よりも遠い場所に一人のみ」


 宗教というらしい。

 死後人は何処へ行くのか――この頃何度も父にそれを聞いたのは、何も疑ったり答えが気に入らないからではなかった。

 単に、母がこれから行くところのイメージをもっと強く持ちたかったからであった。

 それなのに転生だの宇宙だのと奇抜なことを言われ、彼女は面食らった。

 おそらく、人生で初めて父を疑った瞬間である。


(私たちにはずっと寄り添ってきた神様がいるのに)


 五つのお祝いに、大気の女神・アトモセムを招いた。

 美しい女神であった。

 近頃、平民の子の祝いにはなかなかいけないのだそうだ。

 確かに人の中に神々と実際に会ったという人は減る一方だが、それでも神は自分達の素朴な信仰の中に溶け込んでいるのに。

 御使いなどという代理人はいらないのだ。神々は直接、自分たちの生活の中にあったのだから。

 彼女がそう言うと、父は激怒した。


「あんな神々など皆まがい物だ! 魔力の仮初かりそめの象徴、道化に過ぎん! 彼奴あやつらには心がない! 人の生を愛する心が……医者が患者の死に涙を流さないように!」


 ショックだった。


「唯一なる神は、我々一人ひとりの生を見守っておられる。我らの死に涙を流し、その涙が新しい力となる!」


 彼女は裏切られた気持ちになった。

 いや、これは明確な裏切りであった。

 内心だけのことならどれだけ良かっただろうか。

 十歳の彼女は激しい雨に打たれて、泣いていた。


(パパ――どうして)

(おい、泣くんじゃねえ。そいつに泣いてやる価値はねえが――そいつの言い分も聞いてやれ)


 彼女は豪雨の中を歩いて、玄関ドアの前にまで行った。


(いいか。少しでも聞くつもりがあるなら聞いてやれ。それはな、今しか聞けねえ・・・・・・・んだぞ)


 ミランダは、またドアを開けた。

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