9.4 「ぼくにも開けられなかった扉が開くかも知れない」

「そんな心配はない。あのお方こそが勇者だよ」


 その言葉が、どういう意味だったのかは判らない。

 田舎子爵の父に勇者を見分ける知識があったとも思えない。

 だからきっと、救世主の意味くらいで言ったのだろう。

 きっとミランダが勇者と言ったから、売り言葉に買い言葉、そんな程度に違いない。

 ミランダは走って逃げようとした。

 すると燃え落ちた扉の中から、異形の人影が現れた。


(クック=ロビン――)


 ミラが見ている前で、クック=ロビンはミランダの正面から肩に優しく手をかける。


「ミランダ。辛かったね」


 ミランダは泣いていた。顔が見えなくともミラにはわかる。

 勿論、ミランダにはその声も届かないし、肩に置かれた異形の手にも気づかないだろう。

 クック=ロビンは記憶の中にはいない。彼が干渉できるのは、過去のミランダではなく、現在のミラにだけだ。


「メル……君の本当の名前は、ミランダ」


 クック=ロビンは小さなミランダを見透かして、その後ろにいるミラに語り掛ける。


(そうだ。それがあたいだ。今更隠し立てなんかするか)

「君は、君の後悔を果たさないの? やり直したいことは?」

(ああ、そうだな。やり直してえことはごまんとあるが、生憎それほど後悔する性質じゃなくってな)

「お父さんのことは後悔してない? あのとき、ああ言えたらとか」


 ミラは少し考えた。

 ――後悔。あの頃のあたいには見えなかったこと……か。


(あたいもな、あのころ解ってやれなかったことが、今ならもしかして解るかもと思ったんだよ)

「それは?」

(ところがな、十四の頃と変わらねえんだ。今あの野郎の愚痴を聞いても、あたいは昔と同じことしか、思えないんだよ。解ってねえのはあいつの方だった。あいつは、あたいがガキだから解らねえと思ってたみたいだが、そうじゃねえ。あたいはあいつがボンクラだから言っても意味がねえって黙ってた)

「……本当に?」

(ああ。心情としては、ちょっとわからんでもねえけどな。そもそもがあいつの思い上がりだ。魔術なんてものはろくでもねえが、使うのは人間だ。神様は関係ねえ・・・・・・・


 クック=ロビンは驚いたような、間抜けな顔になった。


(馬鹿親父、聞いてるか。神様は関係ねえんだ。それをなんだテメーは。『自分は泣いたのに神様は泣いてくれません』だと? 何しれっと自分を神と同じとこに置いて語ってんだ。テメーは高々たかだか田舎子爵、しかも役立たずのボンクラだ! 何信じようとテメエの勝手だが、他人の神様にケチつけてんじゃねえぞ!)


 ミラの声は記憶の中の父には届かない。

 それでも「あー、スッキリした」とミラは顔を背けた。


「……驚いた。君は……本当に……」

(おい、クック。あたいはこんな三文芝居を見るためにわざわざ手前と意識世界に飛んだわけじゃねえぞ。なんだこれは、あたいの話ばっかりじゃねえか)

「それはね、メル。君の選んだことだ。君の選んだ扉が、そうだったんだ」


 クック=ロビンは、ミラの意識に答える。


「でも、不思議だね。君の記憶を見ていたら、なぜかぼくも、ぼくの記憶を、少しずつ取り戻してきた、気がするんだ。他人の記憶なのに、変だよね」


 そんなことがあるのか、ミラにはわからない。

 ミラとクックで開いた意識世界であっても、扉の中の心象風景はミラだけのものであったはずだ。


「今なら、あの、ぼくにも開けられなかった扉が開く、かも、知れない」


 ――そこだ、とミラは確信がある。

 そこに求めるものがある。

 勇者の指導者の記憶――彼自身、まわしすぎて封印してしまった記憶が。

 彼女は燃え落ちた扉をくぐるとき、一瞬だけ振り返ってミランダを見た。

 暗い森で佇む少女の後姿。

 顔など見なくとも知っている。泣きべそをかいていた十四の少女だ。

 それは確かにあの日のミラだった。




***




 またあの図書室に戻った。

 カタカタと音を立て、調度品が振動している。

 中央にある机のランプが明滅する。


(地震――?)


 揺れはどんどん大きくなってゆく。

 本棚の本が落ち始め、彼女は慌てて床の上を滑るように動いた。


「外で何かが起きているらしいね」

「何かって……?」

「なんだろう。わかんないよ。ぼくは、便所掃除しかしてないから」


 ミランダは最後の扉に手を掛ける。

 鍵がかかったままだ。


「ダメ! 開かないわ!」


 貸してごらん、とクック=ロビンが試すも――。


「だめみたいだ」


 ミラは十四歳のミランダの姿だ。

 十四歳にしては少し小さく、背伸びをしてもわずかに覗き穴に届かない。

 もう数年すれば扉の穴から中を見るくらいはできそうなのだが。


(クック、おめえは上背がある。覗き穴から何が見える?)

「おじさん、上の穴から中が見えない?」

「――だめだ。中は真っ暗だよ」


 くそっ、とミラは毒づく。


(鍵なのか? 鍵がいるのか?)

「この鍵があるとか」

「まさか。ここは意識世界だよ?」


 それはそうだ。

 鍵などという物理的な仕掛けが、有効なはずはない。

 だとすればクック=ロビンか、ミラか、どちらかの意識がこの扉を開けることを拒んでいるのだ。


(もうあたいのトラウマとは向き合った。あとはお前だ、クック)

「おじさん、まだ何か隠してることはないの? 思い出したくないことは?」

「ぼくは何も知らない、わからない……便所掃除してただけだから」

「その前は!?」

「わからない。はっきりとは思い出せないんだ……」


 クック=ロビンは人間離れして崩れた表情を更に崩して、困ったような泣き顔のような表情を作る。


(便所掃除。なぜだ。なぜか引っかかる)


 ミラは最初に開いた扉を見る。

 そこは便所だ。デッキブラシが勝手に動いて、床を磨いていた。


(……おい、便所掃除がどうとか言ったな)

「お手洗いのお掃除を……? おじさんが?」

「うん」

(それは本当か? 本当にお前か?)

「本当に、あなたが?」

「うん、そうだよ」

(そうか。ならなぜ……)


 ミランダは、最初に開いた扉を開けて、中をクック=ロビンに見せた。


(なぜここにお前がいないんだ?)

「あなたはここにいないわ」


 クック=ロビンは唖然と、無人で動くブラシを見ていた。

 ここは深層意識の心象風景。何でも起き得る――そう思った。

 しかしこれら扉の向こうにあったのは皆過去の記憶ばかりで、不合理なことは殆どなかった。

 幾つかの例外を除いて――例えばそう、この、ひとりでに動くデッキブラシのことだ。


「ぼくが、いない。ぼくは、どこ」

(お前は、本当にあのクック=ロビンなのか?)

「あなたはどこにいるの?」


 ぼくは――とクック=ロビンが両手で顔を覆う。

 カチャリ。

 錠前の落ちる音が響いた。

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