8.2 「お願いです勇者様」

 首都沿岸で四日拘束され、二日準備し、そこから五日半間の船旅。

 逆算すれば、それはミラが意識の海にダイヴする一日前ほどのことだったはずだ――オレ達はモートガルド帝国の港、サン=オルギヌアに着いていた。

 七千キロ以上ある大陸間だ。船の速度が時速でいうと四十キロくらいと聞いたときはどうなるかと思った。しかしそれは対水速度というやつで、海流に乗れば意外とスピードが乗るらしい。

 ポート・フィレムからの商船に偽装しての旅だった。

 ジャックはこんな鉄の船が浮かぶわけねぇと騒いで、ノートンに恥ずかしいからやめろといさめられていた。

 客船だと違うのかも知れないけど、何の愛嬌もない商船で五日半は結構こたえる。

 たかが五日半。されど五日半。

 しかも近代的な商船というやつは、そのイメージに反して船員の数も異様に少ない。途中連絡船と合流して新聞などを積み込んだときだけ、陸との繋がりを噛みしめることができた。それ以外は心身ともにほぼ絶海上。

 孤独というのも比喩や気分の問題を超えて、絶対的に来る・・もんがあった。

 そんな船旅にも慣れてきたつもりだったが、前日の荒天には「海をナメていた」と猛省するほかない。


「あんなに揺れるんだな……。沈没するかと思ったぜ」

「最近の船は高波くらいでは沈没しません。ましてこの規模の商船ですから」


 まぁ――色々あって、オレとジャック、それからノートン率いる皇室の密使たちは民王の商船の乗組員としてモートガルドの地を踏んだ。

 港には軍用船が何隻もあって、異様な雰囲気に包まれていた。

 実はもうすぐ入港というところまで来てからが大変だった。

 入港までに何隻もの船が寄せてきて、甲板には港の職員が入れ替わり立ち替わり入ってきた。

 その度にノートンが「通商条約」と言って謎の証書を見せ、貨物の点検を繰り返した後、やっとオレ達は入港できた。

 入港まで都合、追加で半日はかかったわけだ。


「さて、ここからモートガルドの首都はどれくらい遠いんだ」

帝都・・だ。帝都に行っても城には通行証がないと入れない。ここで待ちましょう」

「帝都に城とは時代がかってやがるなぁ。っておい待て、待つとは聞いてねえぞ。皇帝と勇者を探るんだろうが」

「正攻法をやるのは最後の手段だと言ったはずだよ。って往来でこんな話をするのはよくない。さっさと宿に入りましょう」


 ノートンの手腕で取られた宿は、かなり堅牢そうな建物だった。

 三階建てで広く、レンガを組み合わせた建築だ。ポート・フィレムにはあまりない。

 首都は白レンガを使った白い都市だったが、こっちは赤レンガで土も赤かった。

 勝手に予約されていた部屋は快適そうだし、できればゆっくり街を見て回りたいもんだが、約束の時間まで半端だったので部屋から外を眺めて過ごした。

 確かに活気はあるが――港は物々しい雰囲気に包まれているし、道を行き交う人々も、軍人らしき人間を避けているように見える。

 やれ開戦だ、やれ皇室の危機だ、しかも勇者がいるかもだなんて言われちゃ、いくらオレでも観光どころじゃない。

 一時間ほどそうして、約束の時間になったのでジャックと二人で三階のノートンの部屋に集まった。


「商談に使う部屋です。ここでなら、話が外部に漏れる心配がないので」


 船の中ですらできなかった込み入った話があるのだそうだ。


「大仰なことだ。往来でもよかったんじゃねえか?」

「馬鹿を言うなジャック君。勇者の前に町民に殺されるぞ」


 ノートンは真剣に呆れたように言う。冗談ではないのだ。


「ここサン=オルギヌアを含むザリア西海岸地方は、一番最近にモートガルド帝国に侵略された土地です」

「四年ほど前か。それくらいならノヴェルも物心ついてたろ」

「馬鹿にするなよ。戦争があったことくらい知ってる。ポート・フィレムでも物資物資で一儲……一騒動あったからな」

「そう。我々神聖パルマはザリア防衛に助力した。ノートルラント民王はモートガルドにくみした。確執が表立ったのはあれが切っ掛けだった……という話は今関係がない。脱線した」


 長旅で疲れているんだろう。ノートンは長い顔にかけたメガネを外して目を擦った。


「そう、それでザリア敗北だ。ザリア国がモートガルドに降伏して、ザリア地方になった。が、ザリア国民は未だに諦めていない」

「だがそれを見越してモートガルドはザリアに軍部を置かなかったろ」

「そうだ。ザリアには大した残存兵力がなかった。旧ザリア国軍の転換を進め、ここサン=オルギヌアに海軍を作る予定だ」

「なるほど。その口実が海賊ってわけか。それをネタにノートルラントと一戦交えて、ここの掌握もすると」

「話が早くて助かる」

「ちょ、ちょっと待て。全然ついていけないぞ。なんでここに海軍を作るのにノートルラントと戦争したり、ついでに、何、ここが掌握……? できたりするんだ」


 それは、とノートンとジャックが同時に言って咳払いした。


「……私から説明しよう。要するに、まつろわぬザリアの民を掌握するために、外部に敵を作るわけです。海軍という仮初かりそめの力を与えてね。モートガルドの帝都は内陸にあるから、海軍では攻められない。帝都から派遣した将校を、ごく自然にザリアに送って、旧ザリア人将校を排除・懐柔する」

「それがモートガルドの手口だ。力でこの大陸を統一するのに、民族浄化も辞さない上、狡猾だ」


 帝国が帝国たる所以ゆえんだ。

 大陸統一を目前にしたディオニス三世の勢いの前に、立ちはだかる壁などあるはずもない。


「……だが、ザリア人にもまだ希望がある。帝国はそれに頭を痛めているはず」

「それは……その状況でどんな希望があるっていうんだ」


 勇者です、とノートンは言った。


「勇者です。勇者が現れて、悪逆非道のディオニス三世を倒し、迫りくるモートガルドの軍勢を消し潰してくれると、ザリア人は本気で信じている」


 ――愚かだ。浅はかだ。

 ジャックも言っていたではないか。国家間の紛争に、勇者が関与することはないと。

 オレ達ならそう思う。でも――。


もっとも、気持ちもわかりますが。厳密にいえばこれは国際紛争ではないのだし」

「だな。勇者に望みがないことも、俺達なら知っているが……」


 ザリアの民は違うのだ。

 彼らにとっての最後の望みが勇者。それが絶たれることは、彼らをばらばらにしてしまうだろう。

 民族が民族として生きながら死ぬことがあるのかは知らない。

 でもあるとすれば、それだろう。


「まぁ、そうしたわけでここの往来で勇者をどうこうするなんて話は慎みたまえ。命が惜しくばな」

「ザリア人は勇者が欲しい。モートガルドは勇者と戦いたくない。さて、それでどうなるか――あ」


 ジャックは何かに気付いて、それを語り出した。

 ノートンも頷いている。


「そもそも勇者がモートガルドを潰すつもりならとっくにやっているだろう。やはり国際紛争には直接介入しないんだ。ザリアは、だから民族蜂起にする。それで勇者が味方してくれるかも知れない。モートガルドとしてはそれは避けたい。どうするか? 先に勇者を引き入れる。本当に引き入れなくともいい。勇者がモートガルドに従軍しそうだと思わせれば、ザリア人の希望を潰すには十分だ」

「ご明察。モートガルドがマーリーンの身柄を欲しがったり、勇者と結託しているように振る舞っても、不思議はないのだ」

「勇者が実際にどう動くかは関係なくて、そう思わせればいいという、心理戦だな」

「そこまでは言い切れん。皆が皆、伝聞の情報で右往左往するわけじゃない。特にここ、旧ザリア国では――」


 ノートンが、眩しい海沿いの日差しに顔を向けた。

 窓の外には喧噪が広がっている。

 生命力というか、そのエネルギッシュな様子には民族として危機に瀕している悲壮感はない。

 がむしゃらだ。


「で、オレ達は戦争を止めに来たんだろう?」

「北方の小蜂起を治めたディオニス三世が、明日ここを視察する予定だ。そのせいで入港まで時間がかかってしまった」

「それだ。確かか?」

「実は先ほど、この地の内通者から状況を聞いてきた。北部の蜂起は鎮圧された。ディオニス三世が自身の軍を動かしたんだ。つい先日、我々が船の上にいる間のことだ。明日にはここへ到着する」

「近所で少数民族を皆殺しにして、その足でここへ来るのかよ。品性を疑うね。そんな猛獣にラブレターを渡すなんて想像もできない」

「実は殆ど戦闘は起きなかったんだ。それどころか北部駐留の軍人を減らした。勇者を恐れたんだ。ディオニスは演説しただけ」

「ああ、というと、アレか。二割・・を潰したのか」

「そう。元々、北部の少数民族の難民キャンプは四千人ちょっとくらいだ。そこを千人に満たないくらいの部隊で鎮圧していた。これだとギリギリ、勇者が来てしまうかも知れない。そこで兵隊を五百人以下に減らした。まぁ、それでも十分だろう。北部の人員はここに配置換えになる」

「上手くやったもんだ」


 丁度、勇者が四千人を助けるために殺す目標値――二割を満たす頭数になっていたのだ。

 それでディオニスは慌てて人数を削減したわけだ。皇帝にも皇帝ならではの気苦労はありそうだ。

 世の中、だいぶ複雑なようだけど結局オレ達のやることに影響はない。

 いろいろあって皇帝が来る。オレらは手紙を渡す。それだけ。


「こういうのは緊張の制御だからな。万一勇者が蜂起を助けたとなれば、あっちでもこっちでも騒動が起きちまう。ディオニスとしても、それだけは避けなきゃならん」


 一層、外の騒ぎが大きくなった。

 聞きなれない外国語が飛び交う。


「――なんて? 今、勇者と言ったのか?」

「発話を禁止されてるザリア語だ。勇者と聞こえたな」


 オレ達はバルコニーに駆け出す。

 一瞬、顔がバレているのではないかと思ったが、杞憂だ。

 ここは異国。

 ジャックも平然と手すりから身を乗り出す。

 市場の広がる港への道。

 ごった返す人混みをかき分けて、内陸側の奥から大きな御車ぎょしゃがやってくる。

 熱気と太陽がむらむらと揺り動かす陽炎の向こう――。

 御車の上に、巨大なガラスで出来た浅いプールが乗っている。

 水が並々と注がれており、揺れるたびにばしゃばしゃと揺れる。

 そのプールの中に、鉄と思しき巨大な玉座がある。

 裸足で、そこに座る男がいた。


「――あれは」


 インスマウスの銅像で見たのとそっくり同じだ。


「高潔のオーシュだ」


 勇者! 勇者! 勇者! 勇者!

 通りはもう勇者をあがめる大合唱だ。

 オレは圧倒される。

 勇者の御車の前に、くたびれた老婆が一人、躍り出て何かを叫んでいた。


「なんて言ってる」

「『お願いです勇者様、お守りください、私たちを、狂った王ディオニスから。私たちは殺されて、ます、たぶん明日。ザリアの地、土地をザリアの民の血で汚します、たぶん』」

「カタコトかよ」

「うるさい! ザリア語は苦手だったんだ!」


 御車が止まった。

 わめき散らす老婆。

 にらみつける御者。

 男が台座から立ち上がる。

 両手を広げ、群衆に向けて、よく通る大声で何かを言った。


「なんて言ってる」

「『私は、高い、清潔な』……あ、高潔の、だな……『高潔のオーシュです。ザリアの皆さん』……うう、わからん」


 同時通訳は止まった。

 男は朗々と演説を続け、それに応じて群衆を拳を作り、高々と挙げる。


「わからないけど……滅茶苦茶イイこと言ったなこれ」

「ああ、どうもそうらしい」


 沸き立つ民衆。

 今にも狂わんばかりの喜びで、広場は、そう、なんていうか、生きたイワシの樽みたいになった。

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