7.2 「ミハエラとお呼びくださいませ」

「あいつならやりかねないと思ってましたよ。いつかとんでもないことをしでかすんじゃないかって」


 オレはシャワーを浴び、上等で綺麗な服を着てすっかり人間らしい気持ちを取り戻していた。

 何より、ポート・フィレム以来ずっと一緒にいたジャックがいない。

 これだけで翼を得た思いだ。


「オレはあのジャックって悪党に騙されてただけなんです」


 ――勇者暗殺だってとんでもない話だぞ。その上更に皇室転覆だって?

 何がどうなってそうなる。

 隣でノートンが迷惑そうに顔をしかめた。


「君ね、軽口は慎みたまえ。皇女陛下の御成おなりだぞ」


 謁見えっけん室。

 どうして船の中にこんな設備があるんだ。

 真っ赤な絨毯の先、一段上がったところの大きな椅子は今は空。

 空気が張り詰めて、横の扉が開いた。

 ゆっくりと現れたのは――見たこともない美女だった。

 皇女陛下というのは、婆さんだと勝手に思っていた。

 なにせ表舞台に立たないのだ。

 呆気に取られているオレの頭を、ノートンが掴んで下げさせた。


「よい」


 透き通るような、しかし憂いを帯びた落ち着いた声で、皇女陛下は言った。

 ノートンが小声で言う。


「神聖パルマ・ノートルラント民王連合国十四代皇女陛下、ミハエラ・カライル・パルマ様であられます」

「ミハエラとお呼びくださいませ」


 ミハエラとお呼びくださいませ。

 皇女陛下が。

 オレに。ミハエラと。


「ノ、ノヴェルとお呼びくださいませ」


 そういうと、ミハエラは薄く微笑んだ。

 横でひざまずいたノートンが「馬鹿っ!」と短く叫んだ。


「先ほどジャックとも一対一でお話をいたしました。ノートン係官、外しなさい」

「しか……ははっ」


 ノートンは腹を蹴られた犬みたいな声を出して、跪いたまま這うようにして退出した。

 あいつならやりかねないと思ってましたよ。

 オレはあのジャックって悪党に騙されてただけなんです。

 さっきあれほど練習したのに、いざ本人を目の前にすると声が出せない。


「あっ、あの、あの、ジャックは、あの」

「ジャックがどうかなさいましたか」

「あく、あく、悪党で」


 ミハエラは華のように笑った。


「お話は伺っております。わたくしは、あの方に勇者を探るよう、お願いいたしておりました」

「は?」

「そういう言い方は、少し不正確でしたね。彼のお方は、無頼と申しますか、ああした人柄ですから快くは思わなかったでしょうが――あの方が勇者を探ると仰るので、微力ながら、そのお手伝いを申し出たのです」

「へ?」

「主に資金面で」

「はあ」


 なるほど、段々解ってきた。

 パトロンなのだ。

 勇者について知りたいのは、何も暗殺を目論むジャック達ばかりじゃない。

 皇女陛下ともなれば、国の行く末ために勇者について知りたいと思うのは不思議でもなんでもない。


「無欲のソウィユノ、銀翼のゴアの件につきましては、報告を拝見いたしました。わたくしも、表立って援助ができればと心苦しく思ってやみません」


 そんな、そんな高貴な貴方様が、心苦しいなどと。

 ジャックのことだ、どうせ金さえあれば被害が小さく済んだなどと書いたのだろう。

 そう思って聞いてみると実際にそう書いてあったのだそうだ。

 とんでもなく不敬な奴だ。本当に皇室転覆を目論む思想犯なんじゃないのか。

 そういうと、あの方は決してそんなことはしないと仰られる。ジャックめ、どういう奴なんだ。


「そこで、今日ノヴェル様にお話したいのはその点ですが――まずはお爺様、救世の徒、大賢者マーリーンの訃報に接して、深くお悔やみを申し上げます」


 オレは、跪いた。

 ノートンはいない。それでも自然に、跪くしかなかった。


「あ、ありがたき、お言葉」

「お楽になさいませ。亡き母上でしたら、きっとあなた様を抱きしめておりましたでしょう。いえ、それくらいするべきなのです、わたくしは」


 皇女様が段を降りてこちらに来られたので、オレは慌てて固辞した。


「まさ、まさ、まさかそ、そ、めめめ滅相もござ」

「これ以上恐縮させては却って面目が立ちませんね。このお悔やみはいずれきっと日を改めて」


 あまりに恐縮してすっかり失念したが――。

 爺さんが二百年以上生きたという、孫のオレですら飲み込めていない眉唾の話を、さも当然のように語る皇女様。

 皇室と爺さんはどういう関係だったのだろうか。

 オレの知らない話を沢山聞くチャンスだったのかも知れない。


「そしてこれは、ジャックの宿泊先から見つかったものですが」


 と、皇女様は宿帳を取り出した。

 見つかったというか、ノートン達が勝手に探して見つけたのだろうか。

 それはそれで非合法に思うんだが、どうなんだろうか。

 オレが曖昧に笑っていると、皇女様は不思議そうな顔をして中を開いて見せた。


「この最初のページに書かれたいくつかの名前について、宮殿の資料室を当たって現在調査が行われております。結果はきっとお知らせいたしますので、この宿帳はわたくしのほうで預からせてください。構いませんか」

「あ、どうぞどうぞ! 皇女様のお役に立つのでしたらなんなりと」

「さぞ大事なものとお見受けします。ジャックには断られてしまったのですが、持ち主であるノヴェル様のご理解をいただきましたので、またお話しいたします」


 それはあいつが宿帳を防具代わりにしているからだ。


「そしてこれが今日、お二方をお呼び立てしたご相談ですが――」


 皇女様は、少し陰りのある表情を見せた。

 歳でいえばオレの少し上くらいにしか見えない。

 可憐だ。

 この皇女様にこんな表情を見せる奴はいったい誰なのか――。

 話を聞いたオレは、茫然とすることになる。

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