Ep.7: 船上の生活は(不)自由で退屈

7.1 「見上げた手腕だよイケメン君」

 海賊の朝は早い。

 海賊の下働きの朝は更に早い。

 海賊の下働きのお世話係の朝は、それよりも少しだけ早い。

 下層甲板のハンモックで起き、朝日を拝むこともなく、そのまま階段を下りて貨物甲板へ行く。


「起きろ。クック=ロビン」


 メルは愛称で、本当の名前はメルセデスといった。彼女のつけていた、日記という風変わりな習慣によればそうだ。

 今の彼女はミラだが、今はメルとして海賊と生活しているため、ここではミラのことをこう呼ぶ。

 メルセデスはクック=ロビンの脇腹を優しく蹴り起こした。

 海賊の生活にも慣れてきた。

 彼女の見たところ、この海賊というものは奇妙な連中だった。

 メルセデスが相当な世渡り上手だったこともあるかも知れないが……というより彼女の見たところ、海賊たちは女を崇拝していた。

 北海のほうでは女を船に乗せてはいけないという迷信もあると聞くが、ここではどうやら異なるようだ。

 勿論、荒くれ者の作法がある。半面、必要以上に縁起を担ぐ繊細さも持ち合わせている。

 信心深く、冷静だが動物のような愚直さもある。

 仲間を家族のように思いながら、本当に家畜のクソだと思ってもいる。

 ――まったくおかしな連中だぜ。分裂病かよ。

 例えば、便所掃除には余念がないくせに、海賊は便所を使わない。海が荒れているときは流石にやらないが、小便は舳先へさきで、大便は船尾でやると決まっているようだった。檣楼員しょうろういんともなると舳先のどれだけ先端で小便できるか競うようであった。

 船にずっと乗っていると脳みそまで塩漬けになっちまうとメルは結論付けた。


「起きろってウスノロ」


 クック=ロビンも奴らの担ぐ妙なジンクスの一つだと思っていた。

 ――この役立たずは。

 確かによく働く。

 だが階段を上ることができない。一度上がったら、一人で降りることができない。

 貨物甲板にいる限りは、怪力を生かして他の甲板員こうはんいん五人分の働きをするが、頭が弱い。

 お陰でメルセデスは、クック=ロビンの前でだけミラに戻ることができた。

 数度蹴り上げると、鎖をじゃらじゃら鳴らしてクック=ロビンは牛のように目覚めた。

 普通の水平らは下層甲板のハンモックで寝るが、ここにハンモックはなく、またクック=ロビンも体に合わず嫌がるのだ。

 鎖は船が揺れても転がらないためで、別に何かの罰を受けているのではない。

 鎖を外してやると彼は起き上がり、のっそりと便所に立った。

 ズボンだけは辛うじて穿いているが、靴をいているのを見たことがない。嫌がるのだ。

 しばらくクックと生活していて彼女は確信していた。

 彼は本当に言葉を話せなかった。

 こちらの言っていることも殆ど解っていない。ごく簡単な名詞のみ判るようだが、それだって本当に理解しているかは怪しい。

 メルセデスはため息をついて、朝食の準備にとりかかる。

 メニューは本物のメルセデスが残した大量のメモがあったため困ることはなかったが、えて無視すればするほど海賊たちは喜んで食った。

 海賊が瓶詰めの保存食を喜んで食うのを横目に、メルセデスは暗澹あんたんたる気分になった。

 ――また無意味な一日が始まるのか。

 必ず勇者の指導者の尻尾を掴むと意気込んで潜入したものの……。

 頼みの綱のクック=ロビンはまさかの役立たずだ。

 聞き出そうにも言葉が通じないのではどうしようもない。

 名詞の列挙にもほとんど無反応。

 ――話が通じるだけどっかの昼行燈ひるあんどんのほうがマシだったぜ。



***



 拿捕だほされた後、オレ達は拘束されていた。

 奴らはオレ達を船内の殺風景な部屋に閉じ込めたまま、一言も口を利いてくれない。

 どこの船籍の、どういう船団なのかさえ判らないままだった。

 また、持ち物を検査された以外、何一つ質問されることもなかった。


「どうにか逃げ出せないのか」


 両手を後ろ手に縛られたまま、オレはそう持ち掛けた。


「縛られてちゃ無理だ。それより解ってるんだろうな――」


 名前を呼ぶな。

 ミラについて話すな。

 余計なことを言うな。

 奴らの目を見るな。

 それは拘束されたときにジャッ……このイケメンに言われた。

 この部屋の空気も、盗聴されている可能性があるからだ。

 拿捕されてどれくらいそうしていたか。

 この部屋では昼も夜も判らない。

 おそらく食事の回数からして四日はそうしていた。

 食事の間だけ拘束を解かれたが、配膳係が明らかに高位の魔術師っぽかったため、流石のイケメンも大人しくしていた。


「ナイフは」

「それがな。ケツのポケットに入れたまんまなんだよ。馬鹿にしてくれるぜ」


 そこに、三人の男が入ってきた。

 二人はドアの左右で胸を張って立ち、三人目が後から入ってくる。

 面長の男だ。

 神経質そうな顔に、首都でよく見る官僚の服を着ていた。

 襟首に星を一杯つけて、だいぶオシャレだと思った。


「顔を見るな、昼行燈ひるあんどん

「わかってるよイケメン」


 男はテーブルに座り、こちらを見た。


「情報局のノートンだ。何部かは訳あって伏せさせてもらう」

「そんな自己紹介があるかよ」

「イケメン君と昼行燈君だね。遅くなって済まない。インスマウスの組合員二人は帰した。ひどく怯えていて、何も話さなかった。見上げた手腕だよイケメン君。情報局に欲しいくらいだ」


 けっ、とイケメンは不貞ふて腐れた。


「ところで本題の前に君たちに確認だが。君たちは三人いるね。もう一人はどうした」

「……」

「答えないか。昼行燈君、どうだね」


 オレはイケメンの真似をして顔を伏せた。


「君もか。随分と怖い思いをしたようだ。こんな少年を連れてこれは問題だよ、イケメン君」

「こいつも別に仲間じゃねえ。俺一人だ」

「イケメンに昼行燈か。咄嗟とっさにお互いを呼び合う符牒ふちょうを仕込んだんだろう? 二人組ならそんな必要はない。君たちは普段、三人以上で行動しているんだ」

「……」


 裏目に出た。

 最近ジャックはどうもツキに見放されているらしい。


「他の仲間はどうした」

「……」

「答えたまえ。悪いようにはしない」

「……」

「……そうか」


 ノートンと名乗った男は立ち上がって椅子を持ち上げた。

 ドア脇の二人に、退出して盗聴を切るように指示する。

 そのままテーブルを回り、こちら側へ来る。

 椅子を置いて、オレ達の前に座った。


「二人とも、状況が解っていないようだ」

「状況? 星を沢山付けた官僚が、不当に民間人を監禁しているって話か?」

「不当かどうかは君達自身がよくわかっているのではないかね」

「『法院長、誘導尋問です』」

「悪いようにはしないと言ったつもりだが。疑うなら私の目を見るがいい」

「『法院長、無効な証拠です』」


 ノートンはため息を吐き、ドアのほうをちらりと見た。

 ポケットからライターを取り出す。


「失礼、火の魔術は苦手でね」


 タバコに火をつけた。


「……国防上の、重大なインシデントが起きている」

「おう、そうだろうな。沖合でボートが遭難してたんだからな。船では組合員二人が昏倒」

「茶化すのはやめないか。それについては不問だ。訴えも出ていない」


 真面目な話だ、とノートンは下からジャックの顔をのぞき込み、小声でこう言った。


「皇室転覆」


 ジャックの顔色が変わる。


「なんだと」

「その眼だ。見たぞ。私の前ではそうしていたまえ」


 ノートンはまた少し椅子を近づけ、更に小声でいう。


「不本意だが、私も仲間に入れてくれないか。ジャック君、ノヴェル君」

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