6.5 「ねぇ、クック=ロビン」

「クソっ。重てぇなぁ」


 辺りはすっかり薄暗い。

 ジェット推進機から飛び出した二本のパイプに、ジャックは必死で両手の掌を当てていた。

 ジャックの掌はにぶく光り、透明なパイプを通る海水に、わずかながらの加速を与えている。

 その甲斐かいあってか、ボートは進む。

 ただし逆方向に。

 ノヴェルは遠慮がちに、言わなくてもよいことを言った。


「なぁジャック、岸から遠ざかってないか?」

「そんなわけないだろ! こんなに頑張ってるんだぞ!」

「いや、だって、多少頑張っても、波の力のほうが強かったらさ」

「うるさい! わかってるんだよ! さっきまでは進んでたろ!」


 遅々としつつも、さっきまでは近づいているような感覚があった。

 だが魔力には限界がある。

 休めば回復するもので失われることはないにしろ、時間当たりに使える量には限界があるのだ。


「昔はなぁ、これくらいいけたもんだよ。茫洋ぼうようのジャックと言われてな。世が世なら俺も七勇者が一柱」

亡羊ぼうよう? それ昼行燈ひるあんどんの次くらいにひど仇名あだなだろ、たぶん」


 加齢によって衰えることも殆どないと言われる。

 だからおそらく、重量が増えたことのほうが問題である。


「寝てるお荷物二人を放り出したら、まぁ岸くらいまではったんだよ」


 そんなことを言っても、今や気絶した船頭二人を無事岸まで送り届けることも、ジャックの責務のひとつである。

 現実逃避している時間はない。

 今や一呼吸ごとに、確実に夜の闇は濃くなってゆく。


「暗くなったなぁ。夜の海ってこんなに暗いのか」


 陸には街の明かりが見えている。

 ベリルの街はとても明るい。

 だがその光が今はぼんやりと白く霞んで見える。

 ――霧だ。


「なぁ、オレたち、遭難するな」

「二人が起きたら詫び入れるか。生意気言ってすいませんでしたって。殺されるぞ、さすがに」


 突如、ひとつ大きな波にボートが揺れた。


「あたたっ、あっ、危な……!」


 突っ立っていた無能二人は、大いによろけて落水するところであった。

 暗すぎて、もはやお互いの姿すら見えない。


「おい、ノヴェル、無事か!?」

「ああ……危なかった」

「ボチャンっていったら助けてくれ」

「どうやって」


 また大きな波だ。

 慌ててしがみつく二人。

 カッと辺りが真っ白になった。

 濃い霧を裂く強烈な光が、二人を襲う。


「なんだ!? まさか――」


 ――勇者。

 二人はボートのへりに掴まったまま、片手で目をかばう。

 眩しすぎて何も見えない。


「ノヴェル、泳げるか?」

「少しは」

「服着てても?」

「あー……この服は……どうかな」

「三つ数える。数えたら飛べ。何も考えず岸まで泳げ。いいな」

「う……」

「三、二……」


『そこの小型船! 止まりなさい!』


 大きな声がした。

 ――うるせえなぁ、言われなくてもずっと止まってるよ。

 ――止まれっていうか、戻ってるよ。

 二人はそんなことを思いつつ、見上げた。

 投光される巨大なサーチライトの向こう、霧の中には巨大な船の黒い影があった。

 船、船、船……それは、船団であった。



---



 ジャックとノヴェルがボートに乗り込む以前――。

 ミラは茂みに潜んでメルという海賊が船頭二人と別れるのを見ていた。

 あの船頭がもし、ミラがここに残ったことを言いふらすとまずい。

 海賊に潜入していることがどこからか伝わったるかも知れない。バレたら命はない。

 だがミラは、船頭二人を殺さずにおいた。きっとジャックがうまくやってくれると見越したのだ。

 彼女の狙いはくまで海賊の女だ。

 海賊の女――メルはチップを受け取ってこちらへ歩いてくる。

 行きにメルが歩いた道だ。帰りも同じ道を通るだろう。

 ミラの予想通り同じ道を通って、女海賊が歩いてくる。

 海賊に女は珍しいが、女でも海賊にはなる。むしろ山賊よりは多い。

 その気持ちが、ミラには解らないわけではない。

 メルが茂みの前を通った直後、ミラは茂みから身を滑り出し、メルの首を後ろから締めた。


「だ、誰」

「声を出すな。殺すぞ」

「――!」

「大人しくしてりゃ手荒な真似はしねえ。おっ、おどろいたな、あんたあたいに瓜二つじゃないかよ。生き別れたあたいの姉じゃないか?」


 メルは驚いて首を曲げた。

 ミラの顔を見る。

 数秒で、意識を失った。

 ミラは掌を広げるとぺたぺたとメルの顔面に這わせ、その造形を読み取る。

 ――まぁ、瓜二つはどうしたって言い過ぎだ。

 ジャックの適当なでまかせが伝染うつったのかも知れない。

 ミラは取り出した化粧道具箱から、濃い色の下地を取って鼻梁びりょう、眉根に塗る。

 レンズ入れから、眼の色を変えるレンズを取り出して装着する。

 ここまで二十秒。

 あまり遅くなると怪しまれる。

 衣服を脱ぎ、メルの衣服を脱がし、交換する。

 サイズはぴったりだった。

 髪を下して縛り直す。髪色と長さは若干違うが、男は気付かない。

 百四十秒。

 ――だいぶかかっちまったが……下準備は完了。

 あくまでこれは下準備だ。説得力を出すためのものだ。

 ミラには、瞬時に周囲の認識をまとめて捻じ曲げてしまうほどの能力はない。

 幸い、相手は酔っぱらいばかり。時間的なバッファはある。

 メルを茂みに隠すとチップの紙幣を奪い、それを数えながら酔っぱらいのところへ戻った。


「遅かったじゃねえか」


 声をかけられたので、ミラはチップをヒラヒラとかざしてみせる。

 視線の誘導だ。

 そのまま通り過ぎる。

 ――と。

「おい」といきなり腕を掴まれた。


「お前……そのまま戻るつもりじゃねえだろうな?」


 一瞬見破られたかと思ったが――赤ら顔には、疑念や驚きらしきものはない。

 酒のせいで表情筋が鈍くなっている可能性もある。

 ミラはその眼を見返した。

 男が期待する答えを探る。質問の真意は何か。その根底にあるのが怒りなのか焦りなのか。


「……私、やることあるから」

「ああ、そういやそんな時間だったな。すまねえ」


 男はパッと手を放す。

 内心、安堵する。

 レンズのお陰で、この手合いに読み取られる心配はほとんどない。なんでも思い放題だ。

 小さな林を抜けて海岸線に出る。

 船着き場だ。

 船は三隻。

 一隻のみ係留されており、二隻は沖に停泊している。船着き場が狭く、一隻しか入れなかったのだろう。

 どれに乗ればいいか、間違えると怪しまれる。

 だが。さっき男が「そのまま戻るつもりじゃねえだろうな?」と聞いた。

 裏を返せば、彼女には自分でそのまま・・・・戻る選択肢があったことになる。

 ボートに乗り合わせて来ているならその心配は低い。

 つまり歩いているだけで戻ると思われるのは、船着き場に係留された一隻だけだ。

 もしメルがボートで来たのなら「そのまま戻る」ではなく「一人で戻る」になっていたはずだ。

 係留された船の縄梯子に行き、上がる。

 上で酒を飲んでいた二人が、「よう、メル、早かったな」と言った。

 ――まったく、潜入は楽じゃねえな。


「ちょっと用事があった気がしてね」

「あ。もうそんな時間か?」

「……あれ、何しようとしてたんだっけ」


 海賊二人は笑った。


「なんだ、しっかりしろよメル。珍しく酒でも飲んだか?」

「もうあの空気にいるだけで無理よ」

ちげぇねえ。あんなの俺らだって付き合いきれねえもん。もう四日目だぜ。馬鹿だよ馬鹿」


 ミラは釣られて小さく笑うふりをした。

 笑うのが一番難しい。メルはどんな笑い方をしたのか……そればっかりは、わからない。

 案の定、ひとりが怪訝けげんそうな顔でこちらを見た。


「……どうした。調子が悪そうだな」


 ――まずい。

 ミラは男を見返す。

 認識阻害だ。

 ミラがメルに見えるようにり込みつつ、ここ最近の記憶を改ざんする。メルがミラだったと思えるようにするのだ。

 少しずつだ。根本的にやるには時間がかかる。

 しかも一人にだけかけると、他の人間との対応にズレが生じる。そこが難しい。


「……ここ二三日、ちょっとね」

「ん? ああ、そうだったな。無理するなよ? クック=ロビンなら貨物甲板にいるはずだぜ」


 読み取ったり誤魔化したり。

 お陰でメルという女がどんな人物だったか、朧気おぼろげながらその輪郭りんかくが掴めてきた。

 嫌われてはいない。

 酒は呑めない。

 あまり強気な女というわけではない。いきなり腕を掴んでも、金玉を蹴り上げたりするようなタイプではない。

 言葉遣いも女性的で、女性的なことを生かして自然に生きている。

 チップを貰って手を振るだけで、男が嬉しそうに帰ってゆく。

 ――結構幸せそうな奴じゃねえか。

 そしてどうやら、海賊の中の海賊と言われ、勇者とも遭遇して生還したクック=ロビンに近い人物だ。一目置かれているのだろう。

 ――ま、そういう意味じゃあたいも相当ツイてる。

 あたいならうまくやれる。ここにどんな奴がいても、必ず勇者の秘密を聞き出してやる。

 謎に包まれた七勇者の、分厚いベールの向こうの深淵――奴らの指導者の正体。

 そんなことを考えつつ、一番下の貨物甲板まで降りる。


「クック=ロビン――? どこ?」


 返事がない。

 船倉の間の狭い中央通路をゆっくりと進む。


「ねぇ、クック=ロビン――」


 牛の鳴くような声が聞こえた。

 この船は、貨物甲板に家畜を入れているのか?

 そういえば、家畜のような臭いもする。

 腐臭ではない。おそらくロイたちは別の船だろう。


「クック……?」


 ふと右を見たときだ。

 そこは便所であった。

 ブラシを持って、便所の床を磨いている男がいる。

 大きく尖った頭に、抜け散った頭髪。

 異様に白い皮膚には、病なのか、うろこのような模様が浮き上がっている。

 妙に発達した脚部とでっぷりした体に、枯れ木のような腕。

 異形だ。


「クック――ロビン……?」


 ンンーーーッと、声を発したそれ・・は、親しみを込めたであろう、酷くいびつな笑顔を作った。

 海賊の中の海賊。

 勇者の指導者と対峙した男。

 クック=ロビンは、人の言語を解さなかった。

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