6.3 「俺っちは海賊じゃねえからよぅ」

 心なしか、慎重に店のドアを開くと、中は異様に暗く、閑散としていた。

 奥に明かりのついたカウンターがあり、その向こうにバーテンがいる。


「ようマスター。流行はやってるか」

「ご覧の有様です」

「ここの連中は勤勉みたいだね。昼間から酒飲んでる漁師はいないか」


 マスターはカウンターの向こうからオレたちを、いや、オレ以外の二人をちらり見て、即座に観光客と思ったようだ。

 コップをふたつ差し出す。


「こちらがこのインスマウス村の名物、漁師酒です。お味見を」


 一口飲んだジャックは、むせてそれを吐き出した。

 ミラはそれを横目に見て、黙ってグラスを置く。


「んだこりゃ。酢じゃねえか」

「新しい酒を切らしがちでして。皆これを」

「こんなんでよくやっていけるな」

「ここに酒場は当店だけですので。酒も、あるときはあるのです。閑散期でして」

「酒のシーズンなんか聞いたこともねえ」


 ジャックは二口目を呑んで、「うぇぇ、クセになるな」という。

 マスターは申し訳なさそうな顔でそれを見、ぽつりとこぼした。


「海賊です」

「海賊? 出るのか? このへんに? 俺たちゃポート」


 そこでミラがジャックの足を思い切り踏んだ。


「ポート……ポーっとしてたから気が付かなかったけどな。色々あって南の海にゃそこそこ詳しいけど、海賊なんざ初耳だ」

「でしょうな。二日前のことです。海賊はここより南にはまず行きません。東から、北を通って来て、北へ戻っていきますな」


「二日前?」と「なぜ南に」とジャックとミラが同時にく。

 マスターは苦笑しながら、


「海賊の航路についてはあずかり知りませんねぇ。『俺っちは海賊じゃねえからよぅ!』」


 と言ってフフフッと笑った。


「……漁師ジョークです。難しかったですかね。ま、私も昔は釣ってました。水の魔術で外洋まで出て、昔のザリア国と小競り合いになったこともありますよ。漁師もね、ここの南の海域は、魔の海域だといってけてます。遭難が多くて」

「船乗りならではってことか」

「魚はよく釣れるんですよ。夢中になるくらい。そのうちに陸地を見失って……ってことなんでしょうな」

「それで? 海賊はよく来るのか?」

「半年に一度くらいですかねぇ。……それでいうと、一昨日は変なタイミングでしたね。夏前に一回来て、暴れてったばかりですから。魚は売るほどありますが、酒のほうはご覧のようにからっぽになってしまいました」


 ふ~ん、とジャックは酢を飲み干す。


「……やりますね。お客さん。こんな強いを」と言ってまたマスターはフフフと笑った。

 よっぽど暇だったのだろう。

 人との会話に飢えている。そんな感じだ。


「海賊はね、酒だけじゃなくて、女も連れてくんです。奴隷としてね。いや、モートガルドで売り飛ばされてるって噂もあります」

「マジかよ。今時人身売買だ、そんな無茶苦茶な海賊がいるのか」

「男も兵士にされる」

「そいつは他人事じゃねえな。帰ったほうがよさそうだ」

「まぁ、一昨日はそんな感じじゃなかったですよ。さすがに『酒を寄越せ!』ってノリで『女を出せ!』とは言いません。こっそりです」

「それで村を出歩いてる奴が少ねえのかな。元からか?」

「元から……でしょうねえ。暑いですし。酒もないならこんなでしょう。一昨日、さらわれたのは一人……いや二人だけ、それも村の者じゃなかったですから」

「ほう。見たのかい」

「見ました。誰かにこの話をしたかったのに、誰もカウンターに来ないんですから」



***



 夜明け頃、仕込みをしていたマスターは外の異変に気付いて出たのだという。

 そこにはでっかい海賊船が、三隻。

 今日日きょうびそんな堂々と海賊がいるのもどうなんだって話だが、ここはかつての国境近く。沿岸防衛をめぐっては未だに揉め続けているのだそうだ。

 その間隙かんげきを突いて、海賊がやってくる。

 そいつらはどうやら海の向こうのモートガルド帝国から、見事にややこしい海域を通ってやってくる。

 しかも荒事にゃ滅法強いらしい。

 そうだろうなぁと思う。なんせ水や空気といった、海戦向きの魔術に強い奴ばかりが海賊になる。一方で守るほうは海軍といったって色々、つまり雑兵ざっぺいだ。常に向き不向きを考慮して編成されてるわけじゃない。スペシャリストには敵わないのだ。

 見ての通り、首都は高い崖の上にあって港もない。

 そんなわけで、目と鼻の先で狼藉ろうぜきが働かれていても、指を咥えて見てるしかないんだ。

 その海賊が大挙して来て酒を出せと言われたものだから、マスターとしては逆らう術もない。


「私がフィレムの加護を受けていたら、奴らの船を燃やしてやれたんですが」


 今にも笑いそうにマスターは言う。これも漁師ジョークなのだろう。


「船乗りは火の魔術を使わないのに?」


 そう口を挟んでみたが、マスターはオレをまるでいないもののように無視した。


「で、奴らは村と周辺を探しはじめまして。南の岩場のほうまで。それで、迷惑な奴らを捕まえてきたんです」

「――迷惑な奴ら?」

「ちょうどこの、二三日前から村外れにみついていた宿無しです。頭が小さくて体のでっかい男と、そいつが担いでた老人……というか死体ですね。もうどっちが死体かわからんような有様で、においも一年日向ひなたに放置したイワシ樽みたいで、追い出そうにも誰も近寄れませんでしたが」


 ジャックとミラが、もちろんオレも顔を見合わせた。

 ロイと偽マーリーン……の死体だ。


「――で、奴らがそのクサい二人を連れて船に戻ったもんですから。私は思わず、ポケットの小銭を全部投げて『ありがとう! よい旅を!』と――」

「……」

「これが本当の盗人ぬすっとに追い銭……って私もしかして滑ってますか。『海で滑る奴はいねえ! なんでかって? そりゃ海は凍ら……」

「いや、面白い話だった。海賊はどこへ向かったかわかるか」

「さぁ……『俺っちは海賊じゃねえからよう』、でもいつも通りなら、ちょっと北のカナル島に停泊して一週間はバカンスってとこじゃないですかね。まぁあんな臭いの連れてバカンスっていうのも馬鹿ンスって……」


 見境がなくなってきてる。

 ジャックはマスターの話を「ありがとう」と遮って、カウンターに小銭を置いた。

 蟹食べてってくださいよと追い縋るマスターに、また来ると言いおいてオレたちは店を出た。

 オレ達三人の間に、微妙な静けさが残った。


「なぁ、オレの気のせいかも知れないけど、あの看板に何か書いてあったのか」

「まぁな。嫌な予感はあったんだよ」

「『インスマウスで一番の爆笑酒場』って書いてあるからな」


 オレは少し切ない気分になった。

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