5.2 「正気なんかで戦えるか」

 先ほど、アグーン・ルーへの止り木に駆け込んできたノヴェルと話し、ジャックは一つの確証を得た。


「やはりゴアは、飛べないんだ」


 正確には自力では飛べないということだ。


「あいつが飛んでいるのは、滑空に近い。奴の羽は刃のように固く、鳥の羽のような柔軟さがない。つまり、上に動かしたときに空気抵抗を逃せない」


 広げた両腕をパタパタと上下に動かしながら、ジャックは話す。

 アグーン・ルーへの止り木、尖塔の地下リネン室だ。


「なるほどな。だが奴は空気の魔術の使い手だぞ。風を操りゃ、飛ぶくらいのことはなんとかなるんじゃねえか」


 そうミラは訝しむ。


「実のところそこが引っかかってた。だが風を起こすのは天候操作。空気の神アトモセムの加護でも、最上位の力だ。奴にそこまでの力があるとは思えないし、奴の能力は攻撃特化だ。攻撃の結果風が起きることはあっても、風そのものを操作するのはできないんじゃないか? 今のところはな」

「ダウンバーストは」

「だから自然現象のダウンバーストじゃない。あれはただの、空気の爆発――攻撃魔法の一種だ。うまく使えば飛べるだろうが、自分のそばで使えば自分にダメージが入る。そうだろ? ノヴェル」


 ノヴェルはうなずいた。

 実はノヴェルが戻る前にも、ジャックはこの仮説をミラに披露していたのだ。ゴアが昇りにのみ昇降機を使っていることから、彼はその可能性に気づいた。

 だがミラはくまで懐疑的であった。


「憶測だな。おめえの希望が勝ちすぎてる。そんな話にゃ乗れねぇ」

「そりゃあそうだ。だが、ここにもう一つ証拠がある。見ろよ、立派な二本の脚が生えて、奴の剣まで持ってる。おまけに馬鹿正直だ。紹介しよう、生き証人のノヴェル君だ」


 ジャックはノヴェルを指差して紹介した。

 嬉しそうに見える。


「ゴアに自力で飛ぶ能力があるなら、こいつが生きてるはずはないんだ。魔術が暴発して吹き飛ばされた後、こいつは四階の屋根に引っかかっていた。ゴアにはそれが発見不可能だったか、見つけてもとどめを刺しに行けなかったんだ」

「……なるほどな。風の攻撃じゃ、ぶら下がってる相手には効果が薄い。壁をよじ登るにしても、時間の無駄だって判断したわけか」


 ミラは、値踏みするようにノヴェルを見た。


「魔術が使えないほど深手を負ってるのかもな。どちらにせよ、ゴアは飛べないという事実を示してる。ミラのいうように本当はやりようがあるのかも知れない。しかし、少なくとも今のゴアは飛べない。あいつは今頃徒歩でここに向かっている。だからノヴェルが先にここへ着いた。ここへはどれくらいかかる?」

「近道で走れば、十五分くらい。近道を知らなきゃ、広場側を回って……急いでも三十分以上かかるな」

「ほらな?」

「鳥野郎じゃなくてトビウオ野郎だったのかよ。クソが」


 思えば、とノヴェルは考える。

 最初にここの裏庭であいつを見たとき、あいつは徒歩で本館に戻った。


「待ちやがれ。もう一つ可能性があるぞ。ソウィユノ並みの技術で、こいつの記憶がまるっきり操作されてるかも知れねえ。あたいらが奴の思い通りに動くように」

「……あいつがそんなタマかよ?」

「あたいはあんたみてーにアドレナリンでハイになってねえんだ。さっきあたいらは全員オワりかけただろうが」

「わかったよ。念入りに調べろ。ただし、奴が戻ってくるまでにな」


 ミラはノヴェルの前に立ち、目をのぞき込んだが、それでは飽き足らずに親指でノヴェルのまぶたをぐいっと持ち上げ、キーワードを羅列られつした。


「ゴア……空……リン……ミーシャ、サイラスと路地裏を逃げる……」


 認識阻害で記憶を上書きする場合、副作用として特定ワードに光彩や瞳孔どうこうに異常な反応が見られる。


「ゴアの二本の剣……瓦礫……羽……暴発……」

「……ジャック。あいつは本当にここに来るのか?」

「ああ、奴の部屋を調べて、街の地図を見つけた。何かたくらんでるような線や、距離が書き込まれていたが、その中心がここだ。たぶん奴の言う『花火』だろう」

「花火……たしかに、あいつはそんなことを言ってた。夜明けがどうとか」

「ソウィユノの腕と同じだ。俺達には及びもつかない隠し玉を、まだ隠していやがる。おそらくは、夜明け頃にこの街を完全に破壊して、奴はこの塔から飛び去るつもりだ」

「あの野郎……そのつもりで、オレを殺すのを延期したのか」

「隠し玉……金玉……クソ……クソ……うんこ……」

「ミラ! 真面目な話をしているんだぞ!」

「はいはい。こいつは正常だよ。大筋じゃ何にも操作されてない」


 とにかく、とジャックは咳払いをした。


「作戦を一部修正する。奴が飛べないのを前提に、昇降機内部で待ち伏せする」

「どうやって」

「そこにメイド服があるだろ」

「またあたしかよ」

「俺もカートの影に隠れる。俺が奴の羽を押さえて情報を聞き出す。逃げられても昇降機を戻しちまえば、奴の逃げ道は自分の部屋の窓だけだ。そっちはミラがおさえろ。昇降機が十二階についたら、チーンで状況開始だ」

「待ってくれ。さっきも話したけど、狭くてもダメだ。あいつの羽は、切れ味が半端なくって……」

「だからドアが開いて、ミラの逃げ道が確保されるまで待つ。奴が羽を開く前に羽をもぎ取る。失敗した場合は、俺はこれで防ぐ」


 そう言って、ジャックは宿帳を取り出す。


「こいつは、どうやったのか知らないが、強力なエンチャントが付与されてる。物理的に破壊不可能だ。散々試したが、傷ひとつつけられん。マーリーンの置き土産だ」

「なんでそんなものに」

「……それだけ大事なものなんだろ。ま、そうはいっても鎧じゃなく宿帳だからな。広げて体にくくり付けてもだいぶ心許ないが……致命傷さえ防げれば上等だろ」

「おいジャック、正気か」

「俺達の相手はあの勇者だぞ。正気なんかで戦えるか」


 さぁ散った散った、戦いはもう始まってるんだぞ、とジャックは手を叩いた。

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