Ep.5: 銀の翼は夜明けの空に煌めいて

5.1 「俺の下半分はどこに行った?」

「おい! 大丈夫かノヴェル!」


 気付いたとき、オレは屋根の上からぶら下がっていた。

 シャツが引っかかっていたんだ。

 さっき路地だった場所を見下ろすと、すっかり倒壊した建物の瓦礫に埋まっている。

 梯子で上ってきた近所のオヤジが、俺を引きずり下ろす。


「……何があった坊主。周りはひでえ惨状だぞ」


 息を切らしながら、埃まみれの額を拭った。

 その手は土で汚れて、擦り切れている。服もぼろぼろだ。


「くそっ、こんな……。皆無事か」

「今総出で瓦礫の山から救助中で……すでに何人かは残念だが……。で、おめえは一体どうなってる」


 ゴアを探さなくては。

 奴も埋まっているのか。それとも遠くへ飛ばされたのか。

 あるいはまったく無事で、計画を進めるためにどこかへ飛び去ったのか?

 いや、ゴアが無事ならどうしてオレは生きているんだ? さっきまでオレは、まるでモズのなんとか、まさに鳥の餌でどうぞ殺してくださいと言わんばかりの恰好で、崩れた四階の屋根先からぶら下がっていた。

 一瞬だが、オレは奴に勝った気になっていた。

 正直なところ、奴が魔術師だと忘れていたのも事実だ。情けない。

 オレがあの魔術を警戒していたら、ここがこんなことには――ならなかったかも知れない。


「……すまねえオヤジさん」

「よせやい。何か事情がありそうだが、俺だって別にお前のせいとは思ってねえよ。魔法なんかこれっぽっちも使えねえんだろ」

「……すまねえ」


 それしか言えない。間違ってもゴアのせいとは言えない。

 それにしてもゴアはどこへ行ったのか。

 オレがあれだけ飛ばされたということは、あいつも同じだけ逆に飛ばされたと考えたほうがいい。

 オレを無視してどっかに行ったのは、急ぎ、何かをしなければいけなかったんだ。

 夜明けがどうとか、奴は言っていた。

 東の空が白み始めている。


「で、こっちの手伝いはできるか」

「それが――今はやることがある」

「そうか。じゃあ早よ行け。話は後で聞かせろ」


 恩に着るよ! とオレは手を振って歩き出した。

 とにかく、ジャックとミラを探そう。サイラスの話にあった、裏門の守衛に認識阻害をかけたのはミラだろう。ゴアが向かうとしたらあそこしかない。

 奴と直接戦って、気付いたこともある。


「あ、おい。まだゴブリンがいるかも知れねえからな。拾いもんだが、これを持ってけ」


 オヤジは、集めた瓦礫の中からゴアの剣を拾い上げ、寄越した。

 瓦礫の中から赤ん坊の元気な泣き声と、救助隊の歓声が聞こえてきた。

 オレは、オレが思うほど孤独ではなかったのかも知れない。



---



 クソが。痛ぇ。なんなんだ。

 なんで俺様がこんな目に遭ってる。

 あんなクソ虫みてえなガキに――。


 アグーン・ルーへの止り木の尖塔、一階ホール。

 銀翼のゴアはあらんかぎりの呪詛じゅそを吐き出しながら、ようやくそこまでたどり着いた。

 沢山の人間を殺してきた。

 殆どの者はあっさりと死んだが、全員ではない。

 ――クソ弱ぇくせに、死に際のイタチみてえな顔しやがって。最後っ屁かよ。

 皆、魔力を持っている。

 強いか弱いか、個人差はあれど、例外なくすべての人間がだ。

 それを測る方法はまだないが――死体を積み上げるうち、目を見ればどの程度の使い手かはわかるようになっていた。

 ――特にあのガキ、マーリーンの孫だとかいったが、あいつの魔力なんざ、何にも感じなかったぞ。

 自分がなぜ追い詰められ、深手を負う羽目になったのか、それがゴアにはわからない。

 昇降機は、地下で停止していた。

 ボタンを押し、一息つく。

 咄嗟とっさのことで、自分のそばで魔術を撃ってしまった。

 しかも相手が空中、自分は地上にいた。

 空中にいれば、爆発の衝撃を逃すことができた。そのダメージ差は歴然れきぜんたるものがある。

 両方の羽で壁に固定されており、あれをまともに食らっては内臓への重大な損傷は免れない。

 聴力も徐々に回復しつつあるが、元々聞こえにくい耳だ。

 気が付いたときは全く聞こえず、無音の世界にゴアは戦慄した。


 畜生。

 畜生。畜生。

 畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生。

 

 チーンと鳴って、昇降機のかごが上がってきた。

 自動扉が開くと、奥にメイドが一人、カートを押さえて乗っている。

 メイドが会釈した。

 ゴアは、ダメージを悟られぬよう、毅然と中央に乗り込んだ。

 アコーディオン状の木製扉が閉まる。


(まずいな。もうそんな時間かよ)


 昇降機が上りだす。

 ゴアは無言で扉側を向いて、上部の階数表示の針を見上げる。

 六階、七階……。

 ゴウンゴウンと地下から響く駆動音が遠ざかる。

 八階、九階……。

 きりきりと、鎖を巻き上げる音が近づいてくる。

 ゴアは、鼻をすすり上げた。

 十一階、十二階。

 メイドは途中の階で降りなかった。

 シーツの交換には早い時間だ。朝食なら――。

  ――頼んでねえぞ。

 チーン。

 振り向こうとするゴア。

 だが一瞬早く――カートの影から飛び出したジャックが、ゴアの背中にナイフを突き立てた。


「ぐああああああっ!!」


 空気が揺れる。

 これは魔術ではない。ゴアの絶叫だ。

 メイド姿のミラはゴアの横を抜け、空いた扉から外に転がり出る。


「正面警戒しろ! 壁際に避けて伏せろ!」


 ジャックが叫ぶ。

 ミラは壁際の隅に身を隠す。


「くそがあああ」


 ドン――と衝撃が尖塔の最上階を駆け、ホールにある客室の扉と壁が吹き飛ぶ。

 そこから広々としたスイートルームの奥、開けっ放しの大窓から空までが見渡せた。

 吹き抜ける海風が暴れる。

 背中に取り付いたジャックは、ナイフを動かして、背中の筋肉を削り取ってゆく。

 解体――。

 狩るより先に、獲物を解体を始める。


「大人しくしやがれ鳥野郎! お前の、お前らのリーダーについて話せ!」

「ウジ虫野郎がぁぁぁ! 俺の翼から離れろぉぉ!!」

「どこにいる!? 名前は!? 名前を言え!! そうすれば、片方の羽は残してやる!」


 だが獲物は勇者で、しかも生きている。

 認めるかよぉぉ、とゴアは背中に力を溜めた。

 傷ついた内臓がきしみ、悲鳴を上げる。出血もしているだろう。

 背中の筋肉が隆起し、ジャックは片手ではナイフの刃を押さえられなくなる。


「死ね!!」


 一閃。

 呪詛と共に、ゴアの銀翼が再び開いた。

 開いた羽は、昇降機の籠を水平に真っ二つに切り裂く。

 左腕一本でゴアの首にしがみついていたジャックは羽に弾かれ、ゴアの右脇をくぐって正面側にまで回転していた。

 勝ち誇ったようなゴアの顔が、眼前にあった。


「あ、あれ……」


 ジャックは力なく、呟いた。

 腹に凄まじい衝撃を感じた。

 馬に蹴られたような。

 ガゴンと音がして、籠の下半分が崩れる。

 見れば、正面のところで辛うじて繋がっていただけの籠の下半分が、揺れて、落下する。

 ずり落ちたアコーディオン状の扉も、続いて落下してゆく。

 落ちてゆく先は見えない。

 尖塔の十二階。

 メートルでいえば高さは五十メートル近い。一階あたりの天井まで高さが三メートル以上あるからだ。

 大陸でもこれだけ高い建物はここだけだろう。

 その最上階から、昇降機の下半分が真っ暗なダクトに吸い込まれていった。


「ジャック!」


 ミラが叫んだ。


「お、俺の……下半分は……どこに行った?」


 ジャックは、恐る恐る下を見る。

 ――ない。

 俺の、腹から下は――。

 ゴアの羽が開き切って、昇降機を切断し、先端はダクトの外壁に刺さっている。


「しっかりしろ!! ちゃんとついてる!!」


 ゴアの羽は、ジャックの脇腹に当たり、ジャックもろとも昇降機を切り裂いていたが、彼の下半分は無事だった。

 ジャックは慌てて壁を蹴り、巻き付けた左腕を軸にゴアの背中に再び戻る。


「――この野郎!! 驚かせやがって!! さっさと名前を吐け!!」

「馬鹿か手前てめえは!? 状況を見やがれってんだ!」


 ゴアとジャックは、左右は壁に刺さったゴアの羽、それと突っ張ったジャックの足だけで地上十二階の高層に留まっている。

 否、ぶら下がっている。

 ゴアも自分の羽にぶら下がっているだけだし、ジャックもそのゴアにぶら下がっている。


「手前、俺が羽を閉じたら落ちてお陀仏だぶつなんだぞ!?」

「やれるもんならやってみやがれこのトビウオ野郎! そんなのはテメーも同じだ!」


 ジャックは果敢にも、ナイフを更に深く突き刺す。


「痛ぇっ! やめろ! 本当に痛ぇんだぞ!?」


 ゴアの背筋の頑張りに、ジャックの命もぶら下がっている。

 その硬く緊張した筋繊維の束を、ナイフがブチブチとほどいてゆく。

 刃先が滑り過ぎてブチンとやってしまえば、あるいはゴアが痛みに堪えられなくなったら、羽は緩むだろう。

 その時は二人とも終わりである。


「痛ぇぇぇ! 手前、本当に狂ってるのかよ!? わかった、わかった!! 話すから!!」

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