4.2 「オレに考えがある」
台車を押しながら外に出ると、いや、もう食堂も外みたいなものだったわけだが――潮風が強かった。
夜明けまでは遠くない。
まだ暗いが、深夜の闇とは違う、濃いブルーの世界だ。
空を見た。
「あっ、あれ」
サイラスが、悲鳴のような声を小さくあげた。
「やばい、隠れよう!」
二人は、勇者が敵だと理解している。ネズミのように素早く壁際の暗がりに身をひそめた。
「裏口に回ろう」と提案すると、二人は頷いた。
石垣を降りかけた台車を引いて、オレは食堂だった場所を逆に横切る。
ドアを開けて裏通りに出た。
「裏通りだけ通ってミーシャの家……行けるよな」
「突き当りを左、四軒先を右、三つ目の角を左、二軒先を右――」
「わからん。先導してくれ」
裏通りは狭く、家の間隔も狭い。空はまるで谷底のように狭く、細長い。
これならゴアの目を誤魔化せそうだ。
先頭をミーシャが、後ろではサイラスが空を警戒している。
もうすぐ最初の突き当りだというところで、サイラスが声を上げた。
「後ろの上空!」
旋回しているゴアが見えた。まさに、ウチの真上だ。上空から狙いを定めている。
出るのがもう少し遅かったらヤバかった。
急いで角を左に曲がり、オレは物陰からゴアの様子を見た。
あいつは無言で二周旋回し、こちらへ旋回して飛んでくる。
「行け! 行け!」
ミーシャとサイラスが走りだす。
オレもリンを押して裏道を、市場通りとは反対に進んだ。
四軒先を右へゆくはずだったが、一番手近な路地裏にミーシャが滑り込む。
オレたちもそれに続いた。
この路地は真っ暗で何も見えなかった。
「ダメ! 何かあって進めない!」
「ここはまだ四軒先じゃないよ」
「仕方ないでしょ! あいつは!?」
顔を出して見ると、空にゴアの姿はない。
巻いたかも知れないが、さっきの動き――こっちの行動を読んだとしか思えない。
そういう魔術か? それとも――。
ガタッ
頭上で音がした。
真上を向くと、路地裏の家の、四階の窓が開いていた。
住人である。
「……そこに誰かいるのか!?」
必死で身振り手振りをし、見逃してくれとジェスチャーで伝える。
住人はいったん引っ込んだが、すぐにまた顔を出した。
手に、長い槍を持っている。
「ゴブリンか!?」
(ちがう!!!!)
「おい! どっかに行け!」
(しずかに!!)
住人が黙ったので、オレは釈明のチャンスだと思った。
うまく言い包めて家の中を通してもらえれば、安全に反対側に抜けられるのだが――。
そう考えていると、住人はオレ達に向けて掌を向けた。
槍ではなく――魔術を撃つつもりだ。
(逃げろ!)
住人の掌に光球が生まれる前に、オレ達は裏路地から逃げた。
「……訳を話せば、家の中から反対側に行かせてもらえたかも知れないのに!」
ミーシャがそう言ったが、サイラスは乗り気でなさそうだった。
「信じてもらえないよ」
「ああ。勇者に追われてるなんて信じてもらえないし、もし信じたとしたら、逆にオレ達は勇者に追われるような悪党だってことになっちまう」
これがジャック達の抱える孤独だ。
二人はどうしているだろうか。ゴアがここにいる間は無事と思えた。
路地裏を出て少し進む間に、後ろのほうで妙な音がした。
ギャッとかグェッとか、そんな音だ。
振り返ると、重たい音がして何かが地面に転がり落ちた。
なんだあれは。
次いでさっき
「サイラス、今、何か」
後方のサイラスも振り返る。そのまま転がり落ちた何かに数歩
く、
彼は即座に足早に……いや、全速力でこちらへ、ミーシャよりも前に出る。
「早く、早く早く早く!」
ミーシャも走り、オレもその後ろを追う。
「よこっらしょっと」
大きな声が上からした。
思わず見上げると、さっきの家の屋根の
ゴアだ。その両手には二本の剣。
剣――何を斬った。
大袈裟に肩を回し、ゴアは大きな声で言った。
「ガキどもぉ。どこへ行く気だ」
振り返る。
バレた。
オレ達は全力で四軒目の先を右へ入る。
長い真っすぐな裏路地が続いており――しかも暗い。
左右に身を隠せそうなところも――すぐには見つからない。
すぐ上の屋根の上を、じゃらじゃらと金属音がついてくる。
「逃げろ逃げろ! だはははは!」
言われなくても逃げる。
ガラガラと台車を押しながら、路地裏の中ほどまで全力疾走する。
「ほうら! 上からいくぞ!」
ゴアが掌を前方へ
ドーン、ドーン、ドーンと空気が数度鳴った。
空気だけじゃない。壁も地面も鳴って、普段ならそれだけで腰を抜かすくらいだ。
左耳がおかしくなって、前方左側の家の三階から上が砕ける。
「うあああぁぁっ」と、サイラスとミーシャの叫び声に紛れて、家人と思しき悲鳴が響いた。
ランプが飛び、崩れ落ちた壁の間からベッドが滑り出てきた。
それは走るサイラスのすぐ後ろに落下する。
「ぶはは! ベッドの下でオネンネするところだったぞ!」
クソ野郎の罵声、土くれ、木片が降ってくる。
オレは台車のリンを守るように体を前に倒しながら、土煙の中を突き進む。
ドーンと、更にもう一度。
一軒先の上部が吹き飛ぶ。
前を走る二人は、自分の頭を
右へ左へ、次々落下してくる木片や建具、壺、椅子、ベッドを避けながら立ち上る土煙の中を全速力で走る。
もう少し暗ければ、路地に身を隠すこともできただろうが、生憎時刻はもう早朝だ。
次から次へと落ちて来る瓦礫のかけらを、オレは背中と後頭部で受けながらとにかく必死に走る。
土煙に突っ込むと何も見えなくなり、飛び出すと瓦礫が降ってくる。
その繰り返しだ。
「ぶひゃひゃひゃひゃ!」
笑い声が、背後上空を右から左へ移動した。
「何を運んでいる! お引越しか!? 手伝ってやろう!」
背後で、爆発が起きた。空気の爆発だ。
視覚も聴覚もブラックアウトして、足元から地面の感覚さえ消える。
腕だけは。
この腕の、この手で掴んだ台車だけは、死んでも離すもんか。
ほんの数秒後、オレは背中から壁面に叩きつけられる。
どうやら、風圧で空を飛んだようだ。
台車は掴んでいる。だが、リンがいない。
ただでさえ暗い上、土煙が濃くて何も見えない。
「リン!」
手探りで探すと、地面に投げ出されたリンを見つけた。
抱え上げる。
見上げると空が見えない。
土煙が立ち過ぎたのだ。
リンを抱えて必死に走ると、ようやく裏路地を抜けた。
「ノヴェル! こっちへ!」
先の、また別の裏路地から二人が手招きしている。
上方を警戒しながら、オレはその路地へ飛び込んだ。
「皆無事か」
「なんとか」
一息つく――わけにもいかない。
口いっぱいに広がる血の味がするのも、ここまでどうにか逃げたお陰だ。
だが、このままでは逃げきれない。
この路地に入るところも見られたかも知れない。
そうでなくとも奴は上だ。見つかるのは時間の問題、それもおそろしく簡単な問題だ。
「サイラス、オレに考えがある。お前達はリンを連れて、ミーシャの家に」
「ノヴェル! 君は、何を!?」
「全員じゃ逃げきれない。オレが、なんとかする」
「なんとかって!?」
大した考えでもなく、とりあえず
「いいから行け!」
二人はリンを抱えて、後
「ノヴェル! あいつとやり合おうなんて考えるな!」
誰かにも言われたセリフだ。
「あんた何もできないでしょ!」
ああ、今夜はよくそう言われるな。
「オレが一番よく知ってる! リンを頼んだぞ!」
オレはリンを二人に任せた。
これでもう、守るものはない。あとは時間を稼げば稼ぐほど、仲間たちが安全になる。
オレはヒーローにはなれない。だが奴が
そうして、オレは路地を飛び出した。
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