3.2 「帰りたい」

 アグーン・ルーへの止り木の地下。

 サイラスは、時折一階へ行って様子をうかがっていたが、やはり変だと感じていた。


「どう? だめ?」

「……誰もいない」

「変ね」


 ゴブリン襲撃の開始から五時間経つ。

 三時ともなれば、ゴブリン討伐を終えた者、または疲れた者が戻ってきてもいいはずなのだ。

 それなのに誰もいない。

 不気味な静けさだった。


「どうなったのかしら」

「門が陥落して……酷い被害が出たけどゴブリンのほとんどはもう退治されたって聞いたけど」


 その話はもう二時間も前に、門の守衛から又聞きしたものだ。

 今はどうなっているのか、守衛も知らない。


「門って西門よね。家の近くなんだけど」

「心配だよね」

「帰りたい」


 心配の種はまだある。ノヴェルだ。

 祖父を失って、怪しげな冒険者二人に連れていかれた。

 サイラスはあの二人にここで出会って、いいように利用されたわけだ。

 口を滑らせたばかりに、あの二人とマーリーンが対峙することになった。

 まったく話は通じてなかったようだけれど。

 尤もそのあと、ロイという謎の男が現れて、マーリーンを連れ去ろうとしたことにはもう責任を感じていない。

 どうにも内輪揉めのように見えたからだ。


「ノヴェルは大丈夫かしら」

「大丈夫ということはないと思うけど……妹さんのことで手が一杯だろうし」


 心配だった。


「あの二人、ここに居れば大丈夫みたいに言ってたけど」


『ここの地下に居ろ。そうすりゃ八割のほうになれる』――確かにそう言っていた。

 その真意が、サイラスにはわかった。


「地下だよ。下町のほうは地盤が固くて、地下室が少ないから」


 事前に調べていたのだろう。あのジャックという男は、見た目よりも切れ者だとサイラスは思う。

 だが善人だろうか。

 七勇者よりも、信頼に足るのだろうか。

 それはわからない。

 普通に考えて、そんなわけはない。


「地下室ならうちにもあるわよ。お酒を扱ってるもの」

「じゃあご両親もきっと大丈夫」

「……帰りたい」


 ミーシャは安心したいのだろう。

 勝気なところはあるが、十六の女の子だ。

 サイラスは彼女をここに留めるのが使命と思っていた節はあるが、五時間もこうしているとさすがに悩んでいた。


(……一刻も早く家に帰してあげたいけど)


 日が上るまであと一時間半。

 天気が悪ければ明るくなるまでもう少しかかるにしても、こうなったら待っているのが得策だ。

 全員がゴブリンに殺されたとは思わないが、不気味な静けさがある。

 この静けさこそ、ここが危険ではないが、安全だとも言い切れないその理由だ。


「……もう一度、様子を見て来る」

「待って。今見たばかりよ」

「今度は裏門の衛兵に聞いてくる。一度に全部回ると、時間がかかるからね」


 君を一人にしてしまうからね、とまでは言えなかった。


 地下室を出て、裏門へ回る。

 裏門に併設された守衛の詰め所へ近づくと、いつも通り見慣れた人影があった。

 しかし、そのシルエットには、言い知れぬ違和感を覚えた。

 呼びかけても返事がない。寝ているのだろうか。

 ――姿勢よく座ったまま?

 小走りに近寄ると、守衛のジョーンズは目を開いていた。


「ジョーンズさん!」


 呼吸はある。生きているようだ。だが、目を開けたまま、眠ったようにしている。

 強めの認識阻害に当てられているのだとすぐにわかった。

 守衛としては甚だ心許ないが――相手が手練れなら、まともに目を見てしまうだろう。


(何か起きてる!)


 サイラスは地下室に飛んで帰った。

 ミーシャが「どうしたの?」と心配そうに聞いてくる。


「侵入者だ。ここももう、安全じゃないかも知れない」


 ジャックのいうことを信じるとするなら、当面の危険は勇者から身を護ることだ。

 だが空飛ぶゴアが守衛をどうこうすることは考えられない。

 ゴアでもゴブリンでもない、第三の脅威があることを意味した。


「どうしよう、逃げなきゃ」

「逃げるって……? でも何処へ」

「……こっちが聞きたいわよ! あんな空飛んでるわけわかんない奴が敵なんでしょ!? 安全な場所なんてあるわけない」

「あの人は地下にいろと言った。考えなしの発言とは思えないよ。それに、まだ七勇者が敵と決まったわけでは」

「呆れた! あいつが正義の味方に見えたわけ!? あいつが泊まってるから安心だって!?」

「そうは言ってないよ。でも当面の間、ゴブリンたちが」


 言いかけて思う。

 なんだかんだ言っても当面の敵はゴブリンだと、サイラスは思っていた。

 ゴア、ゴブリン、それ以外。

 この三つのトラブルのそれぞれの脅威度を比較し、順位付けできていないのが、彼の行動を鈍らせていたのだ。


「……いや、なんだろう。ずっとわからなかったんだ。ゴブリンが攻めて来るって言われても、実感というか、意味がわからなかった」

「そんなの誰だってそうでしょ」

「なんというかちょっと、何か裏があるんじゃないかって。考えてもみなよ。ゴブリンだ勇者だって騒ぎになって、結局、昨日この街は大陸で一番安全なんじゃないかってなってた。本当なら避難だってすべきなのに、逃げなかった」

「……他が手薄になってるって言いたいの? そうだとしても、なんもできないじゃん!」

「それも考えた。あ、いや、なんとなくだけどね。勇者はマーリーンを探してた。大惨事を起こして、大賢者をあぶり出すつもりなんだって」

「そんな必要ないでしょ。大賢者は看板げてショーやってたんだから」

「……あれが本物なんて思えないよ。うちの父さんが雇ったんだぞ。給料がいくらだと?」

「じゃあ、二百年も前の伝説の賢者を探すために、ゴブリンを呼び寄せたって言いたいの? ……どうかしてる」

「馬鹿げてるのは承知だよ。でも一つの考えとして聞いてほしい。街の人口が三万人。この街には、宿屋の部屋数が約六千部屋ある。……それが満室になった・・・・・・のがどうも今日……あっ、もう昨日か……らしいんだ。偶然だと思うかい」

「あの男が言ってた『人口の二割』っていう話? まさか……」

「もちろん、冒険者だけを狙って殺せるはずもないし、街の衛兵だって犠牲になるだろう。冒険者の数を入れて計算していいのかもわからないよ? だからこれは、切っ掛けというか……引き金というか……」

「何が言いたいの?」

「最低でも確実に六千人殺せますよっていう保証……いや根拠・・、とでもいうかな。あらかじめ、そう決めていたんだとしたら? 君だって商売には詳しいだろう? 計画には、対象と目標が必要だよね。予算があるとして、これだけの根拠があれば見合った収入が期待できますね、みたいな」


 人口三万人の都市を救うために、二割に相当する六千人の命が必要だった。

 この計算に意味があるのかは別として、それを担保するために、作戦開始の目安として宿の空室率がゼロになるのを待っていた。

 サイラスの説ではそうなる。


「何それ、滅茶苦茶じゃない。だいたい最初から街の人を六千人殺せばいいんじゃないの? 考えたくもないけど」

「一般市民を手にかけるのはリスクがあるよね。そんなの計画にならない。冒険者なら、戦闘中の事故ってことで処理できる」


 ミーシャは黙り込んだ。

 普段あまり沢山話さないサイラスも、少し疲れて黙った。

 自分の言ったことを考えている。

 思いつきだ。思いつきにすぎないが、一度口に出してしまうと、どうもそうとしか思えなくなる。


「つまりこういうこと? ゴブリンは……大賢者を探すため、冒険者を六千人集めるためのエサだったって」

「……うん。そうかも」

「黒幕は勇者」

「ほかにないと思う」

「ゴブリンは退治されたのよね。だから二の矢がある……?」

「憶測だけどね」

「つまりあなたも、あの空飛ぶ奴は敵って見做すって話よね」

「そうなる」

「何のための計画かわからないけど、罪もない人を巻き込んで殺す計画を立て、殺さなかった人たちから敬われて正義ぶってきた」

「ジャックって人の話とも合致するよ。ここまで状況がそろえば、彼の言うことが全部でたらめとも思えない」

「……それに気づいた私たちってさ、もうヤバいんじゃない?」


 ジャックは、ミーシャとサイラスに「部外者」と言い放った。その上で、あまり多くを語らなかった。

 おそらくそれは、それ以上話すと二人の身に危険が及ぶからだったのだろう。

 最悪の危機は、この宿にいるゴアだ。

 ゴアから身を護るのは地下室が最善なのはサイラスも同意見だが、ここにはゴアがおり、次に何をしでかすかはわからない。

 ここにはさらに第三の危険が迫っている可能性すらあるのだ。


「だから逃げよう」

「私の家の地下へ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る