Ep.3: 残された者たち
3.1 オレはまた孤独になった
アンジーはアグーン・ルーへの止り木の新入りメイドである。
(どうせチップなんかくれない癖に……)
深夜のとんでもない時間にベルが鳴って
配膳カートを押して尖塔の昇降機に来ると、昇降機の針はまたしても最上階ペントハウスを示している。
その下の階に止まっているのは見ていない。
下階の客室のドアには「無用」と書かれた木札が下げられたままであり、そちらはそちらで本当に生きているのかどうかと心配になる。
(あのお方は今日もお留守かしら)
ペントハウスの客と真逆で、眉目秀麗で紳士的。絶対にチップを弾む客だと思ったわけである。
およそ一か月前からの長
呼び出しがかかるのはペントハウスの客だけで、あまりにも横柄なので他のメイドが敬遠するわけだ。それで新人アンジーが付き人のようになってしまっている。
一階上のペントハウスの客は、あの方のお連れのようだけど全然品がないわ。
態度も横柄。
金持ちの客なんてみんなああなのだろうか。
尖塔の部屋に泊まれる客は一部の常客に限られており、
――そう、先輩が噂しているのを聞いただけだ。
もっともご主人は上機嫌で、前例のことなど気にしてはいないようだけれど。
そんなことを考えている間に籠が降りてきた。
乗り込んで最上階のボタンを押す。
尖塔の昇降機はこれ一台きりなので、メイドや配膳車の同乗が許されている。
尖塔は十二階建て。
各階にひとつだけスイートの客室がある。
最上階に着いた。
最上階に廊下はなく、昇降機を降りてすぐ客室の扉がある。
「給仕に参りました。こちらでよろしいでしょうか」
「中へ置いてけ!」
下品な、大きな怒鳴り声がした。
これだ。これだから嫌なんだ。
失礼します、と言ってドアを開けると、正面のベランダに男の影があった。
深夜三時である。
開け放たれた窓から海風が入ってくる。
男は上半身裸で、こちらを向いているようだ。
ソファーの上に脱ぎ散らかされた、上物っぽい上着が置いてあるが、背中の部分が破れているのが気になった。
「ついでだからそいつも持ってって捨ててくれ」
「よろしいのですか」
「いいって言ってるんだよ!」
いつにもまして機嫌が悪そうだった。
「下の奴は戻ったか!?」
「存じ上げません」
「ベッドメークに行くだろ!」
「ひと月ほどお戻りになった様子がございません。今夜も同じでした」
チッ、と唾でも吐くように男は舌打ちした。
「おい、この街にはよ。サーチライトみてえのはあるか」
「サー……なんでしょうか」
「サーチライト! でっけえライトだよ! ランプとか火の灯りじゃなくて、電気で照らす奴! 空とかビームみてえに」
ビームとはなんだろうか。
「……わからねえならいい」
男はスッと引いた。
ベランダからは街の中心部が一望できる。
そちらを向き直って、男はやや不審げに呟いた。
「……予定外の花火は気に入らねえな。あの光は何だったんだ」
その背中に、大きな羽があった。
---
オレが気付いたとき、まず崩れかかった天井が目に入った。
夢の続きなのか、それとも。
「おう、気が付いたか」
聞いたことのあるような声がしてそちらを見ると、見たことのあるような男がいた。
途端に体が跳ね上がる。
「――リンは!?」
そう口から出たが、リンに何があったのか。思い出そうとすると頭が痛んだ。
見慣れた食堂だ。
だが見る影もないほど破壊されてしまっている。
天井が今にも落ちてきそうなほどだ。
男、ジャックは一つだけ無事な椅子に腰かけて、
「意識はあるがまだ動けない。ミラがついてる。ひでえ怪我だったが、お前の爺さんの薬が効いてるみたいだ。お前もこの薬のお陰で無事なんだぞ。意識がねえから口に突っ込んでやったところだ」
――夢じゃなかった。
本当に? 全てが?
街がゴブリンに襲われて、爺さんも死んで、爺さんがマーリーンだとか言われて、このまま世界が滅ぶとか、リンが危ないってここへ戻ってきた。
リンが人質にされて、
「……ん? 待てよ? ってことは、リンと間接キスしちまったのか!? まずいだろ! 一応兄妹だぞ!?」
「気にするのがそこかよ。どうやらどっか打ち所が悪かったみたいだな。安心しろ。先に俺が飲んだ。だからお前の間接キスは、俺とだ」
ピンピンしてるぞ、とばかりにジャックは椅子から飛び上がって立った。
こいつ、ソウィユノを刺したはいいが、そのあと腰も立たなくなって
頭の霧が晴れてゆく。
爺さんは、マーリーンだった。
そしてソウィユノを道連れにして、光の爆発に飲み込まれた。
妙な技能で人の意識が読めなくたってわかる。あの眼は、死を覚悟していたんだ。
「うちの爺さんが……あの七勇者を……?」
なんだかバカバカしくなってきた。
バカバカしくてへらへらしていると、ジャックが心配そうに覗き込んできた。
「いやお前、マジで頭打ったんじゃねえか? 役立たずの昼行燈の上に、正気まで落としちまったか?」
「だって笑うしかないだろ! どうして、どうしてうちの爺さんがあのソウィユノを!?」
「ああ、ソウィユノはマジで厄介な奴だった。マーリーンでさえ……。おそらくあの一瞬で、ナイフを鏡にして自己暗示をかけ、奴の意識の読み取りを掻い
あのとき、爺さんがナイフを見ながら独り言みたいに言っていたのは、意味があったんだなぁ。
なるほどと思ったがまるで他人事だった。
ジャックの話は、意識の上を滑ってゆく。
どうしてと言ったのはそのことじゃない。細かい方法じゃなく、『家族が勇者に殺された』『家族が勇者を殺した』その事実が何を意味するのか、その先が解らないのだ。
「どうなるんだオレたち」
これだ。これが正しい質問だ。
何かを納得したような表情になって、ジャックは言葉を選びながら話す。
「法的に、これが殺人になるのかは微妙なところだ。道義的にはともかくな。奴らはもう何十年も人間社会と一線を引いて、本名も、出身も、どう勇者になって、どう暮らしているのか、自らその痕跡を消した。例えばあのソウィユノだが、あいつの生まれは北の遊牧民、ウィ・ノーソ・メヌの生まれで、本名らしいことも分かってた。だがその民族はどうなったかというと――」
「探しに行ったのか」
「探し回った。民族は根こそぎ消滅していた。どこへ行ったのか、誰も知らない。移動した痕跡もなく、ある日忽然と姿を消した。最後の目撃は十五年前だ。あいつは本名で生きるために、出自のほうを消したんだ」
あの男は、自分が嘘をつかないためには何でもした。
実物を見た後では信じられるが、その前なら酷い
誰だってそう思う。ジャックたちは孤独だ。
「とにかくマーリーンは自分の家族を守った。そこに疑問の余地はない。全てが明らかになれば、誰もお前達を責めない。この世で、残る勇者達を除いて、だが」
心臓が縮みあがるのを感じた。
「ならなければ?」
「英雄殺しだ。それか報復の的か。その両方かも。まあ奴らもおいそれと、勇者が殺されたなどと言わんだろうから、報復のほうだろうな」
おい、ジャック、言葉を選ぶのを忘れているぞ。
「そんな顔するな。お前だけが世界の敵ってわけじゃねえ。俺たちもだ。マーリーンも、死んだロイも――ロイは化け物と話すのが得意で、ゴブリンとも仲良くやれた。だから潜入させていたんだ。そういう、死んだ奴らの名誉も俺たちにかかってるって言いてえのさ」
考えがまとまらない。
そのためにどうすればいいのか。いや、それが究極の目標でいいのか?
「まあ、俺とミラは、そのためにまだやることが残ってる。お前はここまでだ。ここでリンを
「……!?」
返事が出てこなかった。お前はここまで、それは待っていた言葉のはずだった。
いざその言葉をかけられると、想像を絶する無力感に胸が押しつぶされて、声が出ない。
「こればっかりはゆっくり考えろとは言えなくてな。お前には選べないだろうから俺が選んでやるっていってるんだ」
「……オレが役立たずだから」
「お前は充分役に立った。俺達は、奴らと同じ目標を狙うのは
立ち上がった表情は、闇夜に溶けて見えなかった。
「待ってくれ! 行かないでくれ、まだ聞いてないことがあるんだ! オレは……」
代わりに、苦々しい表情をしたミラが一階奥の部屋から現れた。
憐れむような、悲しむような、
「リンは大丈夫。眠っているだけだ。兄貴ヅラしてえなら医者に診せてやるといい。夜が明けて混乱が収まっていたらな」
「……ミラ。リンが起きるまで、居てくれないのか」
「甘ったれんな。お前とリンは、まだ孤独じゃねえだろうが」
まだ。まだ孤独じゃない。
さすが、こちらの弱点を的確に突いてくる。
オレみたいな
こうなればもう、オレは白旗を
「ど……が……」
言えなかった。
「ここで尖塔を見ていろ。もし、尖塔に火が出たら合図だ。リンを抱えて街から逃げろ。なるべく大勢を連れて、南門から森へだ。オルソーまで行け」
「う……」
「……できるか? 無理なら、地下室を探して避難しろ。ここの下町には少ないみたいだから、あくまで最後の手段だ」
二人が行ってしまう。
彼らはまた、孤独の中に身を投じて、オレと爺さんのための戦いを続けるつもりだ。
「ど……どこへ行くんだ! どうするつもりだ!」
「そうだな。ソウィユノによれば来ている勇者はあの銀翼のゴアだけだ。奴がソウィユノが戻らないのを不審に思って、プランBに切り替えるのを警戒してる」
「プランB……?」
「ゴアによる、直接の虐殺だ」
「虐殺」
「奴らは、マーリーンを引き込みそびれた帳尻を合わせるつもりだ。ゴブリンによる
「勇者による直接の虐殺は、目撃者があってはならない。空が飛べるゴアならそれが可能だ。夜のうちに、実行するだろうな」
「じゃあ! ここも安全じゃないだろう!」
「そうなる前に俺とミラが止める」
「何言ってんだ! できるわけないだろ!」
「手はある。間に合わなければ尖塔に火をつけて知らせるから、今言った通りにしろ。がんばれ」
何かできることはないのか。オレに。
冷静に考えて、魔力のないオレにどうこうできることがあるとは思えない。
それでも、何かしなければ爺さんに顔向けできない。
「そうだ、これを」
オレは爺さんから受け取った二冊の宿帳を差し出した。
「だから、何なんだこりゃ」
「わからねえが……何の意味もなく爺さんがオレに託すとは思えなくって」
「そりゃそうだろうが、お前に、だろ? 一冊は、ソウィユノのことを警告するためとして、この古いのはなんだ。俺がこれ持ってど……」
ページを開いたジャックは、何かに気付いたように手を止めた。
「そうか、二冊あるのは……なんとなく読めたぞ。この古いのは、勇者を追う者に託したんだ。もしお前が俺達と来る未来があるなら、こっちを手にするはずだった……? マーリーンはそれを委ねたが……いや、大事なのは二冊あるってことだ」
「なんだ、わからないぞ。何かわかったなら」
「この古い方は俺が預かる。新しい宿帳はお前が持て。これがマーリーンの見た未来だ。たぶんな」
そう言い残して、二人は夜の闇に走っていった。
そうしてオレはまた、孤独になった。
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