2.5 「殺せば死ぬ。道理でありましょう」
燃え上がるような、しかし真っ暗な闇があった。その闇が、巨大な腕の形になり、
ソウィユノの右肩からだ。
こんな魔術を君たちは見たことがあるか――奴は勝ち誇ったようにそう言った。
少し考えるうち、段々
こんな風に
まして闇、だろうか。闇とは光の
魔力に
家に手刀だと? こんな破壊力と正確さで――。
立っているのはソウィユノと、背後のミラのみ。
ジャックはギリギリのところで腕の一撃を
「おや。少女に当たってしまったかな。君が
リンの居たテーブルが、無い。
テーブルは砕け、椅子はぺしゃんこになって散らばり、リン、リンは――。
壁の近く、粉々になったテーブルの木材の中に倒れ、小さく
多量の出血をし、
「リン!!!」
オレは叫んで、駆けつけてしまっていた。
もう一人居たのか、とソウィユノは笑った。
「これはこれは。今日は来客が多い。この無欲のソウィユノ、我が理想の
ソウィユノは一人、まだ朗々と何かを
オレは倒れたリンに取りすがり、呼びかけた。
返事はない。
どうにか直撃を
ゴボゴボと口から血の泡を噴くばかりで、オレは何とか
出血を、傷口を押さえて……。
「ダメだ! 血が止まらない!」
視界が
「助けて!」
誰か、誰か治療を。
止血ができる魔術はないのか?
ミラは口を押えて、こちらとジャックとソウィユノを交互に見ている。
ジャックは
オレが今こそ魔術を――。
「水の神スプレネムの名において――止血を……」
手を
当たり前のように、何もおきない。
「風と大気の神アトモセムよ。
何も起きない。
「なんでだ! なんで誰も
ミラが、弾かれたようにこちらに駆け出したが――ソウィユノの左手に
オレが使えない魔術を必死で試すのを、ソウィユノはさぞ面白そうに見ている。
奴は笑いながら血に汚れた自らのマントを取ると、その左の脇腹に、鮮血の
そこから真っ黒で小さな無数の腕が生えていて、奴の傷口を
「お願いだ、勇者よ。あんたの目的は爺さんなんだろう!? オレがマーリーンの孫だよ! オレがリンの代わりになる! 頼むから、その魔術でリンを救ってくれ!」
「……ん。なるほど。悪い話ではないな。だが見たところ、手遅れのようだが」
ハッとして、リンを見た。
呼吸がない。血も噴いていない。
目隠しを外した。
その眼には――光がなかった。
「――リン? ……リン」
「案ずるな。私なら、その死んだ娘を
蘇す――だと?
「……耳を貸すな、ノヴェル。そいつの言っているのは……蘇生なんかじゃない。死霊術のことだ……」
君は――とソウィユノが巨大な腕で、ジャックの足を
「君は少しおしゃべりが過ぎるな」
そう言って、ジャックをポイと真上に放り投げる。
ジャックは崩れかけた天井を突き破って消えた。更に上階の天井に当たる衝撃の後、再びその穴から落ちてきて床に激突した。
ぐったりと倒れたジャックの上にばらばらと、天井の木材が
どうすればいいんだ。
爺さん――。
『困ったら割れ』
そうだ。爺さんから預かった、あの黒い小瓶がある。
この状況で、何の役に立つかは知らない。
知らないが、もうこれにすがるしかない。すがると決めたら、もう迷うことはない。
ポケットから瓶を取り出す。
その口を捻ると、瓶のくびれた口がポキリと折れた。
すると、不思議な光が、中から漏れ出す。
妖精のような、光る小さな粒が互いに踊るように空中に、飛び出してくる。
なんだこれは。
わからない。
わからないが、オレはもう夢中で、それを捕まえた。
リンの口に、それを放り込む。
飲み込まない。
だから瓶をリンの口に押し込んだ。
「なんだね。それは」
リンの口から、光が漏れ――。
その眼に、輝きが戻る。
リンは激しく何度かむせ返り、血の塊を吐き出すと……呼吸を始めた。
「それはなんだね。どういうものか。どこで手に入れた。言いたまえ」
焦りだ。
その言葉の
オレが知るかよ。
そんなことより、リンを連れてどう逃げるか。
何と言って奴の気を
「答えないか。いや、知らないのか? ならば仕方がない。その娘を裂いて、取り出して調べる」
ソウィユノが、あの大きな黒い腕を振り上げた。
オレはリンと腕の間に立って……こんなことしたって、あの腕の破壊力だ。気休めにもならない。
黒い腕は、天井近くで拳を握り、そこから真っすぐにオレとリンの方へ――。
「ワシが渡した」
よく知った声がした。
鼻先まで迫った腕がピタリと止まる。
オレの背後を見たソウィユノが、目を
「あなたが……あなたが大賢者か」
振り向く。
そこに、ゾディ爺さんがいた。
爺さんは、死んでいなかった。
「やれやれ。遅くなってすまんの。魔物どもが、思ったより散らけていてな。まさか、七勇者に手を出す
そう言いながら、爺さんはリンの横にしゃがみ込んだ。
「全く。苦労をかけた。痛かったろう。怖かったろう。死んでも
頬を撫でる
「動くでない。肺の出血を止め、心の臓の
「どういうことかね。どうしたらそんなことが」
「何。ただの救命処置じゃよ。お主、人間は殺せば死ぬと、そう思うておるじゃろ」
「殺せば死ぬ。道理でありましょう」
「そうして何人も殺してきたか? ワシのために?」
「大賢者よ。私は無欲のソウィユノ。一命により、貴方様をお迎えに上がった。
「これまでの、
「
「シラを切りよる」
オレは……ようやく口が
「爺さん……オレはてっきり、あんたが死んだんだと。魔術ショーに出た後、ロイって奴と戦って」
「魔術ショー? 何のことかわからん」
「サイラスの家の、酒場で『マーリーンの魔術ショー』が」
「あの悪趣味な宿か。知らん。
「なら今までどこに!? 心配……したんだぞ!」
悪かった悪かった、と爺さんは表情一つ変えずに言った。
「何。その者がここへ来たとき、すぐにわかった。ワシに害意のある者には、看板が違って見えるようにしておいたからの。ワシは一旦外に出て、街の外でゴブリンどもを見つけた。大勢な。奴の暗示を
「阿片……?」
「まあ、そんなもの沢山はないからな。少量じゃよ?
「……」
ソウィユノは苦々しい表情で聞いていた。
「……お話はわかりました。なぜ今宵の襲撃が大失敗に終わったのかも。予定数の死者を出せず、このままでは大変な事態になりましょう。だが、貴方様の責任は問わないとお約束します」
「もう少し喜んでくれると思ってしたことじゃがね」
「その
そりゃそっちの都合じゃろ、と爺さんは言った。
爺さんは落ちていたナイフを拾い上げ、
ナイフの刃を見つめながら、ソウィユノに聞いた。
「ワシはこの者らの安全さえ保証してもらえればいい。さて、この老いぼれに、一体何をさせようというのか」
「お答えする言葉を持ちません。私などには理解できぬこと。あのお方に直接お尋ねを……さて」
「まぁ、連れてゆくがよい。ワシは元よりその覚悟よ。……孫の顔を見たら、決心が鈍ってしまうがね」
「……
なんだかさっきから妙だ。
ソウィユノは一歩も動かないわりに、落ち着きがない。そわそわとして、正面から爺さんを見ない。
何かを警戒しているような、待っているような。
「さても、さても。さても、といったところですが」
「なんじゃ。早く連れて行け」
「よろしいのですか」
「かまわんよ。ワシはどうせ死んだと思われてたみたいだし」
爺さんは残った椅子の座面にようやくナイフを置くと、呆れたように言う。
待て、待ってくれ。
それでいいのか? 本当に?
「……爺さん、行かないでくれ。そいつらの仲間になんかなるな」
「心配するでない。孫よ、お前達にしてやれなんだことの多さよ。二百年生かされて、これほど悔しいことはない。だが」
爺さんは振り向きもせずに言う。
「元々、この世はもうお前達若者のものじゃ。お若い人、名も聞けなんだが、孫たちが世話になったようだ。礼をいう。さぁ、あとは、お前達に任せたぞ」
待ってくれ。
自分だけ言いたいことを言いやがって。
こっちはまだ言いたいことがあるんだ。
なのになぜだ、言葉が何も出てこない。
ソウィユノはまじまじと爺さんと
おそらく、読み取っている。
爺さんの真意を。
「……たしかに。大賢者マーリーンよ。貴方様のご覚悟は拝見しました。参りましょう」
ソウィユノの巨大な腕が伸びて、爺さんを掴んだ。
爺さんの痩せた体が持ち上がる。
そのとき、爺さんは一瞬だけちらりと――こちらを見た。
そのままソウィユノのほうに引き寄せられ、額が付くほどの距離になった。
と。
ソウィユノの顔が、歪んだ。
二人の足元が、真っすぐの直線で四角く切り取られる。
そこから、光が伸びあがる。
「な、何を」
「結界じゃな。逃れられんよ?」
ソウィユノの背中を治療していた黒い小さな腕が伸びて、光の壁を破ろうとする。
その腕は、光の壁に当たって破裂し、闇をぶちまけて消滅した。
「あなたは……
「お主の技術はいいとこ二流よ。ワシの看板も見破れなかったんだから。そんなもんに頼っているから」
「私を!
苦しみにもがく様に、奴は叫んだ。
「謀る? そんな上等なもんじゃないて。お主、騙されたんだよ。バーカ」
長髪の僧は、化け物じみた声を上げて
何を言っているのかはひとつも聞き取れないが……凄まじい
「こんな! こんなことがぁ!! こんな老人に、この……」
「ああ。ああ。無欲のソウィユノな? お主ら、よくそういう二つ名を名乗れるよね。自分でさ。とはいえワシも、いっぺんやってみたかった」
気が付くと、オレの肩に掴まってジャックが立っていた。
ミラも、リンを
「我は大賢者マーリーン! 光の神フォテム、その名を
ぐああああ、とソウィユノが絶叫した。
その黒く巨大な腕に力が
ブチブチと音を立ててその腕は弾けつつあるが、尚も力強く、爺さんを掴んでいた。
「……ああ、やはり、こそばゆいものじゃな。しかしよかろう、死ぬ前くらいは」
「馬鹿な! でたらめだ! 光の神などいない!」
「
「……つ、造った……?」
一瞬、
「
ソウィユノは獣のような形相になった。
暗黒の腕がひと際力強く、爺さんを締め上げるのがわかる。
爺さんは光の壁の中から、こちらを見た。
苦しいはずだ。
それでも――フッと小さく笑った。
まるで懐かしいものを見るような、少しの寂しさを残して。
光が弾けた。
目を開けてはいられないほど。
続く
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