2.4 「宿無亭はこちらですか」

 裏道に入って無宿亭やどなしてい辿たどりついたオレ達はまず、いきなりドアを開けるのをやめた。

 これだけだって大きな成果だ。ここに七勇者の一人がいると知らなければ、オレはドアを開けてこう言ったに違いない。

 七勇者は敵だ! 逃げるぞ!――と。

 危ないところだった。

 爺さんのことはなんと言っただろう。爺さんが死んだぞ、とは言わなかったろう。爺さんなら大丈夫だ、かも知れない。

 そうだ、あいつらの目的が爺さんなら、まだ生きていることにしてそっちに向かわせればいい。


「爺さんは無事だということにしよう。それで時間を稼いで、リンを引き離す」

「だめだ。目を合わせた瞬間にバレるぞ」

「あたいが行く」


 大丈夫か? とジャックが聞くと、ミラは懐から小さなケースを取り出した。

 中には液体と小さな、半透明のレンズが二つ入っていた。レンズの表面には、瞳の光彩が描かれている。


「認識阻害、パッシブ系ならこのハードフィルムである程度しのげる。あたいの意識を読み取るとか、そういうスケベな能力をだ。クソ痛ぇがな。あのソウィユノ相手にどれだけ効果があるかは知らねー」

「まず中の様子を探る。宿の中は見えるか? ソウィユノのことは思い出せるか?」

「あいつは……たぶん、最後に来たやつだ。銀色の長髪、白いマント……北部の遊牧民が着るやつ」


 すらすらと思い出せる。

 姿に対して認識阻害はかかっていなかったということか。名前にはかけたのに、どういうことだ。


「マーリーンが近くにいたんだろう? 大がかりな手はけたはずだ。それでも痕跡は残したくなかったんだろう」

「わからねえ。偽名でもなんでも書けばいいだろ。こんなことをする意味は……」


 ミラは「そんなのはあとだ」と言って眼にレンズを入れた。


「中はどうなってる。外から見えるか?」

「ああ、戻って通りに出れば、窓から一階の食堂が見える」


 宿無亭は、入り口こそひっそりと裏道側にあるが、一応表通りに面した並びにある。

 来た道を戻って通りに出れば、建物の外観が見られる。


「通りに出て十四軒目、木枠の薄茶色い化粧壁で、ええと、石垣が出てるから窓枠はちょっと高くなってて」

「……面倒くさいな。そっちはお前が見張れ。俺は合図を待って上から侵入する。おっと、これを」


 ジャックはいつの間にかライトメイルを脱いでいた。

 軽装になったポケットから、小さなガラスのカプセルが十二個並んだケースを取り出し、そのうち一つをこちらに寄越した。

 更にミラにも渡し、ひとつを自分の耳に入れる。


「こいつを耳に入れろ。知ってるだろうが、音ってのは空気の振動だ。このカプセルの空気は、この三つがセットでこいつの中の空気が同じ状態を共有してる」

「つまり、こいつで話ができる? 離れていても?」


 カプセル内に密閉された空気が、離れても状態を――伝達する? 瞬時に?


「おいこれって……滅茶苦茶すげえじゃねえか」

「風魔術の応用だ。俺が使える風魔術はこれだけ。大したことじゃない。有効距離は直線でたったの八メートル」

「大したことないって……」

「集中しろ。いいか。俺達の目的はくまで情報だ。野郎らが何を考えてるのか、何をするつもりなのか、それだけだ。義理の妹はお前が救え。いいな」


 ジャックはそう言い含めて、隣家の壁との間に入ってスルスルと上ってゆく。


『一階に奴が現れたら知らせろ。俺は三階から侵入する。もたもたするな。全員が位置についたら、ミラが正面から入る』

「リンが出てきたら、オレが外で待ってると言って外に出してくれ」

『見ず知らずのあたいを信用するか?』

「オレが宿帳を持ってると言ってくれ。爺さんからたくされたってわかるかも」

『名案』


 話しながらオレは必死に走り、走りながら考えを巡らせた。


『地下室はあるか?』

「床下に貯蔵庫があるだけだ。地下室なんてものはない。部屋は二階、三階に七部屋ずつ。三階奥の部屋をオレが使ってる」

『ソウィユノの部屋は?』

「わからない。リンが知ってる」

『空き部屋はあるか?』

「ない……と思う。うっ、でも、あったかも知れない」

『しっかりしろ。それでもここの人間かよ』


 ジャックが呆れたように言った。

 空き部屋がいくつあるか。それすら知らない。いつも客に「残り一部屋」と言ってきたせいだろうか。

 いや――きっとそうじゃない。

 表側に着いた。

 道に対して土地がどんどん傾斜しているため、建物の基礎、石組みの土台が露出している。

 その石組みを上って、窓枠に手をかける。

 願わくは……いつものようにカウンターにリンが居て、勇者が自室で寝てることだ。最悪は食堂に勇者が居座って、リンが監視下にあること……。

 質の悪いガラスだ。アグーン・ルーへの止り木の部屋から外をうかがったような、あんな透明度はない。

 それでも――その長身の人影ははっきりと分かった。

 青みがかった、銀色の長髪。フードこそしてないが、白いマント。間違いない。

 椅子に座って誰かと話をしているようだ。相手は見えないし、話の内容なんてもちろんわからない。


「一階にいる」

『分かった。三階から侵入する。動きがあったらすぐに知らせろ。奴は一人か?』

「階段側を背にして、入口側へ向いて、誰かと話してるみたいだ。内容はわからない。相手も見えないけど――」


 ――たぶん子供だ。つまりリンだ。


「リンだと思う。最悪だ。食堂にいるのはそれだけだ」


 了解、とミラが答えた。

 怒られなかったということは、報告が的確だったんだろう。

 ほどなく、階段側に人影が現れた。ジャックだ。


『位置についた。全員気をつけろ。奴の攻撃手段はよくわかっていない。認知に関連するトリックに長け、広く様々な魔術を使い分けることは調べがついてるが、奴の一刀を見た者はいない』


 ミラが息を呑むのが、耳の中のガラスカプセルのうねりでわかった。


『誰だ、心拍数が上がってるぞ。抑えろ』

「ごめん、僕かも」

『一人称までブレてる。落ち着け。お前は見てればいいんだ』

「えっ、じゃあどうやってリンを助ければ」

『俺とミラに任せろ。お前が孫だとバレたら、話がややこしくなる』


 確かにそうだ。

 ジャック達がそうだったように、受け継がれる魔力を考えれば、爺さんを狙った奴がオレを放っておくはずはない。

 逆に言えば、オレ自身がリンを助け出す切り札だ。


『ノヴェル、自分から出て行こうなんて思うなよ。ミラ、頼んだ』


 了解、と短く言って、ミラは宿無亭のドアを開けた。


御免ごめんください。宿無亭はこちらですか」


 ひと呼吸置いても、リンの「いらっしゃいませ!」がない。

 なぜだ。すぐそこに座っているのに。

 それだけでオレの心拍数は限界まで上がった。


「おや、こんな日にお客さんかね。お嬢ちゃん? ――ああ、どれ、私が出ようかね」


 ミラを通じてか、くぐもった声が聞こえてくる。


「奴が立ち上がった。カウンターへ向かう」

『了解。ミラ、絶対にこっちを見るなよ』


 ジャックが階段をそろりそろりと降りて来る。


「部屋は空いてるかしら?」

「すまないが、私も客でね。今は留守番だ」

「宿の人はどこかしら」

「私も待っているのだよ。いずれ戻るはずだが」

「それは困りましたわね。外は……今晩は特別物騒だわ」


 全くだよ、とソウィユノは白々しく言った。


「……待たせてもらってもいいかしら」

「ああ、もちろんだとも」


 構わないね? お嬢ちゃん――と、奴が突然振り向いた。

 ジャックの足がぴたりと止まり、呼吸すらも一切消えた。


「……結構だそうだよ。君はツイてる。外は大変だっただろう。何も御もてなしできず恐縮だが」

「あなたも七勇者を見に? いえ、失礼ですけど冒険者には見えませんわ」

「そうかね。実は人を探しにきた」


 ジャックは身を低くし、音を立てないように食堂に入った。

 こうなるともうオレからは見えない。

 どうか、どうか上手くリンをあいつから引き離してくれ。


「まぁ、奇遇ですわね。私も人を探していたのです」


 ここではなんだから、と奴は振り返った。

 反射的にオレも身を伏せる。

 ミラの足音が聞こえてきた。


「ところで、迷わなかったかね。ここの看板だが、少々阿片窟あへんくつと紛らわしくてね」

「……? いいえ、大丈夫でした」


『待て、テーブルまで来させるな』


 小声でジャックが指示する。


『だがテーブルからあまり離すな。カウンターの位置がベストだ。そこで奴の注意をきつけろ』

「……あら、私ったら、すいません。鎧を着たままなんて」


 がちゃがちゃと金属音が響いた。


「着替えなら、その奥でどうかね」

「あら、それなら失礼して。そちらの部屋かしら」


 食堂をミラが横切って奥へ行く。

 消え入りそうな小声で、ジャックがささやいた。


『ノヴェル。落ち着いて聞け。リンは、無事だ。だが縛られている。目隠しされ、猿轡さるぐつわを噛まされている。足首も縛られてる。手は、ここからは見えないが』

『縛られてたよ。椅子の背もたれに両腕を回して、後ろ手に縛られてる。あの変態野郎、こっち見てる?』

「ああ、どうやらそっちを見てるみたいだ」

『……よし、足首の縄は切った。あとは手だが……大人しすぎるな』


 だが、そこで足音が響いてきた。

 椅子を引いて座る音。ジャックの呼吸が再び止まる。

 奴がテーブルに来て、座ったのだ。


『今の音……ヤバいか? すぐ食堂に出る』


 ミラが食堂に戻った。

 ガラスの質のせいでよくは見えないが……半裸である。


「ごめんなさい。着替えがなくって」

「宿に来るのに着替えもないとは。人のことはいえないがね」

「途中で巻き込まれて、荷物を落としてしまいましたの」

「つくづく、こんな日は外出は控えるべきだ。人を探しているとか?」

「あなたこそお一人で?」

「いや。一人同僚・・がいてね。来なくて良いといったんだが、まぁ、色々と下準備もあって人探しを頼んだんだ。座りたまえよ」


 ……仲間は一人。銀翼のゴアに違いない。

 色仕掛けが効いたのか、それとも余裕の表れか。

 無欲のソウィユノは、さっきまでよりも饒舌じょうぜつになっているような気がしなくもない。

 座るように勧められて、ミラは頭を振ってクスリと笑った。


「ここで結構ですわ」

「……こちらの少女が気になるかね」


 リンのことだろう。ミラははいともいいえとも答えない。

 沈黙をもって肯定したわけだ。

 ここからリンを追い出せと迫るつもりだろうか。


「気になるだろうね。幼気な少女が縛られているのだ。私を非難しないのか」

「他人の趣味に口を出すほど野暮じゃありませんの」

「……少々不本意だがね。よしとしよう。念のため言っておくがね、これは私の本意ではない」

「言い訳は殿方らしくありませんわ」

「大いなる目的のためだよ。そこの元気のよい少女には、そのために今いっとき、眠ってもらっているだけだ」

「言い訳のほうがマシに聞こえますわ」


 やめろ、そいつを刺激するな、とオレは言った。


「殿方は皆大袈裟でいけないわ。私の探してる男もそう。犠牲になるのは女ばかり。『大いなる目的』ですって」


 オレの心配をよそに、ソウィユノは不敵に笑って、より朗々ろうろうと語る。


「ふふふ。そう聞こえたかね。ペテンではないよ。我々の目的は一つ、崇高なるお方のめいによるものさ。断じてこれは、私の望んだことではない」


 崇高なお方。

 これが、一部勇者の暴走じゃないってことがはっきりした。


「上司に仕えるタイプには見えないわ。それとも、よほど素敵な方なのかしら」

「ふはは。あるいは、そうなのかも知れないな。崇拝している。他のものも皆、いや、殆どはそうさ。君もいずれそうなる」

「……そう? ロマンチックね」


 沈黙が訪れた。

 ミラは、何と言ってその上司について聞き出そうか考えているのだろう。

 ジャックは息を殺してテーブルの下に潜んでいるのだろう。

 だがソウィユノは話題の向き先を戻した。


「とにかく、この子を傷つけるつもりはないのだよ。この子には興味がない。私の人探しに協力してもらうだけだ。そもそも本意でないというなら、君もだ」


 どうやらリンを爺さんの身内と知っているようだ。魔力を継いでいないことも承知しているらしい。その上で交渉材料にするつもりなのだろう。


「私の裸など見たくないと?」

「君はここへ来た。偶然ではないだろう。元来私は、訪問を受けるのが好きではないのだ」

「……と言いますと? 運命だと? それもまた」


 よしたまえ、とソウィユノはぴしゃりと言った。


「私は、今日はたまさか留守番する役回りだが、本来はこちらから出向く男だ。南におびえる子供・・・・・・・・があれば行って怖がらなくていいと言い、西に戦場・・・・があればつまらないからやめろと言い、東に沈みそうな船・・・・・・・・があれば行って板を投げてやる」

「北はどうしますの?」

北に衰えた老人・・・・・・・があれば行って一緒に来い・・・・・と言ってやる・・・・・・のだよ。先に言われてしまうのは、私の流儀に反するからね」


 ソウィユノが椅子を引いて立ち上がった。

 ミラは一歩後ずさった。


「おやお嬢さん。どうかしたかね。顔色が悪いようだよ。そんなに肌を出して、冷えたのではないか」

「……な、何を考えてるのかわかりませんけど」

「今、言った通りのこと・・・・・・・・だよ。私は何より、嘘が嫌いでね」


 嘘という言葉に、ミラの心臓がドクンと鳴った。

 つられて、オレの心臓も早鐘を打つ。


「同感ですわ」

「嘘というのはよくない。ほころびが出る。その綻びをつくろおうとして際限なく嘘を塗り重ね……みにくいことだ。何人なんぴともが縛られる、あの真っ黒な欲望そのものだ。私は嘘をきたくない」


 だから、宿帳に本当の名前を書いたのだ。

 この男は――。


「私は無欲のソウィユノ。君の探し人とは違うだろうか? いいや、違わないだろう」


 異常だ。

 ガラスを通して、異様な気配が伝わってくる。

 こちらの作戦がバレているのだろうか。いや、バレようとバレまいと、おそらくこの結果は同じだ。

 この男にとって、そんなことは何も問題じゃないんだ。

 リンが、ミラが危険だ。


「ジャック、なんとかしてくれ……! これはまずい……ジャック!」


 応答はない。口をける状況にないのだ。

 ミラが後ずさるとソウィユノが迫る。


「……私は、あなたを探しに来ました」

「なぜかね」

「あなたへ、伝言を預かっています」

「誰からかね」

「……その、北の老人からです」


 ほう、とソウィユノが漏らして一瞬緊張が和らく。


「かの大賢者かね。まさに、まさに私の探し人とはの人だ。北側のどこかの宿で、ショウまがいのことをしていると聞いたがね。この街へ来て、どうやらローブの老人がこの宿にみついているというから、こうして訪ねたわけだよ」

「どちらも本当です。今の居場所は……そこのお嬢さんと交換です」

「聞けば孫娘だというからね。待っていれば戻ってくるだろうと長居してしまったよ。ならば、大賢者をここに連れて来たまえ。お孫さんを開放すると約束しよう」

「いいえ、老人は負傷して動けません。居場所と」

「この無欲のソウィユノが約束しようと言ったのだっ!!」


 突然の大声で、耳が壊れそうになった。

 ガラスが震えるほどの声だ。


「動けないのです、ですから」

「この私がっ!! 約束を!! たがえると言うのか !!」

「ち、違います」


 涙声だ。

 だがミラも負けてはいない。

 オレはもう、腰が抜けて石垣から転げ落ち、立ってもいられなかった。


「大賢者の訪問を受けるのですか! 『北へ行って一緒に来い』と言うあなたが!」


 沈黙。

 長い沈黙だった。


「……よろしい。たしかに君の言う通りだ。私から訪ねるのが筋というもの。ハハッ、私としたことが……これはこれは、失礼を致した。大声など出して。これではあの銀翼のに向ける顔がないではないか」

「ではまずご案内致します。そこの孫は、それからで構いませんので」


 ジャックが息を吸った。

 見えはしないが、いつでも動けるよう片膝を立ててナイフを構えたのだ。


「では参ろうか」


 だがその前に、とソウィユノは言った。


「その前にまず確証を見せてはくれないかね」

「来ればすぐにわかります。確証など……」

「私がここを出てすぐ、誰か君の仲間が、悪どくもここへ土足で這入はいってきて、そこの孫を逃がしてしまわない確証をくれたまえ。もしそんなことになれば、私が彼女を開放できなくなってしまうからね」

「そ、そんな確証など……お見せする方法がございませんわ」

「できるとも。例えば今すぐこのお孫さんを殺してしまえばいいのではないか? そうすれば誰にも逃がせない。それは確証と同じなのではないか?」


 心臓が止まりそうになった。


「おやめください。そんなことをすればマーリーンが」

「そうだ。またしても君の言う通り。すべてはマーリーンが生きているとすれば・・・・・・・・・、だ」

「……」


 まずい。これはまずい。


「ジャック! これじゃリンが!」


 ジャックもミラも、何も言わない。


「……どうしたね。マーリーンはまだ生きているのだろう? そうでなければ、この議論は無駄になる。私の約束は、飽くまでマーリーンが生きている前提だよ。証拠を見せねば、この少女の命も無駄になる」

「しょ、証拠など」

「簡単だ。その眼のレンズを外して、真実を見せてくれさえすればよいのだ」

「……」


 ミラはすすり泣いた。


「何故泣く」


 撤退しろ、とジャックがささやいた。

 オレは「やめろ、リンを助けてくれ」と喘ぐ。


「何故泣くのだ。ほら、その眼を見せたまえ」


 ソウィユノが迫る。


「なぜ。聞かせてください。なぜそうまでしてあの老賢者を連れてゆくのです」

「それは私の知るところではない。あらゆることをる私でも、自らを勘定に入れず、褒められもせずとも、ただ己の力の限り尽くすばかりのこともある。全てはあのお方の――」


 まるで子守唄のように、ソウィユノの声が低く、眠気を誘うリズムでゆっくりと響き、その影がミラに重なる。


『ミラ! 限界だ! 撤退しろ! くそっ!』


 その腕が、ミラの顔、おそらく眼球に向けて――。


 バッ


 影が飛び出した。

 食堂の、テーブルの向こうだ。

 飛び出した影が、今ミラにおおいかぶさるソウィユノの背中に向けて――ドンと音がした。


「ぐ」


 ソウィユノが呻く。

 震える呼吸。これはジャックか。ミラか。


「貴様、何をした」


 カラン、とナイフの落ちる音がして、オレはすべてを理解した。

 ジャックが、勇者を、刺した。


「何のまねだ……私を……誰だと思っている」

「無欲のソウィユノ。調べはついてる。火、風、地、水のエレメンタルをマスター。認識阻害、死霊魔術をたくみに操り、この街に魔物を放った張本人」

「ふっ……なるほど。あの男の仲間か」

「ロイだ。名前を聞かなかったか」

「その前に殺してしまってね」


 この野郎! とジャックがソウィユノに飛び掛かる。


「待ちな。まだ聞いてないことがある」

「ああ……そうだ、言っていないことがある……私について調べたと言ったな」

「お前についてはな」

「だが、それは……それでは……」


 フフフ、とソウィユノは小さく笑った。

 そして、


「落第点だ」


 と言った。

 ボギン、と聞いたこともない音がして、窓ガラスが吹き飛んだ。

 いや――吹き飛んだのは壁そのものだった。

 オレのわずか二十センチ横までの壁が、完全に消えて、土くれと木屑になっていた。

 壁を切り裂いたのは、一瞬見えた巨大な黒い手の指先……。

 手? 手だと? そんな馬鹿な。


「ほうら、こんな魔術を、君たちは見たことがあるか」

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