2.2 「せーのでやっちまっていいべ」
門側では、いつ果てるとも知れない無数のゴブリンを、とにかく手当たり次第に切っていた。
人間の体力には、上限がある。
剣など素振りでもそう何百回も振れるものではないし、小鬼とはいえ本物の敵を斬るのは素振りとは違う。
魔力も、やはり短い間に無尽蔵に湧いてくるものではない。
訓練を受けているとはいえ、攻撃魔術ともなれば常人で一時間に小魔術二十回が限度。つまり三分に一回の割合だ。
時間の問題というやつだ。
指の間を水が滑り落ちるように、ゴブリンたちは街へ消えてゆく。
西門の防衛は完全に崩壊する。その時は、すぐそこだ。
門扉が突破された後、崩壊への砂時計はひっくり返された。
遅れて到着した盾兵らがまだ持ち
早々に魔術部隊の魔力は枯れた。
弓矢も尽き、投石する石もない。
「矢がもうないんだけど! 補給まだ!?」
衛兵部隊、第二隊長ボルキス・ミールは
――盲点だった。取り逃したゴブリンらが列をなして、街を分断しているらしい。そのために補給も
前線ではゴブリンに組み付かれ、首を噛まれて倒れる者も出てきた。
冒険者らにはまだ元気な者もいる。おそらく兵装、武具の軽さが良く作用したのだろう。
だが所詮は
だからやはり、正規の衛兵でまだ戦えるのは盾兵だけだ。
後方が騒がしくなってきた。
櫓から見ると、冒険者らの護衛を受けて工兵らがやってくる。
工兵部隊、いやそんな上等なものではない。街の大工を中心とした即席の部隊だ。だが彼らは元冒険者が多い。
登録型の予備部隊で、本招集されるのは街の歴史でおそらくこれが初めてである。
今はこんなタフな持久戦に持ち込まれているボルキスだが、彼はエリート、元民王直属首都防衛兵団の中隊長だった。
国から
そもそも軍人に向いてなかったのだろう、彼はいつでもどこでもヘラヘラしていた。ヘラヘラして出世したのだから、彼はそれでよいと思っていたのだが、どうやら民王の御前でもヘラヘラしてるのを
先日の防衛会議の席――いい加減な態度で
にもかかわらず衛兵らの投入は減らず、防衛予算をつぎ込むことになった。
――バーキンズの第二法則だな。『支出の額は、収入に匹敵するまで膨張する』っていうやつ。金がなくなるわけだよ。
ボルキスは予算に関わる立場になかったので、異議もなくへらへら笑っていただけだ。
今にしてみれば余計な進言をしなくて大正解だと思う。むしろもっと後衛を厚くするべきだった。
工兵部隊の収集にあたっては
その工兵部隊が、門を塞ぎにやってきたのだ。生きて帰れば再び出世コースに戻ることもあり得る。
工兵らは馬に荷馬車を引かせていた。
荷馬車の中身は太く、大きな丸太だ。
「第二部隊! 一旦、櫓を降りてよ! 工兵部隊が来たからさ!」
「部隊長殿、なんと?」
「全員、工兵部隊に助力せよ!」
渋々――本当に渋々と彼らは櫓を降りて、それぞれに丸太を手にした。
「この丸太をどうすれば……?」
「敷くに決まっとろうが! 門の左まで繋げろ!」
衛兵らは工兵の指示でせっせと丸太を運んだり転がしたりしている。
さらに続いてやってきた馬車には、はみ出すほど長い巨大な丸太――杭が積まれている。
なるほどあれを転がすためのコロなのか、とボルキスは理解する。
「そこの工兵さぁ! あのでかい杭、馬車ごと運んじゃったほうが、早くない!?」
「隊長殿、そりゃ大工の仕事じゃあねえべ」
「いやもう、任せるけどさ!」
下では工兵らがなんやかやと言い合いを始めた。
結局面倒になったのか、工兵たちはそのまま壊れた門のすぐ脇まで後続の馬車を進めた。
馬が、盾を飛び越えてきたゴブリンに驚いて暴れる。
御者は馬を切り離すと、振り向いて「押せ!!」と叫んだ。
長い杭の飛び出した、不格好な荷馬車を衛兵らが押す。
盾部隊の横を過ぎて、工兵らは「荷馬車ごと転がせ」と指示した。
「せーのでやっちまっていいべ」
工兵らの合図で、荷馬車を思い切り押す。
勢いついて走り出した荷馬車は、ゴブリンを
今だ! とばかりに工兵らが荷に取り付いて、
街の門の幅はおよそ十二メートル。
門からゴブリンは次々やってきているが、壁面に隠れた工兵らに気付かない。
万一気付いたとしても、奴らは意にかけないだろうとボルキスは思った。
このゴブリンどもには明確な目的がある。さっき誰かが港だと叫んだが、おそらくそれだ。
避難勧告発令により、街の要人やその家族、官僚、貴族、あるいはただの金持ち……そうした連中を中心に、港には避難者が集中している。
(さすがにありえないか。上位種も見ないし、この数のゴブリンを、そこまで操れる奴がいるなんてね……)
あり得ない――本当に?
盾兵部隊の号令が響く。
一笛一歩。門へ向けて二歩、三歩と詰め寄る。その度、ゴブリンの突進を受けて盾が激しく揺れる。
盾の間から突き出された槍が、小鬼の体をまとめて貫く。
もう引き抜けない。引き抜く必要はない。
工兵が
門の脇に立った、長さ二十メートルもありそうな杭が、合図でゴブリンの頭上に振り下ろされる。
その小さく、柔い
先頭ゴブリンは潰れ、後続は丸太に
ボルキスは顔を
なんてこった。まるで戦争じゃないか。誰か想像したか? あのゴブリンと、ポート・フィレムの衛兵がこんな戦争するなんて。
「こりゃあかなわないな……臭くって」
魔術も弓も剣も、ここでは何の役にも立たない。
こんなはずじゃなかったんじゃないか。
こんな――。
その時だ。
頭上を過ぎ去る、一陣の風が吹いた。
松明が、ランプが揺れてボルキスは見上げる。
空を飛ぶ影があった。
真夜中である。だが街の外まで燃え広がった火魔術のせいで、空が明るく見える。
「我は正義に
銀翼のゴアだ。
(遅いよ)
小さく毒づくボルキスに気付くはずもなく、衛兵らは大きく沸いた。
それは速く軽やかに、門外の上空にまで至った。
「風の神アトモセムの名の元に!
一瞬、耳鳴りがした。
直後、凄まじい
ダウンバーストか。それとも空中で強力な風魔術が爆発したか。
メキメキとゴブリンが潰れる。
二本目の杭は倒れ、一本目の杭も風に押し戻され、前衛で持ち
盾も、剣も、矢も、兵も、木材も。
自分も飛ばされまいと、ボルキスは木組みの櫓に必死に掴まる。
――だいたい、この櫓という奴は好きじゃない。火が付いたら燃えるし、風が吹いたら崩れる。
その櫓が、根本の方から崩壊してゆくのが振動で分かった。
だが彼は何の抵抗もできず――ただ、分かっただけであった。
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