1.3 「我が名はマーリーン」
同刻。
ポート・フィレム北部の丘にある宿、「アグーン・ルーへの止り木」にて。
アグーン・ルーへは太古の妖精、先住民族の守り神である。
火の女神フィレムの名を冠する前、この街はアグーン・ルーへの町と呼ばれていた。
しかし初代町長がペットの鳥にこの名を授けたことから、先住民族の信仰は忘れられ、今やインコの名前である。
場違いな程広々とした酒場には、やはり場違いなステージがあって、
宿泊客ら――ここで飲食するのは皆宿泊客である――はステージの奥を見守っていた。
「
暗い酒場を、光の輪が駆け回る。
ドラムロールの響くなか、光の輪は場に
その光の環から逃げるようにしながら、ジャック・トレスポンダは呟いた。
のっぺりとした細面に刻み込んだような、疑り深い眉と意志の固そうな口元。底意地の悪そうな顔である。
「妙技、妙技ってのはなんだ」
「上手な技術ってことだろ」
「魔術だろ。それにあいつは賢者のはずだ。上手も下手もあるかよ」
面倒くせえな、と派手な女が舌打ちする。
長いウェーブがかった髪をボリューミーにまとめ、深いスリットの入ったドレープスカートをライトメイルのプレートで留めてドレスのように着こなしている。
「なんだっていいんだ。下手くそよりはずっといい」
女はミラ・カーメイ。偽名である。
「あたいらは遊びにきたわけじゃねえんだ。お前しかわかんねえんだからしっかり見とけ」
ドラムロールが一層盛り上がり、観客が騒ぎ出すも、未だステージ奥の幕は開かない。
「……ロイと連絡がつかない。あいつから何の合図もない。三日もだ」
「ロイなら大丈夫だ。どうせまたゴブリンどもと仲良くやってんだろ」
ぴたりと音が止んだ。
じゃーんとシンバルが鳴って、ステージ奥の赤い幕の間から、小さな人影が出てきた。
薄汚いローブの小男だ。
フードの下の顔こそよくは見えないが、突き出された腕を見るに老人である。
水晶玉を持っている。
ジャックは口元をきつく結ぶと、ぎょろりとした目を
「ホンモノかい?」
「わからん」
老人が水晶玉に
拍手が起こった。
同じことを、今度はミラが訊いた。
「ホンモノかい?」
「わからん。あれくらい俺でもできる」
老人はステージ横の司会者を手招きする。
司会者が寄っていくと、その首元を後ろから掴む。
「この男の体を借りて皆に伝えよう。我が名はマーリーン。伝説にして、当代最強の魔術師である」
司会者はお
観客たちも皆そこら中を見渡した。
「今宵、執り行う儀式は予言の儀式。今から一つ確実なことを教えて進ぜよう。この水晶玉の命運は、これまで」
老人が片手で高々と
「すげえ、どうやったんだ」とジャックは驚きの声を上げた。
薄暗いとはいえ、これだけの人間に同時に認識阻害の影響をもたらすのはなかなかだとミラは感心する。実際、認識阻害の使い手に対しては効果が薄いものなのだ。
アシスタントががらがらと金属製らしき牢屋をステージに引き入れた。
開いた右手で、老人は観客の一人を指さし、手招きしている。
あのマーリーンがこんなショーに出るだろうかとミラは疑っているのだが、ジャックはステージに夢中だ。
溜まりかねたミラは椅子から立ち上がると、ほかのテーブルの男に話しかけた。
「ねえ、あのマーリーンって爺さんは本物かい」
話しかけられた男は一瞬面くらったようだが、すぐに
「ああ、本物だよ」
「いつも出てるの?」
「知らねえよ。俺だっていつもここに来るわけじゃねえから」
「サーカスか何かなのかしら」
「知らねえなぁ。とにかくあいつは本物。本物の爺だ。お嬢ちゃん、あんな爺に興味があるのかよ。そんなことより俺と」
ミラは人差し指を立て、男の前に突き出す。
「俺と?」
「俺と……いいこと……し……」
男は食い入るように指先と、ミラの目を見ながら、そのまま何かをぶつぶつとつぶやいた。
ミラは
「情報通りか。すると孫が二人いるってのも確かなのかもな。あれが
「ああ。でも二人孫がいたらどっちが本物か、ちょっと厄介かもよ。何せあの魔力を
先行して街を探っていたロイの情報では、マーリーンと
セオリー通りなら、マーリーンの魔力を継承したのは実の孫であろう。
彼らの目的は孫のほうで間違いなさそうだ。
ステージでは、鉄の牢屋を燃やして中の女を助けるところだった。
一瞬で燃え消える鉄の牢を見て、ジャックは口笛を吹いた。
「今のはなかなかだ」
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