1.4 「いよう少年! 盛会だな!」

 一階の酒場からは喧噪けんそうが漏れてくる。ショウも佳境かきょうなのだろう。

 地下の倉庫からワインを取りに行ってくれと頼まれて、サイラス・ポルトマンは小さくうんざりしたようなため息をついた。

 ここ数日はとにかく忙しい。毎日宿泊客が増えて、VIP用の特別スイート以外の部屋はすっかり埋まってしまった。


「ついに街の空き部屋率がゼロになったんだとか。宿協会の歴史始まって以来のことだ!」


 そう浮かれている父の様子からして、どうもこの騒動がしばらく続きそうだとサイラスは思った。

 街で一番古い、老舗しにせの宿だ。普段なら彼が手伝うようなことは何もない。

 その年頃の少年であれば誰でも、七勇者を一目見られるかも知れないという期待は大きかった。まして彼の場合は、自分の家に七勇者が泊まる可能性も決して小さくはない。

 小さくはないのだが――。


「他に誰が来るんだろうな。来たらそう、記念に肖像を焼いて、サインを貰って、ロビーに飾ろう。一層はくが付くぞ」


 浮足立っている父の様子を見て、サイラスは一歩か二歩退いてしまうのだった。

 ワインでいいんだね、と念を押すと「一番良いやつだ!」と父は答えた。

 薄暗い石階段を下りて地下に行く。

 ここは喧噪から遠く、ひんやりして暗かった。他の使用人もいないようであった。

 サイラスは足早に奥の倉庫まで行き、手近な台車にワインの瓶をそっと乗せる。

 安酒の樽の間を進んで、突き当りの昇降機エレベーターのレバーを引いた。

 魔力式内燃機エンジンが唸りをあげて、チェーンの巻きあがる音が響く。

 やってきた籠に台車だけを乗せ、サイラスは階段へ向かう。

 すると酷く暗い廊下を、階段の方から誰かがやってくる。

 使用人……ではない。

 カチャカチャと金属の触れ合う特徴的な音、ライトメイルのシルエット――冒険者だ。

 背の高い男と、華奢きゃしゃな女。


「いよう少年! 盛会せいかいだな!」


 軽妙な挨拶からは悪意を感じないが、サイラスは身構えた。宿泊客がこんなところに来ることはないからだ。


「おいおい、オレを忘れちまったか? オルソーのジャックだよ。連れは初めてだったな。こっちはレディ・ウォンナキシー。挨拶を」


 紹介されたが、暗くて顔は見えない。

 緩くウェーブがかった長い髪の輪郭が光って見えているのみだ。

「はじめまして」と女は言ってこちらを見つめているようだが、そもそもサイラスには冒険者の知り合いなどいない。オルソーの街に心当たりもない。


「あの、すいません、お客様はこちらへはちょっと」

「お、おいおい、待てよ。ほら、ウォンナキシーだよ。イケてるだろ?」

「すいません、父の言いつけで、お客様にワインをお出ししないと」

「ち、父って誰だっけ」

「当店の支配人です」


「支配人!?」とジャックは驚いた。

 サイラスは一礼して二人の横を抜け、階段へ向かう。


(どうして効かねえ!)

(暗ぇんだよ! 目を見てくれなきゃこっちの認識阻害は効かない!)

(どうする? 行かせていいのか? 誰か呼ばれたら面倒だ)

(追うだろ! 階段まで行けばランプが)

(待て、支配人の息子だと言ったな?)


「待ってくれ。支配人のせがれ……ご子息とは知らなかった。ジャックだ。改めてよろしくな」


 ジャックは誤魔化ごまかして突破するのを諦め、懐柔かいじゅうすることにした。

 サイラスに追いすがり、握手を求める。


「御用でしたらおおせつかりますが、ここではお客様をご案内できません。どうか上まで」

「勝手に入って悪かった! 俺たちはその、盗みとかじゃない。マーリーンのファンなんだ!」


 サイラスは足を止めた。


「マーリーンがここを通るだろう? 無作法ぶさほうに思えたら謝るが、出待ちといって、街の劇場じゃこれが普通だ! 大魔導士が偉大なショーを終えてステージを降りるとき、ファンの一人も彼に握手を求めない? 誰も彼を拍手で迎えない? ありえないだろう! 疑うなら立ち会ってくれていい!」

「申し訳ありませんが仕事がございますので」

「わかった。俺は上に行く。だが彼女一人ならここに残っていいだろう? 彼女はマーリーンに大恩があって、その恩を返したいと言ってるんだ!」

「マーリーンはここを通りません。一階の通用口から裏の」


 しまった、とサイラスは口をつぐんだ。

 ミラが階段へ向かって駆け出していた。

「ちょっ、ちょっと!」と叫んで、サイラスもその背中を追おうとした。

 その腕が掴まれる。


「まぁ落ち着けって。男同士、ちょっと話そうぜ?」


 暗くてわからなかったが、男はニィッと笑顔を作ったように感じた。



***



 オレは自室に戻ると、床を埋め尽くす平積みの本の間をってベッドに倒れ込んだ。

 料理と後片付けでへとへとだ。ウチの宿がこんなに忙しくなったことはない。

 勇者だゴブリンだとなるとここまで大変なのだ。

 ベッドに寝転がったまま、枕元にあった本を開いた。

 この部屋の本は殆ど爺さんの蔵書だが、この本は違う。これは自分で買ったものだ。


『七勇者五十年史・災害救助篇』


 勇者の活躍を、過去五十年にも渡ってまとめたもので、それでさえごく一部だ。

 そこに書かれた勇者の活躍は華々しいが――読めば読むほど、オレの中におりのような疑問が積もる。

 七勇者とはどのような組織で、本部はどこにあって、リーダーはいるのだろうか。給料はいくらなのだろう。勇者とは――何者なのだろう。

 そのときだ。

 ドーンと音がして、積み上げていた本が揺れた。

 オレも思わずベッドでね上がる。

 まるで地鳴りだ。

 机の上に積み上げていた、学堂からの手紙やらノートやらが雪崩なだれのように滑り落ちていた。

 襲撃が始まったのか――と慌てて窓の外を見た。

 空は既に暗い。

 でも街の西門の方の空が赤く光っている。

 間違いない、襲撃だ。

 街にいくつかあるやぐらから、警告の鐘が打ち鳴らされている。

 この鐘、この鐘は警報レベルいくつだったか。たしか、外出禁止だか屋内待機だかそういう意味だった。

 北の方角、目抜き通りの先にある丘の上、街で一番大きく悪趣味な宿から、煙が上がっているのが見えた。

 親友のサイラスの家だ。

 あの宿に限って、滅多なことは起こらないだろうが――。

 でも待てよ。清貧だけが取り柄のウチでさえこの客入りだ。名門『アグーン・ルーへの止まり木』ともなればさぞかし盛況だろう。普段はそんな宿に泊まらない荒くれ者も泊まり、上等な酒でいい気分になって騒ぎを起こすかも知れない。そんな喧噪けんそうに紛れて、ゾクが侵入するかも知れない。

 いやそれどころか、七勇者が泊まっていてもおかしくない。ならば最悪、戦場になってしまうことさえ――。

 机から滑り落ちた手紙の山が目に入った。

 学堂にはしばらく顔を出してない。数少ない友達のサイラスやミーシャが届けてくれているものだ。

 ――気がかりだ・・・・・

 この胸騒ぎをなかったことにして、眠ることはもう無理だ。

 オレは、本を踏みつけながら壁にかけてあったローブに手をかけ、ひるがえして羽織はおる。爺さんに貰った時代遅れもはなはだしいローブだ。でもやたら丈夫で、汚れても水洗い一発ですぐキレイになる。

 年寄り臭さは抜けようもないけど――たけを短く詰めたり、そでまとめて七分にするなどの改造はささやかな抵抗だ。

 部屋を飛び出すと、騒ぎに気付いた宿泊客らが我も我もと出陣しようとしていた。

 爺さんはいないみたいだが、バリィさんやリンに見つかったら面倒だ。

 オレは大柄な冒険者の間に紛れて、押されるように出口へ向かい、外へ出た。

 裏道を走って表通りに出ると、そこにはもう西門を目指す荒くれ者があふれている。

 魔術式ランプや気炎きえんを上げる松明たいまつの火。

 まるで戦争だ。

 どんどん不安になる。

 友人の家を見て――おそらくは何もないだろう。近所の家が火事か、普段気付いてないだけで週に一度くらいはあんな煙が出てるだけなんだ――そう確信を持てれば笑い話だ。

 でももしそうでなかったら?


(何を恐れているんだ? あの七勇者が助けに来てるんだぞ!)


 門を破って入ってくるゴブリンの先鋒せんぽうを叩くのは、街の衛兵だろう。

 更にこれだけ冒険者がいるのだから街は大丈夫だ。大丈夫に違いない。

 頭を振り、曖昧あいまいな恐怖を追い払う。


(とにかく、オレは大丈夫だ! 今確認しなきゃならないのは――)


 走ってくる荒くれ者の間を逆流して、黒煙立ち上る大きな宿に向かい、オレは走り出した。

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