1.2 「そうセンシティブなことを聞くでない」

 宿無亭やどなしていは、宿場町にはありがちなごく平均的な宿屋であった。

 部屋数、料理、掃除などのサービスは丁度中央値。立地はそこそこだが入口は裏にあるのみで普通は気付かない。値段だけが少し高い。

 三百を超える宿屋の集う激戦区において、これほど商売っ気のない宿も、逆に珍しいかも知れない。

 旅人のほとんどは行商か冒険者だ。

 冒険者は、ギルドに所属する魔術師のうち、ギルドのテリトリーを超えて活動を許された者だ。国境を除くあらゆる境界や、危険な魔物の出る立ち入り禁止地区の通行を許されている。

 そして武力の行使だ。

 もっとも彼らのうち、一般市民より強力な魔力を持ちあわせる者はわずかだ。凡人よりも大きな魔力を持ち合わせたものは、もっと楽な生き方を選択するだろう。

 あるいは物好きだ。

 人々の魔力が、知恵が、世界の隅々まで照らしたように見えても、魔物やまだ見ぬ脅威きょういがあると信じる者――。

 そんな旅人の間では、この宿無亭にはほんの少し変わったサービスがあることも知られている。

 食堂に、不思議な爺さんがいるのだ。

 宿の客でも、給仕でもない。掃除屋ですらない。たまに異国の茶や、気が向けば変わった料理を作って振る舞うこともある。

 なるほどならば経営者か――と皆言うが、経営者らしいところもまるでない。受付から料理まで何でもこなす孫娘のリンのほうが、よほどそれらしいというのが一致した見解だ。

 仏頂面ぶっちょうづらで旅人の話を聞いては、ただつまらなそうにうなずく。全く聞き上手でもないどころか、普通ならば話しかけることすらためらわれる手合いだ。

 なのに旅人は、まるで吸われるように旅の話を次から次へとしてしまう。

 老人はそれをつまらなそうに聞いている。

 不思議と、老人のことは皆あまり記憶に残らないのだそうだ。時代遅れのローブを着た老人と話したことは覚えているのに。

 老人の名はゾディアック。孫らからはゾディと呼ばれた。その名を知る者は少ない。

 また、青い髪の少年がいることもある。

 少年はうって変わって、旅人の話をさぞ面白そうに聞いて、続きを所望しょもうする。


『……ん。いや、別に大した話じゃあねえよ』


 旅人は気恥ずかしそうにそう言って、語るのをやめてしまう。

 しかし悪い気はしない。酒場の女に話すのとはまた少し違う。

 少年の名はノヴェル。彼の名を知る者もまた少ない。

 第一候補にはならないが、他に宿が見つからなければ考える。ごく平均的な宿屋だった。


「どこほっつき歩いてたの! 遅かったじゃない! ノヴェル! ゾディ爺ちゃんまで!」


 玄関から入った二人を迎えたのは、リンの甲高い声だった。


「スパイスと塩、ハーブ! なんでそれだけの買い物に! 小一時間もかかるんですか!」

「悪いリン、ちょっと広場が混んでて……」

野次馬やじうまですか!? 野次馬で一時間も道草食ってたんですか!? 買ったハーブその場で食ってたんですか!? 晩御飯に遅れたらどうするんですか!? 少ないお客が壊滅しますよ!?」

「ハーブならあるよ……食ってたのは道の草だよ……悪かったって、手伝うから」

「当たり前です!!」


 小柄な体をジャンプさせてハーブをひったくると、「このハーブじゃないです!!」とリンはノヴェルの背中に罵声ばせいを浴びせた。



***



 ――いったい、いつの間に日が暮れたのか?

 オレがいそいそと台所と食堂を往復して料理を運ぶ間に、かたむいたが落ちて外は真っ暗。客室に引きこもった客どもが次から次へとい出てきて、横から注文を投げてくる。


「なんだよ! 何が壊滅だよ! なんで今日はこんなに客が多いんだ!」

「何でって……っていうか、昼間からそのへんフラフラしてる昼行燈ひるあんどんのくせに何で知らないんですか!? 知ってるけど今答えてる余裕ありません!」


 自慢じゃないがこの安宿は、安宿のくせに安宿らしい気概きがいがない。値段だってぼったくりとまでは言えないが、相場以上の値付けに何の説得力もない。

 それくらいオレだってわかるぞ。シーズンだって閑古鳥かんこどりが鳴いてるのが普通なのに、なんだって今日はこんなに忙しいんだ。

 そこへ厨房をのぞき込む旅人の姿があった。


「よう昼行燈の兄ちゃん、お前そんな名前だったのか。気がいてるな」

「バリィさんも勘弁かんべんしてくださいよ。何なんですか今日は……」

「へっ、リン嬢ちゃんの言う通りだ。逆に何でお前知らねえんだ。ま、俺も腹減ってるからよ。追加でチキンの香草焼き頼むわ。機嫌良けりゃ教えてやるぜ。ほんとに知らねえわけねえと思うけどな」


 バリィさんはこの宿の数少ない常客だ。

 行商人だと言ってるがあのガタイ、怪しいものだ。あれで本当に行商人ならよほどヤバいものを取引してるんだろう。


「よう昼行燈! こっちに締めのスープ頼むわ! パン入れてな!」

「昼行燈! こっちも同じものを頼む! 二人前な! あ、スープはパセリ抜きで!」


 食堂へ戻ると昼行燈の大合唱だった。

 昼行燈……とは聞いたことのない種類の罵倒だが、察するに「役立たず」とか「置物みたいで邪魔」の意味だろう。

 くそっ。パセリ抜きスープだって、よく考えたらオレへの悪口のように思えてきたぞ。

 パセリ抜いたスープなんか誰が飲むんだよ。


「パセリのないスープなど誰が飲むのか。益体やくたいもない」


 そこへヌッと現れたのは爺さんだ。さすが俺の爺だ。わかってる。


「おっ、孫が昼行燈ならあんたは石灯篭いしどうろうだな! 寝てたのか!」


 やいのやいのと旅人達が声を上げた。

 まるで宴会だ。



***



 嵐のような夕食時が去って――。

 ぽつぽつと夜食の注文を置いて、宿泊客らは引けて行った。

 何人かはそのまま宿を出て帰っていった。宿泊客ですらなかったわけだ。

 自分の宿で飯を食う決まりなんかない。いや、一部の高級宿にはあるみたいだが、安宿じゃ飯はどこで食ってもいい。

 だから、馴染みの冒険者や行商がいれば、その宿へ行って一杯引っ掛けるわけだ。


「道理で――うちの部屋数より飯食ってる奴が多いと思ったよ」

「安心しろよ。俺ぁここに部屋取ってるからよ」


「で、マジな話」とバリィさんは椅子を引いて近づいた。


「昼行燈って仇名あだな、いいと思うぜ。俺ぁ今まで何かに似てるって思ってたんだけどよ、こう、語彙ごいが貧弱でな」

「その話かよ! オレのことはいいんだよ!」

「学堂とか行ってる? 友達は? いや俺もさ、ガキの頃から親にくっついて旅三昧ざんまいだからよ、正直よくわかんねえんだけど、最近は学堂とかがあるんだろ?」

「やめろよ、いきなりそういう話するの……。友達くらいいるよ、学堂も、苦手な授業のないときはたまに――」


 ――自分にだって、友達くらい沢山いる。

 学堂に通っていた時分じぶんはそう思っていた。

 でも学堂を休みがちになり、半ばドロップアウトのようになった今、まだ友達だと思える奴は少なかった。

 友と呼べるのはたった二人。

 そのうち一人は親が趣味の悪い老舗しにせ宿を経営しているからか、オレみたいな貧乏宿屋の下男げなんと付き合うなってことのようだ。直接言われたわけじゃないが、それくらいの空気は読める。

 もう一人は酒屋の娘だ。うちにもたまに来るので、安い料理酒を頼んでいる。

 いつの間にか座っていた爺さんが横から茶々を入れた。


「そうセンシティブなことを聞くでない。魔法がからっきしなのも、友達がいないのもワシ譲りでな」

「がはは、あんたに似たならしようがねえな!」


 酒だ酒だ、飲め飲めとばかりに旅人らは笑った。


「……それで、今日は何だってこんな客が多いんだ?」

「マジで知らねえのかよ。ちょっとした戦争だよ」

「戦争!? モートガルド帝国の連中か!?」

「馬鹿。そんなことになったら世も末よ。魔物だよ。ゴブリンが沸いてるらしいじゃねえか。で、調べてみたらどうもこの辺りの森から西にうじゃうじゃと集まってここを襲おうってつもりらしい」

「ゴブリンが……ねぇ。ちょっと前からそんな話はあるけど、本当なのか」


 妙な話だ。

 物資が欲しいだけなら他にいくらでも襲いやすい村はある。いつも通り山道に現れて、旅人でも襲っていたほうが実入りもいいってもんだ。

 プロの行商人は魔物相手に命がけで抵抗なんかしないものだ。税金だと思って多少の荷物を置いて逃げるし、貴重なものならギルドの魔術師が護衛についている。

 もし本気で街の門を破って攻め込むつもりなら、こんな防衛の堅い関所を襲うこともない。別にここ、ポート・フィレムの街だけが貿易してるってわけじゃないのだ。

 ゴブリンは賢くもないが、バカでもない。魔物はそのへんをわきまえている。

 どうでもいい目標のために存亡をかけた大攻勢なんかしない。


「まぁ、そうよ、昼行燈。大方なんでここをゴブリンがって思ってるんだろうが、その通りよ。それがわからねえから防衛の要点がねえ。せいぜい西と南北の門だな。門以外は高ぇ壁にガッチリ囲まれてるからな」

「ふん。目的が解らぬのなら作ってやればよかろう。獣など、大方阿片アヘンに神を見たのだろうよ」


 爺さんが解るような解らないような相槌あいづちを打って不貞ふて腐れた顔をした。


「集まるのを待ってるこたねぇ。先制攻撃しちまえばいいのに」

「森に散らばってるのをいくら倒して回ったってキリがねえだろ」

「まぁ。ともかくそこを重く見て、なんと七勇者のお出ましよ」

「七勇者! 広場で聞いたぞ! 通るだけじゃなく、この街に!?」

「それで、七勇者様をひと目見てえと、こうして国中から」

「……バリィさん、元老会のお触れが出たのはつい何時間か前だぞ。早過ぎないか」

「そりゃおめえ、順序が逆よ。七勇者を呼ぶなんて、国の元老院だって無理だ。先に七勇者が動いて、正式に公表されたのがさっきよ。なんでも一か月も前から、七勇者らしい奴が目撃されてるみてえじゃねえか。俺たちゃ独自の情報網があるからな」


 らしき、とはつまり七勇者が謎に包まれているからだ。

 七勇者は、どの国からも独立した組織だ。独自の判断で動く。

 紛争、魔物、飢餓、疫病。あらゆる難事に、彼らは現れる。

 被害を最小限に、たちどころに災厄の元を断ち切って人々を救ってきた。

 現れるかどうかは彼ら独自の判断があるようだ。

 例えば犠牲が多くなるときとか、国家間の戦争には干渉しないとか、そういう条件はいくつか知られている。

 それでも彼らの判断基準はよくわかっていない。


「誰が来るんだろうな。全員ってこたぁねえだろうが」

「銀翼のゴアはいるらしいぞ。見たってやつが」

「俺、潰滅かいめつのイグズスに会ってみてえな」

「いやぁ無理だ。あいつが来るなら今頃全員ここから避難してねえと」


 七勇者とはいうが、七人全員を知らないし、どういう組織なのかもわからない。

 ただ滅茶苦茶に強い。べらぼうに強い。

 その強さは、未だ人類にとって底が知れない。

 ――例えば、ヴェナル海事変の話は強烈だ。ヴェナル海上で船団が魔物に襲われ、沿岸三国から護衛船団を送り出すも大損害となった事件だ。

 海上・・の船同士ならドンパチできるだろう。でも海中を自由に移動し、そのまま船底を攻撃するクラーケンやリヴァイアサンだの、空を飛ぶドラゴンに太刀打ちできるはずもない。

 そこに忽然こつぜんと現れた七勇者が、あっという間に海中、空中の魔物を殺した。

 撃退なんて生易しいものではなかったらしい。

 銀翼のゴアが波間を飛び、空中のドラゴンの首を次々と切り刻んだ。高潔のオーシュが海から現れ、その両腕にはクラーケンの内臓がつかまれていた。

 三人目は水平線の彼方から何かを撃っていたが、その姿すら見えなかったという。

 すべて殺した。

 それもたった三人で。

 まぁ学堂の先生の話だ。見てきたわけじゃないだろうが、話半分に聞いてもまるで人間離れしてる。

 魔術……なのだろうか。とても同じ魔術とは思えない。超人的だ。

 ともあれ、今じゃヴェナル海は世界で最も安全な航路だ。


「七勇者なんか来なくたってよ、ゴブリンなんか俺たちの剣と魔術で十分だ」

「数次第だろ。あいつら小さくってすばしっこいからな」


 爺さんは例によって彼らの話を仏頂面ぶっちょうづらで聞いては、小馬鹿にしたような相槌あいづちを打っている。


「もし。素面しらふの者はいるかね」


 オレの思考をドアベルが遮って、そう物静かな声がした。

 振り向くと受付カウンターの前に長髪の男が立っている。

 白いローブは、おそらくマント。北の遊牧民が着るものだ。


「はーい、お待たせしました!」

「……ここは、阿片窟アヘンくつではないのかね」


 酔っぱらいの面々を軽く見渡して、男はそう言った。

 まぁ確かにろくでなしの酔っ払いばかりだけど、阿片窟とは――。

 阿片中毒者がひっそり集まる飲み屋のことで、そう見えたなら笑うしかない。

 ウィットに富んだ皮肉を、リンは全力の笑顔で否定した。


「宿屋です!」

「そうか。部屋はあるかね」

「ひと部屋ございます!! お泊りですか!?」


 洗い物からすっ飛んできたリンは、手を拭きながら宿帳を差し出す。


「こちらにお名前をどうぞ! 一晩六十パンドですが、一週間ですと一晩あたり五十八パンドとお得となっております!!」

「名前――名前を書くのかね」

「はい!!」

「なぜ」


 浮世うきよ離れしている。旅慣れていないのだろうか。

 昼行燈のオレが言うのも何だが……そういえば宿帳とは何のためにあるのだろう。


「その、忘れ物ですとか! 連絡に!」

「名前だけで連絡が取れるというのかね。それに生憎あいにくだが、この通り、忘れるようなものを持ち合わせていない」


 たしかに男は身一つ。小さなかばんひとつ持ってはいなかった。


「その! 中にはお代を踏み倒すようなお客もいらっしゃって! そんなときは人相書きと、名前をこう、往来にババーンと貼り出してですね!」

「なるほど」


 男は納得したのか、ペンを取ってスラスラと記帳した。


「一週間頼む。代金は前払いとしよう」

「まいど!!」


 まいど、じゃない。

 リンは現金を目の前にするとどうも市場の屋台のようになってしまう。

 爺さんはしつけというか、そういう挨拶にはうるさいのだが――。


「して、ここで珍しい茶が飲めると耳にしたのだが」


 ふいに、男は食堂を見た。

 閉じたような細い目。青みがかった銀の長髪。物静かな態度。

 白いローブに身を包むその姿は僧侶のようだった。

 ああ、爺さんなら――そう言いかけて振り向くと、爺さんの姿がなかった。

 面倒を察して逃げやがったな。

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