弐・人を呪わば穴二つ

 古くは見世物小屋として栄えた矢菱やびし興行こうぎょう狸穴まみあな一座いちざは、海辺の土地に町を築いたという。

 駅を出ればすぐに大きなドーム状の洋館が見えてくる。

 稲子は大きく背伸びした。今日は黒地に紫の薔薇バラがあしらわれたワンピースと、千鳥格子の厚手コート、灰色のベレー帽を合わせている。対し、見弦矢は昨晩と同じハンチングにトレンチコート。これに、稲子はうんざりと顔をしかめた。

「相変わらずあんたは『芋』だね」

「その『芋』ってなんですか」

「分からない? もっさりしていて洒落しゃれてないってこと。アタシ、芋は嫌いなの」

 稲子は自分勝手に文句を垂れ、赤い木製のドアを大きく開け放った。

 堂々と真っ赤な絨毯の上を歩いていく。中はほっこりと暖かく、焦げ茶とワインレッドを基調とした丸い空間が現れた。重厚な洋風のロビーと、カウンター。その奥に扉がいくつも並ぶ。

「いらっしゃいませ」

 黒いタキシード風の制服を着た中年の支配人が二人を迎えた。

「人を探しているのだけれど、笹本って女はいる?」

 稲子が不躾に言うと、支配人は眉をひそめた。それに見弦矢が割って入る。得意げに名刺を見せながら。

「あー、失礼。先日、ここに住み込みで働いている笹本かほ里さんから依頼されたんです」

 胡散臭い風貌だが、彼の笑顔には愛嬌がある。支配人はすぐに警戒を解き、しかし顔はしかめたまま唸った。

「少々お待ち下さい」

 彼はカウンターに置かれたスタッフ用の電話機を操作した。その間、見弦矢が稲子に耳打ちする。

「あの様子じゃあ、彼女はおそらくもの扱いなんでしょうね」

「むしろ、よくもまぁ劇場ここに居座れるものだわね」

 散々な言いように、支配人はチラリと一瞥した。

 二人はロビーのソファで待つことにし、すごすごと向かい合って座った。

 見弦矢がタバコのケースを出す。すかさず稲子は手のひらを見せた。

「ちょうだい」

「はぁ……まったく、しょうがない人だなぁ」

 その言い方はなんだか猫なで声であり、稲子は寒気を覚えた。鳥肌が立つ。しかし、なおも見弦矢は爪の上で吸口を叩きながら調子よく言った。

「昨夜の色仕掛けは見事でしたし、詐欺師にでも転職しては……あっ!」

 彼の軽口を遮るように、稲子がタバコをもぎ取った。

「おちょくったバツ!」

 赤い唇でタバコをくわえ、火をつける。今度は稲子がニンマリと笑い、見弦矢はため息を吐いてタバコをもう一本出した。

「こんにちは」

 二人の元へ猫背の女がのそのそと現れた。

 蒼白で輝きのない顔を向ける女は、稲子と同年代には思えないほど虚ろだった。声もしゃがれており、まるで老婆のよう。

「あなたが、笹本かほ里さんですね」

 見弦矢は臆することなく立ち上がった。そして、恭しく会釈する。彼は誰に対してもそう振る舞うのだろう。

 稲子はソファに腰掛けたまま、紫煙を吐いて笹本を見た。眉をひそめ、不機嫌をあらわにして。

「あらまぁ、随分と派手にようね。あんたの背中に黒いもやがうごめいている」

 出し抜けに言う稲子へ、笹本の両眼が不審さを帯びた。そんな彼女に、稲子は追い打ちをかける。

「人を呪わば穴二つ。恋人を呪ったバチが当たったんだねぇ」

「呪い……ですか。あなた、何者なんです?」

 笹本の目は今や、邪気をはらんだ陰鬱をかもし出す。この問いに、稲子ではなく見弦矢が咳払いして口を開いた。

「彼女は僕のフィアンセです」

「その辺で会ったただのよ。勘違いしないで」

 すぐさま訂正すると、見弦矢はしおらしく唇をすぼめた。

 笹本の目が釣り上がる。彼女は口を結び、かさついた指をむしった。左の小指が欠けている。塞がった傷口を爪で引っ掻いて二人を睨んだ。

「……ま、手短に済ませた方が良さそうだわね。もしかしたら、あんたを助けられるかもしれない」

 しかし、稲子は小さく付け加えた。

「手遅れじゃなければ」



 ***



 劇場の地下へは控え室を経由するらしく、準備中の役者たちがぎゅうぎゅうに身を寄せていた。

 しかし笹本が通れば、まるでモーセの十戒のごとく人波が割れる。ようやく終点が見えてきたところで、笹本は重たい鉄扉を開いた。

 中はほの暗く、小さな灯りが点々と等間隔に並ぶ階段が下へ続いていく。淀んだ空気が沈殿しているようだ。

「――なんだか寂しいところですね」

 堪らず話したのは見弦矢。密やかな声が反響し、彼は苦笑いした。

 対し、笹本が言う。

「まるで監獄のようでしょう。哲志さんを殺したから、ここにいることを強いられているのです」

「なぜここに居続けるの?」

 どう呪ったかはともかく、彼女がここにしがみつく理由が分からない。稲子の問いに、笹本はふと振り返った。かつては白く美しかったろうまなこを血走らせて。

「私は、戦争で父を亡くしました。母も病で死にました。親戚はおらず、先代の支配人に拾われたその日に、私はここに骨を埋めることを誓いました。それに、」

 饒舌じょうぜつだった彼女は言葉を切った。何を思ったか、階段を駆け下りていく。

 笹本はニタリといやな笑いを向けて二人の到着を待った。

「……ちなみに、あなた方は『レンゴクのまじない』をご存知ですか?」

「それについては、今しがた訊こうと思っていたところです」

 見弦矢が言った。

「あれでしょ、小指に赤糸を巻きつけて指切りするっておまじない」

 稲子が口を挟むように階段を駆け下りる。これは昨夜、飲んだくれから仕入れた情報だ。

 しかし、笹本は呆れたように眉をひそめた。

「違いますわ。そういうものじゃなく、もっと複雑で強いものです。お遊びでちぎったわけじゃないのよ」

「そうだろうね。まじないっていうのは、お遊びでやっていいものじゃない」

 稲子がピシャリと言えば、笹本はわずかに怯んだ。目を泳がせる。

「どういうこと?」

 ひとり分かっていないのは見弦矢だ。悠然と階段を降りてくる。稲子と笹本は同時に彼へ一瞥を投げた。しかし、へらりと能天気な男である。

 稲子は彼の手のひらに指で文字を書いた。不思議と彼女がなぞった跡が皮膚ひふに残る。

「まじない、すなわちまじない。ここまで言ってもまだ分からない?」

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