Étude
❄︎ ♪ ❄︎ ♫ ❄︎
「仕方ないよ。イベント初日なら」
匠からの電話が来たのは、夜の十時を回った頃だった。最近の匠は新作造りに試行錯誤しているらしく、日付が変わるまで店に残っていることが多い。
『悪い。けど終演までにはもしかしたら……』
「だって閉店後も片付けとか、翌日の仕込みあるでしょ」
『でも……』
いつもクールなのと比べて、今日の匠の口調は珍しく歯切れが悪い。
「ダメだよ、店長さんたくちゃんに期待してるんだから。だーいじょうぶ。将来的にはたくちゃんの聞けない演奏会なんて、いーっぱいやっちゃうんだから」
スピーカーの向こうから返事はない。ゴウンと機械音がする。まだ作業をしているのだろうか。響子は話題を変えた。
「……そういえばたくちゃん、発表会とか何故かいつもホールの左端にいるよね」
『何故かって……響子が言ったんだろ』
「あれ、そうだっけ」
『響子が後ろ端に座ってると演奏始まったら顔が見えないから、緊張しないで済むって。覚えてないのか』
言われて初めて、小学生くらいの時にそんなこと言ったかも、と思い出した。確かに観客の顔が見えないと誰が来ているかわからないので緊張は和らぐのだが、この理屈は自分でもおかしい。見えなくとも匠が来ていることは知ってるから、どこに座っていようと関係ないはずなのに。
響子が「あれ〜?」と悩んでいると、匠が呆れたため息をつく向こうで、ピー、と電子音が鳴った。
『悪い、生地焼けた。出さないと萎む』
「
『響子もほどほどにして寝ろよ』
「うん、お休み」
響子は通話を切ると、ピアノの端にスマートフォンを置いた。サイレント・モードで練習していたピアノのヘッドホンを被りなおし、楽譜のページを楽章の頭に戻す。
——そういえば夜にたくちゃんの声聞いたの、久しぶりかも。
弾き出そうとして口がへの字になっているのに気がつき、慌てて頬を上げた。表情から曲への気持ちが左右される。椅子に座る位置も改めて、楽譜に向かって背筋を伸ばした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます