不覚

新巻へもん

捨ててこい

 たった5文字が言えなかった。


 ***


「ああん? 藤木よ。随分偉くなったもんだな? 誰に向かって意見をしてんだ?」

 私の目の前で、商品開発部の藤木部長が目を白黒させている。

「いえ、あの、ですから、うちに来るお客さんはそういうものを求めてはいないのではないかと……」


「うるせえ。回転ずし屋なのにラーメンが主力商品って店もあるだろうがよ。それに今はタピオカの時代なんだ。タピるって知らねえのか?」

「いえ、そうはいいましても、うちは高級バーガーが売りですから……」

「だから、トッピングにカラフルなタピオカを乗せたレインボーバーガーなんじゃねえか」


「いくらなんでも……」

「バーカ。これからの時代は味がいいだけじゃなくて、映えが重要なんだよ。いっぺん原宿の通り歩いてこい。女子高生がみんな持って写真撮ってんだろが」

「うちの店舗の性別年齢別顧客比率を見ましても1%以下ですが……」

「ごちゃごちゃ言ってねえでいいから、さっさと試作品作って持ってこい」


 私は社長である。正社員は100名弱ほどの中小企業ではあるが、20店舗ほどの飲食店を経営している。浮き沈みの激しい飲食業界で一代でここまで事業を大きくしたのだからかなりのものだろう。若い頃からわき目も振らず働いてきた。当然仕事に対する要求は厳しい。業界平均よりかなり多めの給料を出しているのだから当然だ。


 まあ、社員の大多数が私のことを恐れているのは知っている。鬼だとか、悪魔だとか、私の不在時にほざいてやがる。監視カメラで全部録画されているというのに迂闊な奴らだ。音声は記録されていないと思って油断してるんだろうが、私は唇が読めるのだ。わっはっは。


 だいたい、職場ってのは仕事をする場所だ。仲良しクラブじゃねえ。トップの私が甘い顔をしていたら、秩序を保つことができない。だから、私はいつも仏頂面か苦虫を噛み潰したような表情で仕事をしている。お陰で本社はいつも緊張感がみなぎっていた。私が居る時に限ってもだ。


 町にクリスマスソングが流れ出す、しょぼしょぼと冷たい雨の降る日の事。午前中に藤木を絞り上げた私がパンをかじりながら、各店舗からの営業月報を子細に見ているところに、経理の大野が昼飯から帰ってきた。時計を見ると12時59分。だというのに、自席にも戻らず何やら早口でしゃべっている。他の社員が側に寄って輪を作り始めた。


 私はため息をつくと自席から立ち上がり、オフィスの入口の方に向かった。

「おい。ここは喫茶店じゃねえ。いつまでくっちゃべってんだ。さっさと仕事に戻れ」

 輪を作っていた社員が慌てて自席に戻っていったが、大野は相変わらず立ち尽くしている。


 私は最早いらだちを隠そうともせず、大きな声を出そうとしたが、大野が機先を制して言った。

「この子、このままだと死んじゃいます」

 正直に言えば、私はこの大野がちょっと苦手だ。何を考えているか分からない所がある。


「は? 誰が死にそうだって?」

「だから、この子です。怯えるから大きな声を出さないでください」

 大野はそれまで抱きしめていたチンクシャした青灰色の塊を私の方に向ける。痩せこけた仔猫だった。


 大野は早口でまくし立てる。

「すぐそこで、この冷たい雨に濡れながら震えていたんですよ。可哀そうに。このままだと死んじゃいます。死んじゃったらどうするんですか。化けて出ますよ。社長のせいですからね」


 本来ならすぐに「捨ててこい」というところだったが、私はとっさのことに呆れてものが言えなかった。その間に大野は仔猫を私の手にぐいと押し付ける。

「私、これから信金に出かけてこなきゃいけないんで、この子のことお願いしますね」


 私が怒声を張り上げようとしたときに私の手の中の仔猫が薄目を開ける。冬の高い空のような色の目が私の目と合うと、にゃあん、と小さな声で鳴いた。その瞬間、私は雷に打たれたように何かに目覚めてしまう。気づくと大野はオフィスから出ていくところだった。


 パソコンに向かって仕事をする振りをしながら、こちらの様子を伺っていた営業の清水に声をかける。

「おい、ぼさっとしてねえで、こいつをどうすればいいか、パソコンで調べろ。早くしねえか」


 ***


 それから、1か月。私のウノちゃんはキーボードの上でお寛ぎ遊ばしている。

「なあ、ウノ。ちょっとだけ、パソコン使わしてほしいんだけど。ね。お願い」

 耳をピクリと動かしたが、どく気はないようだ。

「後でいーっぱい遊んであげるから。ね、ね」

 つーんとするウノちゃん。私の目尻は下がりっぱなしだ。


「社長。ご指示のありましたレインボーバーガーの試作品が出来上がりましたが……」

「おお、そうか、そうか。玉ねぎは抜いてあるんだろうな」

「もちろんです」

「ウノちゃん。特製のごはん食べたくないかな~?」


 遠くの方で私の方を見ながら大野が近くの社員と何かを言っている。時折、ふふっと笑いながら、私の方を指さしていた。職場内には全体的に以前のような張り詰めた空気はない。折角長年をかけて作り上げてきた雰囲気だったのだが……。

 

 大切なものをなくしました。

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不覚 新巻へもん @shakesama

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