414.なぜ魔族は扉を閉めないのでしょう

 夢魔の魔王だったイシェトは、かつての部下を見下ろす。この男は保身に長けており、自ら動くことはない。誰かに策を授けられたか、都合よく踊らされた可能性が高かった。イシェトの説明中に、ベルゼブブは激痛の中で手を伸ばす。


「あ……魔王、さま?」


 全身を細い木の根に侵食され、口から葉っぱを吐き出しながらベルゼブブは目を見開いた。消えた前魔王がいる。側近の黒竜王アルシエルが寝返ったため、ここにイシェトがいるとは思わなかったのだろう。


「お前は私を慕ってくれていました。だから、話してくれますね。誰がお前に嘘を吹き込んだのですか?」


 がくりと項垂れたベルゼブブが呟いた名に、ほぼ全員が首を傾げた。


「グリフォ……イラ、リオ」


 知らない名に眉を寄せるアルシエルだが、顔色を変えたのはオリヴィエラだ。長椅子から立ち上がり、よろりと近づいた。


「イラーリオね?」


 敬愛する主君であり、愛するイシェトに嘘はつけない。素直に頷いたベルゼブブは、もう抵抗の意思がなかった。囚われたイシェトがひどい拷問に遭っていると聞かされ、助け出そうと動いたのだ。それが嘘で彼女が安全に保護されているなら、何も言うことはなかった。


 この身が罰せられても、イシェトが無事ならいい。全身の力を抜いた潔い姿に、バツが悪そうな顔をしたヴィネが「やり過ぎた」と小さく謝罪した。木の根が後退するように除去されていく。


「私の兄ですわ」


 溺愛する妹が帰ってこないことに、業を煮やしたのだろう。行方を探り手元に引き戻すために動いたと思う。そう告げるオリヴィエラの表情は、呆れ半分だった。


「話をつけてきます」


「誰かつけるか?」


「いえ、逆に危険ですので」


 アスタルテの気遣いを、首を横に振って拒否する。自分以外に誰が同行しても、嫉妬して攻撃するはずだ。異性はもっての外、同性だとしても「連れ出した犯人」と見做せば攻撃対象だった。


「ローザ、少し出てきますわ」


 挨拶して、オリヴィエラは庭へ続く扉を開く。その先でグリフォンの姿を取ると、すぐさま舞い上がった。雲が広がる空は灰色で、グリフォンはすぐに見えなくなる。


「……なぜ、魔族は扉を閉めないのでしょう」


 溜め息をついたアガレスが指摘した言葉に、広間に集まった魔族はあらぬ方向へ視線を逸らした。猫と一緒で、必要なら開けるが閉めない。いつも後始末をするアスタルテだけが「まったくだ」と同意しながら頷いた。


「レーシーはどうした?」


 普段は甲高い声で歌い、自由に過ごす彼女らしくない。少し俯いて己の腹を大切そうに撫でていた。


「あの……」


「ああっと、その」


 誤魔化すようにバアルとアナトが声を上げる。だが意味をなさないので放置した。見つめる先で、イシェトが困ったような顔で微笑む。


「彼女、妊娠しています」


「…………!」


「「えええ?」」


「あら……っ」


 さまざまな反応が起きたものの、全員が一斉にレーシーを見つめた。腹を隠すように背を向けたレーシーは、顔だけ振り返る。その表情は穏やかな笑みに彩られていた。

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