334.懸念材料の排除は最優先しろ

 領地が急激に拡大し、それに伴う文官の派遣が大急ぎで行われていく。マルファスは補佐官として残ることを求められたため、部下の中から使えそうな者を数人選んで各地へ向かわせた。


 アガレスは有能で、ほとんどの内政処理を自らの手元で行う。何かしらの新たな公共事業を行う際は判断を仰ぎ、日常的な処理内容は報告書の形で提出された。ここしばらく離れた執務机には、印章が無造作に置かれている。


 オレが認めた者以外が持ち出すことは出来ないため、隠して保管する必要がないのだ。積まれた書類は左右に分かれており、半分はアスタルテの手で処理が終わっていた。


「バシレイア、テッサリア、キララウス。現在残っているのはこの3カ国です。それゆえ外交はアガレスに丸投げします」


 決定事項として告げられた内容に反論はない。人間相手の外交は、人間が応じるものだ。手に負えない戦や災害があれば、我らが手を貸すくらいでちょうど良い。頷いて先を促した。


「グリュポス跡地の森ですが、何やら奇妙な魔物が発生ました。息の根を2度止めねば蘇るようで、マルコシアスとマナーガルムから調査を依頼されました」


「それは明日の狩りで確認しよう」


 子供達を連れた狩りは娯楽であるとともに、彼女らの体調管理に欠かせない行事だ。飼い犬の散歩のような物だと認識していた。どうせ連れて行くなら、その場で視察を兼ねて状況確認すれば無駄がない。同じ結論だったのか、アスタルテもあっさり納得した。


 王都の状況や孤児の保護に関する話を聞き、城を修復するドワーフの要望を承認する。その頃、ずきりと右腕が痛んだ。思わぬ痛みに、顔を歪めたらしい。目を見開いたアスタルテが書類を机に置いた。


「おケガを?」


「いや、治癒した」


 昔右腕を切り落とされて復元した際も、このような痛みをしばらく感じた。数日すれば消える。そう考えて答えるが、アスタルテは紫の瞳を細めて右腕を観察した。


「血を、いただいても?」


 確かめたい、それは彼女の立場なら当然だ。補佐官として、オレの片腕として、懸念材料は排除したい。本能に近いアスタルテの要望を聞きいれ、右腕を目の前に差し出した。


 捧げ持つアスタルテが牙を剥く。鋭く長い牙がずぷりと肌を裂いた。唾液とは別に牙を覆う体液は麻酔だ。獲物から効率よく血を奪うため、吸血種が分泌する体液は血が固まるのを抑制する効果もあった。


 ずずっと音を立てて飲んだ血を味わい、アスタルテは牙を抜いた。傷口を撫でて塞ぎ、唇の端に垂れた血を指先で舐めとる。赤い舌が妖艶に唇を湿らせた。


「……っ、毒? いえ、違う」


 血に混じる何かに気づき、アスタルテが顔色を変えた。顔をしかめて飲んだ血を吐き出す。彼女の尋常でない様子に、オレは短剣を引き抜いた。そのまま迷いなく、右腕の傷があった場所に突き立てて抉る。吹き出した血が右腕から滴り、床に赤い水たまりを作った。

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