312.陛下のお手を煩わせるまでもない

 辿る糸の先を確かめて、アガレスやマルファスへ繋がる糸の数を数えた。城内すべての人間に掛けたと想像していたが、思ったより少ない。68本、いや……いま半数は切れた。


 残りは――31本。離宮に向かう黒い糸が一斉に消滅した。切れるというより、燃やしたような激しい消え方だ。感受性を高めた肌がじりじりと焼ける痛みを覚え、深呼吸して感度を落とした。もう敵の位置は絞った。


 離宮で爆発した魔力は、魔王サタンのものだ。あの強くも美しい波長を間違えはしない。この世界でサタンを名乗ることを決めた主君の魔力は、前世界より柔らかくなった。よい傾向だと思う。張り詰めすぎた糸が千切れる緊張感が薄れたなら、心休める場所を見つけたのだろう。


 アスタルテはゆっくりと目を開く。アガレス達に繋がる31本に仕掛けや罠は見受けられなかった。情報収集や暗殺の手駒として、闇が操るために残したのだろう。すべてを切り落とすか、油断させるために残すか。


 あの人なら前者を選ぶ。そう呟いたアスタルテは立ち上がって、濃色の制服についた埃を払う。すべての糸を切るのは確実だとして、問題はそのタイミングだった。


 見上げた空は雲が増えつつある。上空の風が強く、曇り空になるのは時間次第だ。色の黒い雲が多いため、夜には雨に変わる。天候を読みながら、風向きが変わったことを肌で感じていた。


 背に羽を出し、ふわりと浮き上がる。ぱちんと指を鳴らすと魔法陣を足元に描いた。上空で作業する黒竜の魔力を終点として、一瞬で移動を果たす。


「作業は終わりそうか?」


「あと3つだ。先ほどの魔力の爆発は……」


「陛下の魔力だ。心配いらぬ。この程度の騒動は日常の世界で、頂点に立ったお方だ」


 仕掛けられた罠はほとんど解除済みだ。そう告げたアルシエルへ心配無用と返し、地上へ目を凝らした。街に広がる蜘蛛の巣状になったヒビ割れから感じる不穏な気配は、確かに少ない。


「3つじゃない。5つだ」


 訂正して、見落とされた場所に印をつける。小型の結界で仕掛けを囲い、人間を遠ざけて魔力を流し込んだ。ぼふっ、不発の仕掛けが土煙を上げる。


「解除すると手間であろう? 人がいない場所はこの方が早い」


 乱暴なようだが合理的だ。人間が多い場所で行えば、不安を煽る。巻き込まれる被害者の心配も必要だった。しかし街の端や外壁周辺ならば、発動させて抑え込む方法が効率的だった。


「もっと大人しい方かと思っておったが」


「私は始祖だぞ。大人しくしていたら、一族が滅びる」


 この世界なら存続できても、前の世界では通用しない。そう匂わせてウラノスの言葉を否定した。2つの仕掛けを一瞬で処理したアスタルテの手並みに肩を竦める。


「そろそろか」


 アスタルテの魔力が絡み付いた糸の先を追う双子が、到達するころだ。彼と彼女の能力は特殊で、互いに打ち消し合う特性があった。プラスとマイナスのように惹かれ合うくせに反発する。アナトもバアルもその使い方を、きちんと理解していた。


 陛下のお手を煩わせることもない。アスタルテは勝利を確信し、赤い唇を歪めた。

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