304.従えないなら去れば良い

 無理やり空間を引き裂いたククルは、魔力を使い果たして眠る。その姿は、妖艶な美女の姿だった。神としての姿形を残したまま、ククルの意識は回復の深い眠りに落ちた。


 崩れる彼女の口から「お腹すいた」と色気のない呟きが溢れる。地につくほど長くなった赤毛ごと抱き上げた。


「やはりククルか。ほぼ使い切ったな」


 苦笑いするアスタルテの声に頷く。神格を失ったククルカンの体は、以前のように魔力や神力を集められない。少しずつ蓄え、身のうちに仕舞い込んでいた。できるだけ魔力を使わずに済むよう、体術中心で戦うのも彼女の戦略だ。その器が満ちる前に空にしてしまった。


「この姿のままなの?」


「ええ? 無理だと思う」


 神の器を維持できない。そう判断したのは双子神の妹アナトだった。長い赤毛の先がすでに消えかけている。衣の裾が透明になり、やがて少女の姿に戻るまで、大した時間はかからない。


 よほど腹立たしかったのだろう。偽りで欺き力を奪い貶めた神々に対抗するための神力を、放出してしまったのだから。


 後宮の無事な部屋を選び、彼女を寝かせる。そこへリリアーナが駆け戻った。


「いま凄い力があって、戻った?」


 曖昧だが事情を掴んだらしい。ドワーフを残して封印された空間を、封印と見抜いたのはククルだけ。リリアーナはどこかに誘い出され、未だ駆けつけないオリヴィエラやロゼマリアも移動したようだ。魔力の位置を確認したが、傷つけられた気配はない。


「操るつもりだったか」


 アスタルテの呟きは、疑問より断定の色が濃い。入り込む器として彼女らを欲したか。操って嗾ける気だったのか。どちらにしても闇は我らの力量を測り損ねた。これほどの規模の術を構築する知識を持ち、実際に展開する能力を持つ者が……魔力量や神力を読み誤るなど。


 まず違和感が先に立つ。アスタルテの魔眼で、敵は獣人の街の地下にいた。地下水脈を使って移動を試みたのでは、とウラノスは推測した。吸血鬼の始祖と元吸血王は、揃って闇の移動を否定する。ならばこの地に手を伸ばした闇は、なぜ殺戮の地に留まるのか。


 答えは絞られる。移動しなくてもよい能力を持つ、または移動できない理由があるのだ。


「移動できない理由……」


 呟いたオレの声に、リリアーナが思わぬ情報をもたらした。


「あのね、アガレスが変だよ。ずっと違う人みたいな匂いがする」


 これが決定打だった。まだ闇は繋がっている。人間に入り込んだ闇が残っているなら、仕掛けるのは簡単だった。


「ククルを囮にする」


 後ろで見守っていたアルシエルは息を飲む。だが、前世界から付き従った双子神とアスタルテは笑って頷いた。互いの能力を正確に把握して利用し、どんな場面であっても主命を一番とする。その強い信念と覚悟に、ウラノスもアルシエルも驚いた。


 激戦を潜り抜け、仲間を失いながら、泥を啜って生き延びた者達の――それは矜恃にも似た信頼感だ。この柔な世界しか知らぬ者らに同じ覚悟を求めることはしない。


「いくぞ」


 寝かせたククルを残して歩き出したオレの後ろに従う魔族の心境は、それぞれに違う。それでいい。従えないなら去れば良いのだ。ひらりと揺れるマントの端を、リリアーナの指先が強く掴んだ。

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