265.何を心配すればいいのだ

 全員のカップにお茶を注ぐと、アガレスは一礼して着座する。ポットをひとつしか用意しないのは、魔族がよく行う作法の一つだった。お茶に何も細工をしていないと示すためだ。キララウスの民は知らなくとも、同格に扱うと示したオレの自己満足だった。


 穏やかに見守るアースティルティトも、何も言わない。しかし先頭を切って口をつけたオレの仕草に、国王ダーウードは微笑んでお茶を飲んだ。他の大臣が止める間も無く、当たり前のように。毒味を待たずに王同士が口をつけたため、他の大臣達もお茶を一口含む。


「我らが求めるものは、対価として高いかもしれません」


 切り出したのはダーウードだ。頷いて先を促すオレが目配せしたアガレスは、紙に書き記す準備をして待った。文官をすべて外へ出したため、代わりを果たそうと考えたのだ。こういう柔軟さが彼の利点だった。


「この国と同盟を結び、森の一角に移住する許可をいただきたい」


 頭の中で計算する。同盟は全く問題ないが、森の一角というのは難しい。あの土地はすでにマーナガルムやマルコシアスに与えた。過失ない状態で狼達から領地を取り上げることは、彼らの矜持を傷つけるだろう。


「森でなくてはならぬか?」


 場所の変更は可能かと尋ねる。補償は他のものでも補えるが、壊した信頼は後まで災いをもたらす。人間が住まう土地なら、別に用意が可能だった。妥協案を受け入れるか、彼らの考え次第だ。


「いえ、空いている領地があればどこでも」


 あっさりと引いたダーウードに、オレは好感を覚えた。ちらりと視線を投げると、心得た様子のアースティルティトが地図を取り出した。人間ばかりの議場なので、円卓の中央に地図を広げる。


「よろしいのですかな?」


 緊張した面持ちのキララウスの大臣が、忠告するように顔色を窺う。地図は国土の広さや地形を示すものだ。他国に詳細な地図が出回れば、それは侵略の足がかりとなった。そのため地形や等高線が示された地図は、極秘扱いの書類に分類される。


「尋ねるほど善良な貴殿らに、オレは何を心配すればいいのだ」


 国内を荒らそうというなら、力づくで叩きのめせばいい。策略を用いるなら、側近であるアガレスやアースティルティトが対峙する。だが正面から、地図を見せてもいいかと心配する国民相手に、魔王が懸念を示す理由はなかった。


 圧倒的武力と戦力が手元にあり、結束を乱される心配もない。この状況を覆せる者がいるなら、逆に手元に置きたいくらいの有能な輩だ。にやりと笑ったオレに、ダーウードは肩を震わせて笑った。


「その信頼、決して裏切れませんね。キララウスとの同盟を結んでいただけるなら、我らは国の主権を手放しても構いません」


 王族や貴族としての権利を放棄する。国民の幸せを優先するダーウードに、アースティルティトが呆れたと溜め息を吐いた。


「無責任ですわ。知らない土地で頑張る民を慈しみ、導くのが王族です。象徴ではなく、手が触れられる距離で一緒に苦労なさいませ」


 容赦なく苦労する道を突きつけた美女に、キララウスの大臣達はほっと顔を見合わせた。

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