212.狩りの感覚を忘れてしまうぞ

 黒竜王のなした繊細な魔法陣の成果に、ウラノスは唸った。玉座の前に設えられた空鏡が写した光景は、既存の表現が追いつかぬほど美しい。


 麦の中に紛れた異分子の害虫を、万に及ぶ数を区別して、収納へ送り込む。結果だけを見れば、ウラノスも納得するだろう。だが発想の奇抜さと、繊細すぎる魔力の操作、気が遠くなりそうな魔法陣の構築を考えると彼の実力は推して知るべし。


 手元にあるどの駒より強い。隣で見ていたリリアーナがぐるると喉を鳴らした。感心した表情の裏で、羨むような複雑な感情を押し殺した彼女は、ぽつりと呟く。


「今の、技……教えてもらう」


 気に入らないと排除するのは簡単だ。しかし対立した相手を認め、教えを請おうと考えられるまで、リリアーナの感情の動きは真っ直ぐだった。父として不要と断じても、師として必要とするなら首を垂れる覚悟がある。


「良い判断だ」


 褒められて泣きそうな顔をするのは、まだ感情が理性に追いつかないためだ。自分が通った道を同じように辿ろうとする幼竜を、ここまで愛おしいと思ったことはない。愛玩動物へ向ける以上の感情を、吐息に混ぜて吐き出した。


「我が君、残るはこの城への攻撃だけ」


 攻撃を確信しているウラノスの断言に、同じ考えのアガレスが頷いた。


「まずは同盟国であるテッサリアへ報告が必要ですね」


 後ろでメモを取っていたマルファスが合図をすると、古代エルフのヴィネがすっと姿を消した。森を抜けるのに、エルフ以上の種族はいない。彼が使者に立つなら、それが最適と思われた。


 同盟に記された外敵の排除を報告し、テッサリアにも食料供給の義務を果たしてもらわねばならない。


 クリスティーヌはウラノスに駆け寄り、何やら質問をしていた。黒髪の毛先を指で弄りながら、魔法陣がらみの質問をいくつも投げかける。勉強熱心を通り越した執着ぶりは、彼女の意外な才能を開花するかもしれない。


「次はこの城、ウラノス殿の仰る通りです。リリアーナ様を出されますか?」


 袖を掴んで見上げるリリアーナの金瞳は、期待に輝いていた。曇らせるのは可哀想だが。


「オレが出る」


「……っ、失礼ながら陛下は国の」


「中心だと言いたいのか? ならばこそオレが出るべきだ。たまには運動をさせろ」


 くつりと喉を鳴らして「狩りの感覚を忘れてしまうぞ」と付け加えた。ドラゴンを従える魔族最強の王が、人間の軍勢ごとき100万に及ぼうと敵ではない。


 軍配の上がるのが魔王である事実を、アガレスも疑うことはなかった。ただ、人間には別の問題があるのだ。


「王が先頭に立つのは、国が傾いた最後の戦いです」


 旗頭である国王は後ろでどっしり構えるものだ。その通例をあっさり破る魔王に困惑しているのだろう。アガレスのもっともな意見に頷き、きっちり反論を突きつけた。


「オレが人間の慣習に従う理由はない」


「かしこまりました。我らが魔王陛下の仰せのままに、従うのみでございます」


 言葉にして示された方針に、宰相は素直に頭を下げて恭順の意を示した。成り行きを見守るウラノスは写し出された麦畑に目を細め、クリスティーヌに何か指示する。


「私はついていくから」


「好きにしろ」


 宣言したリリアーナを許してやれば、よほど嬉しかったのか。彼女は腕に抱きついて満面の笑みで頷いた。

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