211.弊害も恩恵も表裏一体の景色

 収納空間の応用術で、対象物を指定する方法がある。複雑な方程式を解き、魔法文字に変換し、魔法陣へバランスよく配置しなければならない。扱える者はよほど魔法陣に精通した長寿の種族、さらに魔力量が豊富である必要があった。


 見える光景から麦を分離するか、人を分離するか。容易な方を選べばよい。後に害が出ないよう考慮するなら、人を分離する手段を取るのが賢いだろう。緻密な計算と魔法文字の配置を淡々と行った。何も絵のないパズルを組み立てるような作業だ。


 一色に塗られたパズルを1枚ずつ嵌めていく。そのたびに魔法陣は輝きを増した。多少時間はかかるが、この手ならば俺の価値を理解してもらうに十分だ。


 収納魔法では、放り込んだ雑多な物から欲しい物だけ選び出すことが出来る。その技術の応用だった。魔法陣が展開する真下を収納空間に見立て、そこから選んだ物だけ引っ張り出す。分離された麦はそのまま大地に根付いたまま、人間が収穫して糧とする。


 混在した不要物を取り出せば、処分がどこでも可能だ。収納魔法に取り込んだ生き物は死に至る。時間が止まり呼吸が止まり、人間の生命維持が不可能だった。どうせ処分すべき獲物なら、死に方はどのような方法でも構わぬであろう。


 余っている収納空間へ分離した人間を収納すれば、勝手に死んでくれる。戦いとしては物足りぬが、あの城にはウラノスがいた。知恵者として生き残りをはかった彼を唸らせ、認めさせるなら多少の労力は致し方あるまい。


 足元からちくちくと槍や矢で攻撃を仕掛ける小物を見下ろし、黒竜王は「ぐるる」と雷に似た声を放った。威嚇する価値もない人間に、ここまで手をかけたのは初めてだ。今までなら麦も大地も考えずに焼き払えば終わりだった。


 制約がなければ、どんな手も使える。だが簡単な手に頼り、助けられるものを見落とすようになる。一長一短の真理に思い至ったのは、漆黒の闇である主君を得た『弊害』なのか『恩恵』か。


 最後のピースが嵌まり、魔法陣が輝きを増す。ガラスを割る音に近い音域の細い悲鳴が響いた。空間を無理やり繋ぎ、収納に使われる空間と今の次元を接続していく。物言わぬ障壁が割れる音に成功を確信した。


 かしゃん。


 最後は柔らかな音、そして風が舞い上げるようにして人間を吸い込んだ。麦を掴む人間の手が千切れ、指や血肉のすべてが収納される。掴まれた麦はそよ風に揺れながら、何もなかったようにその場にいた。波長のずれた次元は麦に影響を及ぼさない。


 すべて回収し終えたのを確認し、黒竜王は魔法陣を消し去った。巨大なドラゴンはふらふらと地上に舞い降り、地面の少し上で人化する。守った麦を踏み潰さぬよう膝をついた黒竜王の肩は、荒い呼吸に上下した。苦しい呼吸を整えて顔を上げると、黄金色の海が柔らかな波音を立てる。


「なるほど、これが我が主君の求めた景色か」


 期待以上の成果を出そうと魔力を振り絞った黒竜王の汗を、そよ風が乾かしていく。かつての主君も、今仕える主君も、求めた景色は同じだった。黒竜王はごろんと地面に転がる。この平和な風景を守り切った達成感に、もう少し浸りたかった。

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