168.足元の蟻が増えたところで大差ない

 眼下に広がるは、愚か者の群れ――いや、愚か者に率いられた哀れな民であろう。徴兵され、逆らう術もないまま歩かされた民は疲弊していた。ようやく敵地にたどり着いた彼らの頭の中は、敵から奪った食料を頬張り、飲み物を口にし、捕まえた女を犯すことのみ。


 野の獣より本能に支配された醜い生物と化した。己の考えが人にあるまじき野蛮さを秘めていると、彼らは気付くこともない。


「全部やっつける!」


 興奮した様子のリリアーナは、最近ようやくドラゴンの姿でも人語を話すようになった。ウラノスの教育のおかげか、話し言葉も流暢である。話す内容が過激なのは、魔族なので咎める気のないオレは見下ろした荒野の光景に目を細めた。


 滅ぼすのは問題ないが、分割方法が問題だった。グリュポス国のように右翼と左翼が分かれていれば、グリフォンとドラゴンで半分に分けられる。しかしあの頃とは事情が違った。


 ビフレスト国王を誑かしたレーシーは、か細い声で歌を歌いながら、中庭で楽しそうに過ごしているので放置するとしても、クリスティーヌが参戦を希望した。さらにウラノスが「多少なり分けていただけますかな?」と獲物を要求する。


 同盟国イザヴェルの兵力を借りたビフレストは、大国の名に相応しい大軍を差し向けた。その数、ざっと三万強――人間にしたら多いのかもしれないが、オレからみたら足元の蟻が倍に増えようと脅威に感じるはずがない。


「お前なら、どうやって分ける?」


 空を旋回するドラゴンの背で、リリアーナに水を向けた。ぐるると喉を鳴らして唸った彼女は、前提条件を確認する。この辺りはウラノスの教育の成果だ。


「何人で?」


「リリアーナ、クリスティーヌ、オリヴィエラ、ウラノスだ」


 自分から動く気はないオレの言葉に、リリアーナは尻尾を使って器用に向きを変えた。今度は反対回りに旋回する。


「リスティと師匠は、あんまり数いらない。私とオリヴィエラで分ける前に、2人に選んでもらう」


「参考になった」


 褒めて鱗を撫でると、ぐるぐると喉を鳴らして喜ぶ。こういった反応は以前と変わらないが、先ほどの意見は目を瞠るほどの変化だ。過去のリリアーナなら、自分が独り占めしたいと騒いだはず。先に他者に獲物を選ばせるなど許さなかっただろう。


 成長が目に見えるドラゴンの背を何度も叩いて褒め、帰城を命じる。いくつか足元で矢が放たれたようだが、蟻の吐いた唾同然。届かぬまま兵士の群れに降り注いだ。風で押し戻す必要もなかった。


 怨嗟と恐怖の声を背に受け、リリアーナは悠々と空を舞った。黒銀の鱗は夜に溶け込むが、昼間は眩いばかりに輝く。魔族の発着所となった塔の跡地にふわりと降りたリリアーナは、尻尾も畳んで周囲を傷つけずに人化した。まだ服を纏いながらの変化が難しく、慌てて近くの茂みに飛び込んでワンピースを被っている。


「お疲れ様でした。今回の戦後処理について、事前に考えをお伺いしたいのですが、少し時間をいただけますか」


 帰りを待っていた宰相アガレスに頷き、駆けてくるリリアーナの金髪を撫でる。ピンク色のリボンと格闘しながら付いてくるペットに苦笑いし、歩きながら風で髪を集めて結んでやった。


「ありがとう! このあとお仕事? 私、ローザのところで待ってる」


「わかった」


 一時期はべったり張り付いて離れなかったが、ウラノスに教育を任せてから距離感を学んだらしい。邪魔にならないよう気遣うリリアーナを見送り、アガレスと共に執務室へ歩き出す。


 執務室に入って椅子に腰掛けて気づいた。先ほどリリアーナは「待ってる」と告げた。つまり迎えに来いという意思表示だ。徐々に賢くなるペットに一本取られたが、こういうのも悪くない。いつまでも子供ではない証拠だろう。ふっと口元を緩めたオレに、アガレスはわずかに目を見開くが何もなかったように話を切り出した。

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