164.足りない人手を補う? 嫌な予感がします

 書類を片付けたアガレスが、疲れた目元を指で押さえながら溜め息をついた。グリフォンであるオリヴィエラが戻ってから3日、魔王サタンを含めた魔族は誰も動こうとしない。戻ってきたレーシーは奇妙な歌を歌いながら廊下を徘徊し、侍女を怯えさせた。


 オリヴィエラは乱れた毛並みを直すと言って、中庭で毛づくろいを始める。リリアーナはクリスティーヌを連れて狩りに精を出し、大量の魔物の山を積み上げた。リシュヤとロゼマリアは、新たに増えた子供達への教育施設を整えている。


 国内の人口が増えたことで、さまざまな問題も起きた。元からバシレイアの民だった者と、新たに受け入れたグリュポスの難民が揉めるたび、裁判官を兼ねた部署は大騒ぎだ。しかし事前に魔王の命令で不明瞭な法を整理していたため、応援を差し向けることでなんとかバランスを保てていた。


「仕事の量に対して、人員が少なすぎますね」


 問題点はわかっている。だが、簡単に人を増やせない事情もあった。町は復興に向けて動き出し、そちらも人手不足が深刻だ。無理に働き手を徴収すれば反乱の火種になった。グリュポスから受け入れた者の中に、読み書きのできる者もいるのだが……国の中枢に引き入れるわけにいかない。


 魔王サタンがいくら有能でも、手足が足りなさ過ぎた。バシレイア聖国は、城と城下町のみで成り立つ小国だ。それが倍近い人口に増え、他国を吸収したことで機能不全を起こす寸前だった。そもそも国家としての仕組みが大国と違う。


 ひとつの商業都市に過ぎない国家の国土と民をいきなり増やしたら、同じシステムでは運用出来ないのだ。悩むアガレスだが、この話をサタンに持ち込むことに躊躇していた。魔王である彼にとって、人間の国の些末事は煩わしいだけだ。頼るなら最低限の部分だけに限るべきではないか。


 これからビフレストとイザヴェル相手に戦を始める魔王へ、足元の雑事を持ち込むことに遠慮に似た感覚が浮かんだ。何より彼が信頼して任せた宰相職に就き、これだけの権限を与えられた自分が泣きつくのはプライドが許さない。


「宰相閣下。甘い物いかがです?」


 書類を束ねて綴じたマルファスが、引き出しから焼き菓子を取り出した。赤や黄色のジャムが飾られた菓子に、遠慮なく手を伸ばす。疲れているときは糖分を補給するといい。そんな話を聞かせたのは数週間前で、マルファスが覚えていて菓子を出したことに苦笑いした。


 そんなに疲れているように見えただろうか。


「この菓子はどうしました?」


「ああ、ロゼマリア様にいただいたんですよ。なんでも子供達とたくさん作ったから、皆さんでどうぞって。あちこちの部署に配ってました」


 彼も口に焼き菓子を放り込みながら、部屋にこもって書類整理をしていた上司に世間話を始めた。長い前髪をくるくると指先で弄る。


「魔王様が、近々文官を増やす予定があるそうで……なんでも転送の目途がついた、と仰ってましたが、どこかから攫ってくるんですかね。あ、あと三つ編みが可愛い離宮の侍女に子供できちゃって、リシュヤ殿がカンカンでした。離宮は処女だけなんでしょ? 孕ましたのが騎士だったらしく、潔く頭を下げてロゼマリア様が……、どうしました?」


 途切れなく城内の情報を流すマルファスが、不思議そうに言葉を切った。アガレスは驚いた様子で固まり、手にした菓子を書類の上に落としている。


「ジャムの色がついちゃうじゃないっすか」


 砕けた口調で焼き菓子を拾うマルファスの腕を、アガレスが掴んだ。ぎゅっと力を込めて拘束し、彼に問いかける。


「今、文官を転送……と?」


「え? ああ、魔王様情報だから確かだと思いますけど」


 出所が確かな情報と太鼓判を押したマルファスに、アガレスは頭を抱えて唸った。なぜでしょうか、嫌な予感がします。

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