130.苦難の道への対策が必要か

 魔法陣を平然と表に刻む行為から、この世界で魔法陣の解析技術は低いのだと気づく。アースティルティトやククルなら、一度見た魔法陣は記憶してしまう。そのため魔道具の内側に刻んだり、魔術が得意な者は透過を使い見えなくするのが一般的だった。


 表に堂々と刻まれた魔法陣の文字を読み解き、発動条件や構成を確認する。一通りの確認が終わった段階で、この砦に用はない。期待の眼差しで見つめるリリアーナに与えてもいいが……黒竜は目立つ。


 ドラゴンの個体数の中で1%前後の希少種だった。この世界でも同じ法則があるとしたら、彼女が暴れることで、バシレイアが関与したとバレる可能性がある。魔族が勝手に襲ったといくら言い訳したところで、リリアーナが王都の防衛や迎撃に竜化したら誤魔化しようがなかった。


「今回は諦めろ」


 あの砦は襲えないと言い聞かせ、不満で尻尾を低く揺らすリリアーナを宥める。気に入らないと唸る彼女を抱き寄せ、転移で城の庭に戻った。一瞬で変わった景色に、リリアーナは周囲を見回してから顔を上げる。まっすぐに見上げたあと、ぱちくりと目を瞬かせた。


 金色の大きな瞳が柔らかくなり、強く抱き着く。まだ機嫌が悪いのかと背中を叩いて宥めながら、金髪を何度も撫でてやった。


「ご無事でお戻りに……お邪魔でしたか?」


 書類を抱えるマルファスを連れ、アガレスは移動中に気づいたらしい。庭を横切る小道からこちらへ歩いてきたが、かなり手前で足を止めた。奇妙な間や言い回しに、抱き着いて唸るリリアーナに気づく。首筋や腕に鱗が出ていることから、まだ機嫌が悪いのだろうと判断した。


「あとで褒美をやろう、リリアーナ」


「夜、一緒に寝る!」


 隣に潜り込もうとして結界に何度も阻まれた彼女の声は、必死だった。何が目的かわからぬが、過去の部下と同じ行動をとるのだ。主人と一緒の寝具で寝ることに、彼女らも異常な執着を見せた。契約して配下に下ったことがないのでわからぬが、何か理由があるのだと納得する。


「わかった」


 その一言に機嫌を直したリリアーナは、しがみついていた腕を解いて駆けていく。左右に大きく揺れる尻尾が庭の花を散らすが、注意するのは後日にして見送った。


 機嫌の悪いドラゴンに近づかないアガレスは、苦笑しながら歩み寄る。


「魔王陛下は女性の気持ちに鈍いのですね」


「女になったことがないのに、わかるのか?」


 逆に問い返せば、なぜか溜め息をつかれた。見ればマルファスも複雑そうな表情をしている。意味が分からず眉をひそめると、アガレスが一礼して進言した。


「少し、女性の気持ちを学ばれることをお勧めします。このままでは、彼女らの中に争いが生まれます」


 意味を考えてみるがよく理解できない。すぐ理解できないことも、時間が経てば解決する。経験からそう判断し、曖昧に頷いた。


「報告があるなら聞こう」


 執務に使う部屋に向かいながら、アガレスからの報告を頭に叩き込む。現時点で入国を許可された貴族はゼロ、商人が15組、うち2組の商隊が本居地をバシレイアの王都に置く許可を求めていた。判断をアガレスに一任する。


「民はどうした」


 部屋のドアを開いて椅子に腰かける。話を向けられたアガレスは、後ろについたマルファスの手から書類の束を受け取った。数枚めくってから纏めて差し出す。


「入国者のリストです。ロゼマリア様の判断で受け入れた民は、本日の報告が上がった時点で500人ほどでした。荷馬車を持つ、比較的裕福な民が多かったようです」


 荷馬車を使って出国できたのは、恵まれた民なのだろう。農民であっても自らの農地を持ち、日々の生活に困窮しない階級だった。この後に流れ着く難民は、徒歩で移動している。食料の心配がない屈強な兵士ですら2日以上かかる距離を、着の身着のままで民が歩くとなれば……。


 苦難の道を思い浮かべ、眉をひそめた。


「対策が必要か」

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