121.戦略は複数用意するものだ

 テッサリア――豊かで大きな農耕地を持つ国だ。ここ十年ほどで、グリュポスからかなり搾取されたため、兵も軍も疲弊していた。次に攻め込まれたら、国はグリュポスに併合されただろう。


 以前にアガレスが持ち込んだ資料を手に、テッサリアの位置を確認する。森を越えた先にあるグリュポスの難民が辿り着くのは、明日からか。足腰のしっかりした若者と、馬車や馬を所有する貴族や有力者が到達する頃だった。


 オリヴィエラとロゼマリアは馬が合うようだ。難民の仕分けを、彼女らに担当させるのも一興か。貴族や有力者の振る舞いはロゼマリアが見抜ける。オリヴィエラは持ち前の厳しさで、彼らを切り捨てるはずだ。


 この国が欲しているのは、権益を食い荒らす有力者ではない。働き手となる若者や生活の知恵を持つ女性や老人、未来を担う子供達だった。己の義務を怠りながら権利に胡座をかいた者を受け入れる気はない。


 どうせ「尊い血筋が」とくだらない理由をつけて、娘を献上するくらいしか脳がないのだ。そんな輩を相手にするのは、時間の無駄だった。人間同士のやり取りなら、謁見の機会を設けるのが礼儀かも知れぬが、魔族にそのような無駄は必要ない。


 魔族にとって尊ぶべきは血筋ではなく、実力だった。その意味で、黒竜王の行動は奇妙に受け取られているはずだ。しかし裏を返せば理に叶っている。強者である己の主人、前魔王の命令を忠実に守り、実行していた。


 いずれ手に入る駒を思い浮かべ、口元を緩める。


「サタン様、楽しそう」


「嬉しそう?」


 起きてきたリリアーナとクリスティーヌが、互いにどちらの表現が正しいか首をかしげながら、ソファの足元にペタンと座った。ロゼマリアが貴族としての振る舞いを教えているが、人前でなければ好きにして構わないとマイルールを振りかざす。この子らにマナーを教えるのは、さぞ骨が折れるだろう。


「ここ、攻めるの?」


 地図の上に置かれた資料の文字を読み、リリアーナが同じ地名の国を指差す。テッサリア国の場所を食い入るように見つめ、リリアーナが意外な情報をもたらした。


「前に行ったことある」


「話せ」


「うん! この下に魔力、たくさんある! 魔物がいる、穴も」


 魔物がいる穴……洞窟か何かか。地形をよく見ると、高低差を示す等高線があった。テッサリアの中心部は平らな草原地帯だが、農村部より外側は等高線の間隔が狭い。山の斜面なのだ。


 マルコシアスが棲む山は独立峰だが、離れたこちらの山は連なっていた。山脈が届く先に、今回動かなかった唯一の国がある。テッサリアへの対応を変更する必要があるかも知れない。


 テッサリアの領土は大半が平らな地形だった。その背後の高い山脈沿いにつながる国は、山の中腹に都を築いている。山岳民族にとって、水と土が豊かな平原は喉から手が出るほど欲しい土地だろう。


 何らかの交渉を持ちかけてくる可能性が高い。グリュポスがテッサリアを併合したら、手が出せなかった。しかし軍事新興国だったグリュポスを、ドラゴンで叩き潰したバシレイアの魔王と同盟を結び、オレの噂を利用しようと考えたら……?


 自分たちの手を汚さず、同盟という大義名分でテッサリアの領地に入り込むことが出来る。魔王の威光を利用し、他国を抑えてじわじわと領地を同化させる戦略か。そこまで考えて、オレは首を横にふった。そこまで頭の回る連中なら、もっと早くに手を打っただろう。


 だが、戦略の練り直しと検討は過ぎることがない。何度でも、様々なケースを想定しておく必要があった。相手を最上の敵と見做し、最悪の状況を想定しておけば、後で追い詰められる無様を避けることが出来る。


「リリアーナ、その洞窟の場所がわかるか?」


「うん」


 頼られたことが嬉しい少女は、褐色の指先でペンを握ると、ぐるりと小さな丸を描いた。


「ここ」


 テッサリアの王都から離れ、農耕地を越えて山頂に近い場所――リリアーナの示した場所に新たな策を思いつき、口角を持ち上げた。

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