120.次の獲物はここにするか

 早朝から響く木づちの音に、慌ただしい足音が混じる。指を鳴らして着替えを終えたのと、ドアがノックされたのは同時だった。


「入れ」


「はっ、失礼いたします」


 きっちり身支度を整えた男が一礼して入室した。礼儀作法を叩き込まれたらしく、踏み出す足の歩幅や頭の角度まで型通りだ。顔を上げたマルファスは、用件を切り出した。


「アガレス宰相閣下よりご報告がございます。よろしいでしょうか」


 この場で話し始めて構わないかと尋ねた男に頷き、私室のソファに座るよう指示した。反対側に腰掛けて足を組む。両手の指を絡めて寄り掛かったオレの前で、マルファスは両足を揃えて座った。この真面目さから判断して、この男を拾い上げたのは正解だったらしい。


「グリュポス国のについて、テッサリア国から使者が向かったそうです。またビフレスト国より王女殿下を含む使者団来訪の許可を求める書面と、ユーダリル国から軍事同盟の申し出が届くでしょう」


「他には?」


「これはオリヴィエラ様独自の情報ですが、イザヴェル国に軍事活動の兆しがあると……」


 頷いて目を閉じた。背をソファに沈め、天井を仰ぐようにして考える。さらりと黒髪がソファを滑って軽い音をたてた。


 グリュポスがあった森について尋ねる名目だが、テッサリアが我々の行動を咎める気なのは見え見えだ。跡地の利用方法はもちろん、彼の国の集めた財産の行方が気になって仕方ない。戦争を行うたびに他国から略奪した金銀を、グリュポスが貯め込んでいる話は有名だった。


 何しろ、当時文官の一人にすぎないアガレスが知っていたのだから。彼の場合、戦争が起きた場所や期間、勝敗の状況を伝え聞いた情報から判断し、略奪の度合いまで推測した。次に略奪の憂き目に合うのがバシレイア国と予想するほど、アガレスの集めた情報は正確だ。


 戦争好きなグリュポスにとって、砂漠や森を越える労力を必要とせずに襲えるテッサリアは、さぞ美味しい獲物だっただろう。国王や貴族が腐ったバシレイアを後回しにした理由は単純だ。愚かな王族が防衛の金を惜しんで使い込んだ情報を得て、軍が機能しなくなるまで放置した。


 つまりバシレイアという腐りかけの果実を無理に叩き落さずとも、熟しきって落ちるのを足元で待てばよいと考えたのだ。オレでも同じ決断をしたが、こうしてみると、バシレイア国王よりグリュポス国王の方が賢かった。蟻の知能を比べても何も得られはしないが、愚かさにも度合いはある。


「アガレスに伝えろ。外交は一任する」


 無責任に放り出したとも取れる発言に、マルファスは口元を緩めた。この男もそこそこキレるようだ。裏に秘められた意味を理解したらしい。


「信頼に応えてみせます」


 きっちり礼を示して部屋を辞したマルファスの気配が遠ざかり、再び室内に木づちの音が届く。リズミカルな音に耳を傾けながら、先ほどの情報にくつりと喉を鳴らして笑った。


 愚かにもほどがある。魔王の留守を吹聴した途端、それぞれの国が動き出した。この世界の大陸に存在する人間の国は7つ……バシレイア、滅ぼしたグリュポス。報告に出たテッサリア、ビフレスト、ユーダリル、イザヴェル。動かなかった国はひとつだけ。


 机の上に地図を広げ、国の配置を眺める。指先でそれぞれの国の位置を確かめながら、ひとつの国を指さして笑みを深めた。次の獲物は――ここにするか。

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