114.噂で自ら躍る阿呆

 サタンが姿を消して僅か数時間……数人の侍女や衛兵が外出の申請を行った。わざわざ見送りを吹聴した価値があったというものだ。


 アガレスは満足気に外出届に押印していく。隣でリストに名を記していくマルファスは、呆れ顔でリストを手の甲で叩いた。


「何ですかね、ここまであからさまだと罠かもしれない」


 こちらを誘い出そうとしてるんじゃないか? 疑心暗鬼になるほど、簡単に敵の名前が割れていく。その理由がわからず、マルファスは上司に視線を向け……楽しそうな宰相の表情に口を噤んだ。最後の外出許可に署名すると、押印して文官を呼んで配布を指示する。


 その間に、先日入ったばかりの新人の侍女がお茶を淹れた。さりげなく書類が見えるように並べたアガレスの仕掛けに、この侍女は引っかからない。どうやら本当に仕事を求めて応募したらしい。こうやって1人ずつ洗い出しを行っている最中だった。


 文官が書類を手に部屋を辞すと、アガレスは椅子の背凭れに寄り掛かった。姿勢よく背筋を伸ばす彼らしからぬ行儀の悪さで、モノクルを指先で弄んで胸ポケットに放り込む。ぎしっと音をたてた椅子が抗議の声をあげた。足を組んだアガレスが静かに言い放つ。


「罠を仕掛けたのは、私です」


 唇が弧を描き、意味ありげに指背を撫ぜる。言われた内容を理解しようと悩む部下を見つめながら、アガレスは用意されたお茶に手を伸ばした。


 侍女の用意したお茶を一度口に含むが、時間をおいて飲み込む。これは右側の自分の机でお茶を飲むマルファスも同じだった。貴族社会ならば幼少時から毒に身体を慣らす者もいるだろうが、彼らは貴族出身ではない。狙われる立場になった以上、最低限の用心は必要だった。


「さっきのお話、陛下の見送りを吹聴した件と関係ありますか」


 意外と観察していたのだと、部下を褒める心境になる。


「そうです。よく気づきました」


 魔王陛下を見送ったが、見送り自体は彼の意向でシンプルに行われた。本来、城主の外出となれば衛兵が随行し、様々な城仕えが一様に見送りに立つ。しかし魔王サタンは派手な見送りを不要とした。そのため、アガレスやマルファスなど一部の人間が見送ったに過ぎない。


 そこでマルファスはようやく気付いた。


「外出届の数が……っ」


「ええ、増えるように噂を流しました。『魔王陛下がお留守にされる。城の魔族は個々に用事を言いつけられたようだが、』とね。だから外出届が急増したのです」


 城から魔王が消えた。他国が掌握している脅威は、ドラゴンとグリフォンまでだろう。その両方がいなくなれば……この国は無防備な状態だ。しかも『しばらく』という曖昧な表現により、彼らは各々時間があると判断した。


 自国へ情報を流すにも、役割を終えて帰ろうと考えるにも、最高のタイミングだ。この機会に彼らと接触する者を一網打尽にできれば……。


「おっかねえ上司だぜ」


「おや? 口が悪いです、マルファス。聖国バシレイアの文官に相応しい言葉遣いを心がけてください」


 笑いながら窘める男は、魔王が召喚されこの国に君臨するまで文官の底辺にいた。注意されて肩を竦める部下も、無職で街をぶらついていた。この国に埋もれた役立つ人材は山ほど見逃されてきたのだ。その事実を知らしめるように、宰相と文官は新しい書類を引き寄せて作業を再開した。

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