113.先ほどの言葉は撤回しよう

 鱗が煌めき、謁見の間の階段を占拠したドラゴンの巨体がうごめく。全身に青い炎を浴びながら、彼はぶるりと身を振って炎を弾いた。鱗の表面に結界はなく、天然の鎧を利用した防御らしい。高温を示す青白い炎はドラゴンの鱗を溶かすことなく、周囲に散った。


「我が身を傷つけるには火力が足りないぞ」


 トカゲに似た口元がにやりと歪む。魔力に乗せた声は力強く、我慢や強がりは感じられなかった。攻撃はまったく効果が出ていない。その事実にわずかに目を細め、魔力量を再度測定する。人化した際は感じなかった魔力が、ドラゴンの巨体を満たしていた。


 この魔力量ならオレと互角までいかないが、ククルあたりと良い勝負だ。魔王の側近を語るだけのことはある。強敵の出現に驚くより、打ち負かす未来への期待が沸き上がった。


「使えぬ輩と評した、先ほどの言葉は撤回しよう」


 青白い炎が尻尾に叩かれて小さくなったところで、回収して指先で消し去る。これほどのドラゴンならば、手加減なしでも即死させる心配はいらない。熱い戦いの予感に気持ちは高揚するが、今回の目的はあくまでも一撃離脱だった。あまり時間をかけるのも本末転倒だ。


 黒竜王という名も伊達ではなかった。戦うなら時間を取って、互いに遠慮なくぶつかり合える舞台を用意すべきだろう。この場で暴れれば城にいる魔族に被害が出る。彼もそれは望まぬはずだった。


「失礼を詫びるが……舞台を整えたうえで魔王位を譲り受けに来よう」


「逃げるのか?!」


「卑怯者め」


 玉座がある謁見の間に響いたのは、部外者の声だ。自分は戦わぬくせに、きゃんきゃん吠える犬風情を相手にする必要はない。視線を黒竜王に据えたまま、彼の対応を待った。


「死ねっ!」


「玉座を穢す賊が偉そうに……っ」


 最後まで言わせる気はない。視線をそらさず、右手を掲げてぱちんと指を鳴らした。罵る必要も感じないゴミを一瞬で焼き尽くす。先ほどより温度を下げた黄色い炎が、後ろで騒ぐ獣人系の男と角がある赤い男を燃やす間、視線は目の前のドラゴンから逸らさなかった。


「邪魔をするかと思ったが」


 口角を持ち上げて揶揄うような物言いをすれば、黒竜王は人化しながら首を横に振る。その表情は魔族特有の感情が浮かんでいた。己の実力が通用しない相手に吠え掛かれば、処分されるが常――わかりきった掟を破った者の自業自得だ。


 黒竜王のドラゴン形態が炎を弾いたからといって、自らが同等の力を持たぬのに他者の手柄を誇って敵を罵るなど……愚の骨頂だった。物を知らぬ若造ならば許してやることもあるが……。


「私に関係ない者を庇えと申されるか」


 口調が丁寧に改まっている。互いの力関係を、彼が正確に把握した事実を示していた。リリアーナと違い、尻尾まで綺麗に消した男は多少武骨さの残る礼をする。


 返礼に軽く会釈して背にかばった子供を前に押し出した。


「迷子であったゆえ保護した。そなたの配下なら返すが?」


「……知りませんな」


 その一言にほっと安堵の息をついたヴィネを引き戻し、マントの影に隠した。武器を手にすることも罵り合うこともなく、ただ宣戦布告のための一手を投じただけ。


「異世界の魔王陛下とお見受けします。我が世界の覇権を望まれるか」


 疑問でない率直な物言いには、苦い感情が滲んでいる。手元の駒である現魔王が使い物にならない今、黒竜王にとってオレの存在は厄介だろう。


「ああ、理由も必要か?」


 肯定して首をかしげると、彼は否定した。不要だと示した黒竜王が予想外の提案をする。


「協定を結ぶことは可能であろうか」

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