112.使えぬ輩に割く時間はない
空の玉座の脇に立ち、斜め後ろで頷く男へ報告は続けられた。前魔王の懐刀であり現魔王の側近でもある黒髪の男は、失敗ばかり並ぶ報告に額を押さえる。前魔王は人格者だった。突然失われた優秀な魔王の跡取りとして玉座に座らせたのは、幼さの残る女児だ。
すべてにおいて未熟な魔王は、人前に姿を見せることさえ嫌う。謁見の義務すら怠る彼女に、黒竜王と呼ばれる強者は何も注意しなかった。好きにすればいい。前魔王の血を引く以外、何も見込みのない子だった。種族すら夢魔、いつ交わったのかわからぬ私生児に期待はない。
「わかった。対策は私が行う」
これ以上の刺客は無駄だと嘆く配下に、寛容に振舞う。怒鳴り散らしたいのが本音で、前魔王の代理として振舞おうとする穏やかさは付け焼刃だった。自分には似合わないと苦笑いしかけ、人目を気にして口元を引き締めた。
たとえ
「誰だっ!」
「お前が黒竜王か?」
厳しい声へ淡々と返す声は、謁見の間によく響いた。朗々と……その表現が正しいかは別として、耳に残る印象的な響きだ。
全身黒尽くめの男は、髪も漆黒だった。肩から流れるように長身を際立たせる黒赤のマントの影に、小さな子供を連れている。足元に浮かんだ魔法陣はすぐに消えたが、簡単そうに転移を使ったことから上位魔族であることは確実だった。
しかし……知らない。寒気がするほどの魔力を放出しながら平然と立つ、これほどの強者に心当たりがない時点で、逆に敵の名が絞れた。
「異世界の魔王」
「ふむ、答える気はない上、状況認識も甘い」
上位者同士の邂逅は、突然の戦いに突入する可能性は低い。相手を探り、互いの魔力量を図りながら牽制しあうのが王道だった。黒竜王と名乗るだけあり、確かに魔力量は多い方だろう。だが対応が遅すぎるし、反応が悪い。
「使えぬ輩に割く時間はない」
侮辱する言葉にようやく頭に血が廻ったらしい。顔を赤くして右手を竜化させた。こうしてみても、黒髪の男にリリアーナとの繋がりが見えない。魔族は親と違う色彩や魔力を持って生まれることもあるため、外見で似ていない親子は多数いる。だがそれを考慮しても、何もかもが似ていなかった。
黒銀のドラゴン同士だが、遠い親族程度の繋がりか。魔力の質も違いすぎた。たいそうな二つ名を持つため、それなりの強者を想定していたが……結界すら不要だ。
肩透かしを食らった気分で溜め息を吐いた。
「致し方ない、一撃加えて帰るとしよう」
黒竜王と煽てられようと、この程度のドラゴンならば相手にならない。殺さぬ程度の力加減が必要か。ぽっと左手に炎を灯す。青紫の炎を揺らめかせ、相手の出方を窺った。氷や風で防ぐことを狙うか、逆に同じ炎で包むことを選ぶか。
「よい覚悟だ」
無言でドラゴンの姿に立ち戻った黒竜王の鱗が、きらきらと光を弾く。こうしてみれば、多少はリリアーナに近い血を感じた。手のひらに乗る小さな炎に、ふっと息を吹きかけた。
ぶわっと膨らんだ炎が玉座の間に広がる。逃げ場を奪う攻撃が黒銀のドラゴンへ襲い掛かった。
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