111.地位を譲る現魔王の顔を見てやろう

「名は?」


「ヴィネ」


 自ら名乗り、服従の姿勢を示した子供に手を翳して誓約を刻む。緑の瞳を大きく見開いたヴィネは、己が空中に浮いてる事実に今更ながら慌てた。圧迫が消えたため、落ちるのではないかと身を丸めて震える。


「落とさぬ」


 これも小動物のようだ。この世界で見つけた魔族はどれも弱く、疑問を覚えた。なぜこれほど弱いのか。自らが弱い自覚もない。ならば魔族全体が弱く、人間はさらに愚かしいということだろう。人間が賢ければ、個体の力量差を知恵で埋められる。


「お前は、この世界の魔王を知るのか?」


「あ、ああ。知ってる。虹色の髪で小さな女の子だ」


 虹色の髪という表現に、眉をひそめた。そんな髪色の魔族は知らない。夢魔であると聞いていたが、夢魔はたいてい茶色や金髪だった。髪ではなく鱗が虹色の種族ならば、ユルルングルと呼ばれる虹蛇がいる。だが魔獣に分類される虹蛇が魔王のはずはなく、人型に擬態することもなかった。


 謎が深まるが、まあ目で直接確かめる方が早い。気持ちを切り替えたオレのマントの裾に、震える手が伸ばされた。ぎゅっと握って這いつくばったまま見上げてくる。やたら整った顔に涙を伝わせながら、震える唇で要望を口にした。


「怖い、から……掴まってて、いいか?」


「ダメだ」


 断られて表情を絶望に染めた少年を、ひょいっと摘まみ上げて脇に抱いた。裾に掴まっても落ちる危険性はさして変わらぬ。せっかく得た貴重な手足をこの場で切り落とすこともあるまい。どうやら魔力で包んで浮遊するのが怖いらしいが、ならば触れていればよかろう。


 しっかり腰に手を回す子供を連れ、翼をばさりと羽ばたかせた。飛ぶために必要ないが、滑空したり浮遊する際にバランスがとりやすいのだ。ひらりと曲線を描いて舞い降りた地上で、ヴィネはようやく大きく息を吐いた。


 自分の魔力では空に浮く魔法が使えない。他人の魔力で強制的に浮かされ、足元に何もないのは恐怖以外の何物でもなかった。安堵の息をついてから見上げた男は、全身黒尽くめだ。


 ハイエルフでも滅多に見かけない極上の顔立ち、真っ白な肌、血色にそっくりな赤い瞳は心臓を鷲掴みにされそうな力強さを感じた。流れる黒髪は結んでおらず、さらさらと絡まることなく風に遊ぶ。身に着けた黒い上下は鍛えた身体を包み、暗赤の裏地を使ったマントがカッコよく見えた。


「あの……なんて呼んだらいい?」


「サタンだ。こことは違う世界の魔王であり、この世界の魔王になる」


「魔王様って呼ぶ」


「好きにしろ」


 エルフの領域から離れた場所は、森の様子も一変していた。緑が生い茂る美しい森ではなく、立ち枯れた木々を紫や赤い蔦が覆い、足元はじっとり湿る。沼地のように湿気が多く、息苦しい場所だった。


「……触れていろ」


 手を掴んでマントの端を握らされる。途端に息苦しさが楽になった。結界内に取り込んだヴィネの魔力も一緒に相殺して消す。少し先の洞穴に大きな魔力が集っていた。魔力感知の範囲内で一番大きな魔力だ。おそらく黒竜王だろう。


 彼に一撃加えて離脱する。宣戦布告と顔合わせが目的だった。しばらく足元が落ち着くまで、彼らの動きを牽制する意味でも価値がある。


「オレに地位を譲る現魔王の顔を見てやろう」


 今までの行動から判断する黒竜王の性格なら、夢魔は手近な場所に置いている。顔を拝むくらいは出来るだろう。にやりと口角を引き上げて笑い、震えるヴィネごと転移した。

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