108.無自覚こそが恐ろしい

 離宮の子供達に食事をさせるのは、毎回大騒ぎだ。孤児だった子供は食べ物への執着心が強く、他の子供から取り上げようとしたり、食べ終えて腹が満ちても食べ物を隠して持ち帰ろうとする。これは何度も言い聞かせたが直らず、リシュヤやロゼマリアもお手上げだった。


 満足するまで食べさせていいとサタンが許可を出したため、吐くほど口に詰め込む子供もいる。しかしサタンは気にせず好きにさせろと命じた。魔族の子供を拾った時に、同じような症状を何度も見たことがあるのだ。また食事を与えると言われても、すぐ信じられない。


 奪われるのではないか。明日は捨てられて飢えるかも知れない。この人たちが自分から食事を奪わない保証はない。恐怖は恐怖を生み、食べられなかった頃より疑心暗鬼が育つのだ。しばらく満腹状態が続けば、脳も落ち着き、感情が穏やかになるため放置しろと告げたサタンの言葉は、ロゼマリアにとって意外だった。


 遊んで汚れた手で触られても、美しい黒髪を引っ張られても、サタンは子供を攻撃しなかった。その話をしながら、隣に腰掛ける臨時雇いの侍女と微笑みあう。


「素晴らしい方なのですね」


「異世界の魔王陛下だけれど、この世界のどの王より立派だと思うわ」


 ロゼマリアは頬を紅潮させながら褒め、慌てて付け加えた。


「でも怖い方よ。人を殺すことも躊躇わないもの」


 乳母のエマは、少し離れた場所で椅子に座って幼児に食事をさせていた。ロゼマリアや自分の子を育て上げた経験者の手際の良さは、ロゼマリアも見習う部分が大きい。フレアスカートのワンピースは汚されることが多いので、最近は濃色を纏うことが増えた。


 侍女は紺や黒、下働きが灰色や茶色中心にお仕着せを作る理由がわかる。洗濯などでシミができた時目立たない色が下働きのワンピースに多用された。黒や紺の侍女服は、女主人の服を引き立てる色を与えられるのだ。白や薄いピンク、水色などは汚れも目立つ。


 自らが掃除や調理を行わぬ働かない階級でなければ、淡い色のドレスを纏うことはない。ましてやレースやフリルがふんだんに使われ、スカートを膨らませた恰好は自ら脱ぎ着も出来ず、不便なことこの上なかった。それでも生活に不自由しない階級であることを示す意味もあった。


「恐ろしいですわ。でもお美しい方です」


 幼児に食事を与えながら、臨時雇いの少女はうっとりと呟いた。未婚の女性が見惚れるような美形は、この城に多くない。アガレスはキツいし、マルファスは目つきが怖かった。リシュヤが魔族なのは周知の事実なので、下働きや衛兵を含めた青年たちが噂の的になる。


 観賞対象として考えるなら、魔王サタンは最適だった。常に黒を纏う、美形の青年だ。鍛え上げた身体は細身ながらがっしりして、そのラインを際立たせる黒のぴたりとした衣装は不思議な艶を纏う。身に着けるベルトひとつ、上着ひとつが希少な上位魔族の革や素材が使われていた。


 白く細い指には金剛石に似た透明の宝石を飾る指輪が光り、黒く長い髪は絡まることなく揺れる。睨むと恐ろしさを演出する切れ長の目元は、珍しい赤い瞳だった。見慣れたロゼマリアは気にしないが、やはり目が合うと息が詰まるらしい。


「確かにお綺麗よね」


 相槌を打ちながら、エマの真似をして幼児の口にスプーンを当てる。彼女の時は簡単に開く口が、ロゼマリアが行うと固く閉じられる。大変だが何度かつつくと、仕方なさそうに開いた。野菜をすりおろして混ぜたどろどろのスープを流し込み、あふれた分をタオルで拭う。


「グリュポスが攻めてきましたけど、あの日は陛下がお留守だったから怖かったです」


「また少し出かけるけれど、今回は対策されたから平気そうよ」


 ロゼマリアは安心させようと微笑んだ。臨時雇いの侍女は目を瞬き、怯えた様子を作って擦り寄った。その仕草は少女の外見と相まって、哀れを誘う。


「対策……結界、とかでしょうか。矢が飛んできたりしませんか?」


「半日留守にするだけなの。それにドラゴンもグリフォンも残るわ」


 だから外部の敵は簡単に排除できる、と安心材料を並べたロゼマリアに自覚はない。彼女自身が情報漏洩の源だった。

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