82.不幸な事故なら仕方ない。丁重に送り返せ
汚した謁見の大広間を掃除しながら、オリヴィエラは頬を緩める。久しぶりに楽しい時間だった。人間は脆いので注意して遊ぶ必要があるけれど、その制限すら遊びを彩る一端だ。
「ご苦労」
簡単ながら労いの言葉も貰えたため、鼻歌を歌いながら浄化用の魔法陣を足元に描いていく。魔法陣自体の知識はあるが、サタンのように空中に描くほど自在に扱えない。仕方なく絨毯を汚す血を使って、丁寧に床に描いた。
「できたわ」
靴を脱いだ素足の爪先を触れ、魔力を注ぐ。ぼんやりと光った魔法陣が広い謁見の間を覆い、やがて消えた。同時に鉄錆びた独特の臭いや血の汚れも消える。柱の裏の磨き残しや大理石のひっかき傷まで修復し、満足そうに見回したオリヴィエラが空中からヒールの高い靴を取り出した。
足を通し、かつんと硬い音を立てて大理石の床を歩く。彼女は振り返ることなく、大広間を後にした。
グリフォンによる浄化が行われる少し前――。
大きな物音が一段落し、高まった魔力も和らいだ。頃合いを見計らって顔を出せば、隣国の使者はかろうじて数が揃っていた。頭数に不足はないが、身体が所在不明になった者が数名見受けられる。
「状況の報告を」
グリフォンの姿から人化したオリヴィエラの横をすり抜け、階段上の玉座に座る。振り返る際に音を立てたマントを慣れた所作で捌き、座ってから足を組んだ。後ろをついてきたリリアーナとクリスティーヌの2人が足元に座る。
この世界で女性は最上段に上がれないとアガレスに聞いた。それ故にわざとオリヴィエラとロゼマリアを招き寄せ、彼らを挑発したのだ。その状態でオレが姿を消せば……さぞ増長して暴言を吐いたことだろう。魔術師
「楽しんだか?」
「はい、お気遣いありがとうございます。陛下」
オリヴィエラの満足そうな顔に、リリアーナが頬を膨らませた。子供は感情表現が豊かだ。いずれはオリヴィエラのように装い偽ることを覚えるのだから、今はこのままでよい。無理に感情を抑える命令を下す必要はなく、知らぬ顔で流した。
「魔王陛下にご報告申し上げます。グリュポス王弟ライオネス殿下のご訪問ですが、魔術師の方々が
遠回しに『事実は闇の中』と告げる宰相アガレスは、目の前の惨状を見ていないフリで淡々と報告する。手にした書類を作成したと思われるマルファスが一礼した。
「ご苦労だった。不幸な事故では仕方あるまい。丁重に送り返して差し上げろ」
船で待っているグリュポス国の者に引き渡し、持ち帰らせろ。嫌味たっぷりの返しに、アガレスがぴくりと眉を動かし……続いて笑顔で頷いた。
「かしこまりました」
謁見の大広間は公式の場だ。他国からの使者の謁見が行われ、自国の貴族に対する命令や指示を伝える重要な場所だった。だからこの場で口にする言霊は重要なのだ。
転がる魔術師の首は全部で5つ。その1つを前にして、奇怪な声を漏らしながら転がる男が1人。鍛えた戦士の身体に手足は存在せず、転がる男の周囲は血塗れだった。しかし焼いた傷口は丁寧に処理され、血が吹き出す状態ではない。なかなか上手に仕上げたものだ。
「サタン様、次は私、やりたい」
次に他国の使者がきたら、自分が処理したい。そう告げる少女の長い金髪に手を置き、首を横に振った。まだ早い。経験不足のドラゴンに任せたら、バラバラに千切ってしまうだろう。
「もっと勉強したら、お前にも獲物をやろう」
「う……ん、わかった」
少し不満そうだが頷いた素直な子供を撫でてあやしながら、玉座から立ち上がった。広間を縦断する赤い絨毯は赤黒く変色し、さまざまな物が染みこんでいる。異臭を放つ部屋に眉をひそめ、告げる言葉はひとつしかない。
「片付けろ」
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