81.無礼は命で詫びてもらう必要があるわ

 待機する部屋から老齢の魔術師がひとり転移により誘拐され、謁見の間から異常な圧を感じる。グリュポス国の魔術師4人は顔を見合わせ、全員が一斉に駆け出した。止める衛兵はなく、見張りの騎士すら置いていなかった。他国からの使者に対し監視を兼ねた護衛を置くのは、受け入れた国のマナーであり常識だ。


 誰もいない不自然さに気づくことなく、魔術師達は謁見の間に駆け込んだ。開いたままの扉をくぐれば、そこに王弟ライオネスが叩き伏せられている。隣で血を吐く老齢の魔術師は傷だらけだった。


 彼らが誤解するのも無理はない。王弟を守るべく仲間が血に染まり、傷を負ったのだと……王弟自身が彼を攻撃した事情など、知る術がなかった。


「……あら、あなた方も逆らう気?」


 にっこり笑う妖艶な美女が、濃茶の髪をかき上げる。傲慢に顎を反らし、豊かな胸元を見せつける彼女は玉座の前に立っていた。女性が王位に就くことはない世界で、他国の王族を玉座の位置から見下ろすことはあり得ない。彼らの常識は、この世界の正常だった。


「愛妾風情がっ!」


「ライオネス殿下に何をした!」


 叫んだ2人の後ろで、別の魔術師が呪文を編み上げる。それは長い詠唱を必要とする攻撃魔術のひとつだった。人間の魔力量では魔法は使えない。炎ひとつ呼び出すのに呪文が必要なのだ。その手順を簡略化したものが魔法陣であり、詠唱と置き換える方法だった。


 強い順に、魔法、魔法陣、詠唱魔術となる。


「愛妾、ね。いっそそれもいいわね」


 にこにこと機嫌よく笑うオリヴィエラが指先で、魔術師達を抑え込んだ。手のひらを上に向け、何かを握り込む仕草でゆっくり拳を作る。途端に4人は喉を押さえ、膝から崩れた。倒れた魔術師達に目を細め、アガレスが忠告する。


「オリヴィエラ様、少し緩めてください。あれこれ汚されると迷惑です」


 どちらもどちらだ。外交という名の暴力を前に、マルファスは意外なほど落ち着いていた。


「あら、本当だわ。ごめんなさいね」


 人手が足りていない城内は、掃除の人間もぎりぎりだった。魔法陣で掃除する手段もあるが、出来るだけ汚さないに越したことはない。握った手を緩めるオリヴィエラの耳に、再び罵る声が聞こえた。


「ま、もの……蛮族、め」


 それまで笑顔を浮かべていたオリヴィエラの表情が削げ落ちた。冷たい美貌に切れ長の瞳が鋭さを追加し、足元の人間を震え上がらせる。


「オリヴィエラ様」


 自制を求めるアガレスの声を無視し、オリヴィエラは階段を下りる。みしみしと足元の虫けらが軋む音が響いた。無表情で下まで降りた彼女は、ライオネスの隣をすり抜け……先ほど罵った魔術師の前に立つ。


「素敵な賛辞をありがとう。褒美を与えなくては……ああ、遠慮はいらなくてよ」


 一方的に宣言した彼女の背中に鷲の翼が、両手足が割けるようにして膨らみ獣の足に変わる。そのまま全身が膨らみ、濃茶の髪は鬣となって背を彩った。巨大なグリフォンは謁見の大広間で窮屈そうに身震いする。


「おまえの口にしたは、おまえの国の象徴なのだけれどね。我が姿を紋章とするなら、私の主への無礼を命で詫びてもらう必要があるわ」


 人の口ではなく、獣の呻き声に魔力で言葉を重ねた。目を見開き頭を抱えて震える人間を、持ち上げた足の下で踏み躙る。


「受け取りなさい。すぐに殺してあげる程、私は優しくないけれど」


 足を潰し、両手を嘴で突く。摘まんで捥いで、放り出した。鷲の爪は鋭く、嘴はさらに怖ろしい。獅子の力強い足が、再び男の身体を踏んだ。にちゃと汚い水音を立て、赤い絨毯が深紅に染め直される。


「……なんということを」


 アガレスが眉をひそめてモノクルを外した。鉄錆びた臭いが充満する広間に、彼の嘆きが響いて木霊する。


「あちこち汚すと迷惑だと言ったではないですか」


「あら、ごめんなさいね。後で責任もって掃除するから」


 くるりと振り向いたグリフォンの確約に、アガレスは肩を竦め「ならば構いません。お気が済むまでどうぞ」と書類をめくり始めた。


 文官が足りない今、時間はいくらあっても困らない。彼女の外交が終わるまで、別の仕事を片づける上司の横で、マルファスは欠伸を噛み殺した。

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