83.まだお命は惜しいでしょう?
使者として王弟、2人の侍従と5人の魔術師が向かった城は、あちこちで木槌の音が響いていた。聖国バシレイアは、王族が入れ替わったばかり。以前の王族の血を引く姫が一人いるが、彼女は新しい王の後宮に閉じ込められたと聞く。忍び込ませた侍女によれば、顔を見ることもほぼ不可能だった。
簡単に言えば、聖国は乗っ取られたのだ。血筋を絶やさぬために残された姫は、おそらく純潔を穢され幽閉されたと思われる。
聖国の王族の血筋は、この大陸でもっとも古く尊いとされてきた。かつて神の妻となった聖女の末裔である肩書は、この国を守る盾であり剣である。新興国であるグリュポスの血を継ぐ子を、その王女に産ませれば自国の地位は安泰だった。
その姫を救出して妻にすることが、王弟ライオネスに与えられた兄王からの命令だ。たとえ化け物に嬲り者にされ、手足が捥げていようと持ち帰れ。そう命じられた弟自身の手足が失われて気狂いで返されるとは、誰も想像しない結末だった。
「……国王陛下になんと申し上げれば」
嘆く侍従長へ、アガレスはモノクルに触れながら己の主の言葉を伝える。そこに同情はなかった。例え彼が国に戻るなり職責を果たさなかったと処断される運命だとしても、宣戦布告もなく他国を攻める国に対する感情など一片もない。一歩間違えば、蹂躙され奪い尽くされたのはバシレイアだったのだ。
「そのまま申し上げればいいでしょう。バシレイアに到着し、入城前に我が国を守護するグリフォン殿に蹂躙されたと……ああ、グリフォン殿は武を尊ぶ貴国の象徴でしたね」
にこにこと嫌味を口にして、話を切り上げる。兵士に運ばせるつもりだった王弟と魔術師の頭だが、気が向いたというオリヴィエラが運んだ。これ以上騒動を大きくすると、他国と連合を組んで攻めてくる可能性があるため、彼女にはグリフォンの姿で運搬を頼んだ。
オリヴィエラとしては、侮られる対象である人化した女性姿で抱えて運び、難癖付けた奴から切り裂くつもりだった。爪を研ぎながら嬉しそうに計画を語る彼女に、アガレスは根気よく言い聞かせる。この国に一度に攻め込まれたら厄介だが、戦力に関してはサタン達がいるので心配していない。
一番の問題は……彼らから戦利品を巻き上げられなくなる可能性だった。今の時点で戦争に出た男達が全滅した国内で、兵士への報酬は未定だ。敗戦となれば何も出ないのが普通で、かの国には財産が残る。それを国民の賠償に当てるサタンの思惑を匂わせ、こう告げたのが決定打だった。
「あの国は金の出る壷です。必要な資金を絞り出し、不足した人材を補充するまで手を出さないでください。魔王陛下のお邪魔をしたら、さぞお怒りになると思います――まだお命は惜しいでしょう?」
無言になったオリヴィエラは、グリフォン姿で運ぶことを承諾した。船を沈めたり、不用意に脅すこともなく大人しく様子見している。
「あの……グリフォンは、もしや」
「我らの主君である魔王陛下の配下にございます。敵意を示さなければ、攻撃される心配はございませんとも……我が王の下命があれば別ですが。そろそろ船の準備も整いましたでしょうか」
さっさと帰れと促せば、壊れた人形のようにこくこくと縦に首を振った侍従長が船に飛び乗り、すでに運ばれた5つの首と王弟を連れて川を下る。帆が見えなくなるまで見送るのが作法だが、礼儀を知らぬ相手にこちらが礼を尽くす必要はなかった。
踵を返したアガレスは、晴れた美しい空を見上げ「復興を急がなくては」と馬に飛び乗った。あとでオリヴィエラに運んでもらう手もあったと気づくが、己の命を彼女に委ねる気になれない。数か月後にサタンに命じられて乗る羽目になるまで、アガレスは気づいた可能性を見なかったことにして流した。
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