66.力の差もわからぬ愚物ではあるまい

 了承の返事を聞いた直後に、地を蹴って木々を跳び越す。空中に魔力で足場を作って駆け上がれば、展開する包囲網が見えた。オレ一人逃しても、柔らかい餌が2つ残ったと考える狼達は、そのまま包囲網をじわりと縮める。リリアーナは囮になるつもりのようで、魔力を出来るだけ抑えた。


 魔力操作の能力は見事だ。生まれながらに狩りをして生きてきたドラゴンの本領発揮、といったところか。獲物に気取られぬよう気配を殺す術を、自然と身につけたのであろう。それまで餌に逃げられる不遇を繰り返した彼女が勝ち得た、自慢できる能力だった。


 少し離れた丘の上でシルバーウルフを操るのは、ひと際大きな巨狼だった。全体にグレーがかった銀色の毛並みだが、首周りに柔らかそうな白い毛が鬣のように揺れる。


 見栄えのいい狼だ。眷獣として捕獲してもいいか。


 作り上げた魔法の足場を消し、落ちるように下りた。まっすぐに上空から迫る魔力に怯えて警戒する狼の前に、衝撃も音もなく立つ。乱れたマントの裾が収まる頃、巨狼は怯えながら唸り声をあげた。鼻の脇に皺を寄せて牙を見せながら威嚇する。


「力の差もわからぬ愚物ではあるまい。我が配下に下れ」


 きゃんきゃん騒ぐ狼達を風で押さえ、群れのボスである巨狼に近づく。飛び掛かれば牙が届く位置で、オレは足を止めた。唸る口元から零れる吐息が、肌に触れる距離だ。立派な牙と琥珀色の瞳は、まだ敵意を消していなかった。


「諦めろ。滅びるぞ」


 逆らえば群れを全滅させると匂わせれば、唸っていた勢いが薄れ、困惑した顔でぺたんとお座りした。こちらが何を望んでいるか理解したうえで、従うことを迷っているのだ。強者に従うは魔族の習い、それは魔物であっても大差ない。


 手にした剣を取り出した鞘に納め、左手に持ち替えた。右手のひらを上にして差し出し、巨狼に判断を委ねる。この手を噛み決別するもよし、我に従い首を垂れるもよし。どちらを選ぼうと群れのボスの決断は尊重される。


「ぐるるる……っ」


 喉を鳴らした巨狼が伏せた。体長が2mを越える狼はぺたんと地面に顎を当てて、抵抗の意志の放棄を表明する。


「群れを引かせろ」


 命じた意味を理解した巨狼が空に向けて遠吠えを放つ。応えるように幾つもの声が上がり、周囲は狼の声で満たされた。これでリリアーナ達を襲う狼はいない。彼女が仕掛けなければ終わりだった。


 耳を伏せて尻尾を巻く巨狼はまだ魔物の域だが、あと数百年もすれば立派な魔族に分類されるだろう。人なら気の遠くなる話だが、どうせこの世界から帰れない。寿命があるか知れぬオレにとって、大した時間ではなかった。


「名づけを行う」


 手を伸ばそうとした途端、巨狼の脇から少し小柄な狼が飛び出した。1割ほど小さいが、巨狼の部類に入るシルバーの狼は牙を剥き、ボスとよく似た白い首飾りの毛皮を持つ。結界があるので動かずに見据えると、巨狼が動いた。


 襲い掛かろうとした狼の首を噛んで地面に倒し、許しを請うように鼻を鳴らす。噛まれた狼は悔しそうに唸るが、やがて諦めた様子で動きを止めた。


 ボスが負けたことを理解したくなかったのだろう。若い個体の暴走を止めた巨狼は、無駄な犠牲を防いで大人しく伏せて待つ。その柔らかな毛皮に手を伸ばし、額に手を当てて名を与えた。


「――マルコシアス」


 誠実な狼であり悪魔であると伝えられる名を与え、彼の魂に刻む。視線を落とすと先ほど抑え込まれた小柄な狼と目が合った。こちらも綺麗な琥珀の瞳を持っている。


「マーナガルム」


 気まぐれで小柄な狼にも名を与えた。

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