26.理解できない習性の多い生き物

 腿に柔らかな感触が乗り、正面から抱きつくオリヴィエラの胸が押し付けられる。部下もそうだが、雌は胸を押し付けるのが好きらしい。腕を絡めるときも同じなので習性だと認識していた。


「……え、あり得ないわ」


 ごそごそと隙間から忍び込んだ手が股間に触れて、それから「信じられない」とオリヴィエラが何度も呟いた。予想外の出来事があったらしい。気にせず、オレは自ら身体を洗っていく。隣で不器用ながら泡で自分を洗うリリアーナは、大量の泡にご機嫌だった。


「ご苦労」


 背中を洗い終えたロゼマリアが真っ赤な顔をしているが、特に問題はなさそうだ。もじもじしながら「いえ」と首を振って離れた。一通り洗い終えたが、オリヴィエラの乗った膝が残っている。


「洗いにくい。下りろ」


「え、えええ?! 私の魅力が通用しない? そんなこと……」


 呆然としながら、崩れるように床に座り込んだオリヴィエラの姿は、よく見れば何も羽織っていない。風呂に入った際にロゼマリアに聞いたが、この国の作法では入浴時に雌は薄衣を纏う習慣があるという。魔族のオリヴィエラが知らないのは、人間の習慣だからだ。本人の責ではない。


 礼儀作法の面から言えば問題だとしても、魔族の王たるオレがこの国の法律だ。人間は薄衣を纏えばいいし、魔族は裸でも構わない。こういう微妙な問題はあまり立ち入らず、それぞれの好きにさせて尊厳を保ってやるのが主君の余裕だった。指摘しては恥をかかせてしまう。


 納得して、衝撃を受けているらしいオリヴィエラの濃茶の髪を撫でた。


「構わぬ、好きにせよ」


「……だって、反応しないなんて……」


「反応って何? どこ? 何するの?」


 子供は時に残酷だ。無邪気に質問を重ねるリリアーナは、ついに頭にも泡を纏わせている。大きな目に入れば痛がって泣くに違いない。


「目を閉じろ、リリアーナ」


「うん」


 大人しく目を伏せる。幼い外見がさらに幼く見えて、かわいそうなほど痩せた身体にぬるま湯を掛けてやった。もう少し食べさせないと、今後の成長に障りが出る。ドラゴンは魔物を狩るのだったか……食糧事情を何とかしなくては、民もペットも死んでしまいそうだ。細い金糸に似た髪が褐色の肌に貼りついた。


「動きにくい」


「そうか」


 自分の泡も流して立ち上がり、大きな湯船に身を沈めた。隣にリリアーナが勢い良く飛び込む。子供だから諦められるが、躾は早めに始めた方がよさそうだ。相性が悪くなければ、ロゼマリアに預けるのも一手だった。


「失礼いたします」


 するりと入り込んだロゼマリアは、ほとんど湯を揺らさなかった。やはり教育係として、リリアーナの指導を任せよう。


「嘘よ……男なら、絶対に……でも、反応してない……」


 ぶつぶつ言いながら湯船に入ろうとしたオリヴィエラに、頭からお湯をかける。指先で操った魔力が、湯船の湯で彼女の身体についた泡を流した。


「っぷ……なに?」


「泡を流せ」


 肩までお湯に浸かれば、昨夜までいた世界を思い出す。部下は無事だろうか、オレがいなくても世界を治めるくらい可能な有能な彼女らは、寂しがり屋ばかりだった。オレの代わりになる存在を見つけてくれればいいが、数日は泣かせるかもしれない。気の毒なことをした。


 この世界から戻れないことは、召喚魔法陣を壊した時点で覚悟している。だが向こう側では、私室から失踪したオレを探しているかも知れない。何とかして「戻れない」事実を伝える方法があれば、実行したいものだ。


 見上げた先で、月が2つ並んでいた。大きな月に従う小さな月、この夜空は見慣れた前世界と同じような気がする。しかし別の世界なのだ。長い髪が湯の中を漂うのを、リリアーナが指先で構って遊んでいた。彼女の髪も湯船に漂い、ロゼマリアのみ髪を結い上げている。


「……サタン様って、本当に男よね?」


 ぶつぶつと呟いていたオリヴィエラの失礼な確認に、オレは肩を竦めて頷いた。前髪からぽたりと落ちた水が冷たい。


「お前にはオレが女に見えるのか?」


 慌てて首を横に振るオリヴィエラが、鼻の下までお湯につけてぶくぶくと言葉を誤魔化した。

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