20.愛玩物がオレに懐くのは当然だ

 おずおずと遠慮がちに触れる指先は温かい。長い金の髪を揺らして眉をひそめたリリアーナの表情は、どこか辛そうだった。攻撃の矢は当たっていないはずだが……。


「どうした?」


「手、痛い? 紫になった……毒」


 ドラゴンはほぼ毒が効かない。己自身の血が猛毒のため、ほとんどの毒は無効化されるのだ。かつて殺したドラゴンの血を飲んだオレの身体も、同様の効果を得ていた。矢を離した途端、指先の皮膚は色を元に戻していく。


「治った?」


 犬のように指先を舐めたリリアーナが不思議そうに首をかしげた。己の血や唾液が毒を無効化すると、彼女は本能的に知っている。ケガをした場所を舐めたことで傷を治した経験があるのだろう。


 ドラゴンの毒を体内に保有しない者に対して、彼女の行為は裏目に出る。唾液の毒で殺してしまうのだ。後で教える必要はあるが、今は褒めるのが正解だろう。口元を緩めて頷いてやれば、嬉しそうに笑った。


「随分と手懐けましたのね」


「これはオレの愛玩物だ。懐くのは当たり前だろう」


 くしゃりと髪を撫でれば、リリアーナは遠慮がちだった手を伸ばして抱き着いてきた。愛玩動物ペットだと言い放った途端、オリヴィエラが「羨ましい」と意味不明の言葉を呟く。


「お前を狙ったのは魔王か?」


「……私まで監視対象だなんて、本当に臆病な方」


 呆れたと漏らすオリヴィエラは、露出の多いドレスを気にせず地に片膝をついた。頭を下げて礼を尽くす、人間の騎士に似た礼はグリフォンとして最上位の敬意の示し方だ。スリットが入ったドレスから、小麦色の長い足が露わになった。


「私の命をお救いいただきましたこと、深く感謝申し上げます。オリヴィエラの名に懸けて、あなた様に誠心誠意お仕えいたしますわ」


 前の主について聞くことはない。オリヴィエラの主だった者の攻撃から守るのは、新しい主の役目だ。その覚悟がなければ、彼女の言葉を撥ね退ければいい。魔族のルールは常に弱肉強食、分かりやすく簡潔だった。


「許す」


 微笑んで身を起こす彼女は、するりと腕を絡めてきた。左腕に抱き着いたリリアーナが張り合うように唇を尖らせて威嚇する。


「落ち着け」


 ぽんと頭を軽く叩けば、リリアーナがしょんぼりと尻尾を垂らす。そのまま数回撫でてやると、尻尾の先が小さく左右に揺れた。人間が飼うペットの反応に似ているな。興味を惹かれて彼女の頬を撫でてから、額に唇を当てた。


 親しい配下によく強請られた褒美だが、リリアーナの尻尾がぴんと立ち大きく揺れる。どうやら対応は間違わずに済んだらしい。機嫌の直ったリリアーナと、オリヴィエラを両腕に引き寄せ、オレは先ほどの質問を繰り返した。


「この世界の魔王とやらは、何を考えている」


「そうですわね。この世界の覇者になると言っておられました。少し幼い方ですのよ」


 ほほほと笑いながら、近所の子供を語るようにオリヴィエラは端的に説明した。世界の覇者とはまた、曖昧な言葉だ。つまり人間と魔族の頂点に立ちたいという意味か。己の知る話に置き換えて理解しようとしたオレに、オリヴィエラは情報を追加した。


「好戦的ですけれど、前の魔王陛下の御子で……夢魔むまですの」


「夢魔、だと……?」


 前魔王の種族もわからない状況だが、あり得ない。夢魔は魔族の中でも底辺の能力しか持たない種族だった。魔族の頂点に立つ魔王が、底辺魔族だというのか。


 常識を根底から覆す状況に、オレは頭を抱えて唸った。面白そうに見守るオリヴィエラの胸が押し付けられ、対抗するように心配顔のリリア―ナが顔を近づけて頬を舐める。甲高い音に顔を上げれば、金属の棒を落としたロゼマリアが口元を押えて立っていた。

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