親バカ
麺
1話完結 親バカ
娘の早苗は、何故かよく犯罪に巻き込まれてしまう質だった。幼稚園の頃は幼女趣味のある中年に近づかれていたずらされる。小学校では男性教師に教育という名目で身体を触られる。高校に上がればストーカーや痴漢に遭う。そういう子だった。俺たちは半年前から付きまとっているストーカーから逃げるために、先月郊外のアパートに引っ越してきたのだが…果たして逃げきれたのだろうか。
母親は、早苗が幼い頃に事故死した。男手一つで過保護に育ててしまったおかげで、いい意味でも悪い意味でも傷一つ無い箱入り娘になってしまった。人と話すのが苦手な子になり、友達と遊ぶよりは本を読むのが好きなような子になった。外遊びとは縁遠く、傷も日焼けも無い細く色白で静かな子。そんな雰囲気が、痴漢やストーカーを引きつけてしまうのだろうか。
そんな回想をしていると、玄関の呼び鈴が静かに鳴った。嫌な予感がする。俺は重い腰を上げて、予めドアチェーンの掛かったドアを開けた。
「…はい」
目が合ったのは、やはり例のストーカーだった。30代前半ぐらいに見える、目つきの悪い男だ。もう嗅ぎつけたのか、という思惑は相手にも伝わっているようで
「お久しぶりです。娘さんはお元気ですか?」
と、嫌味っぽく尋ねてきた。
「まぁ、はい。」
「今は、娘さんいらっしゃるのですか?」
「いえ、今は買い物に出ています。」
「そうですか、いつ頃帰られますかね?」
「さあ、分かりません。」
「大体でいいのですが…」
「何故、あなたにそれを言う必要が?」
しつこいので、遮るように語気を強めて言い放った。彼は一瞬怯んでから、すぐ対抗するように言ってきた。
「娘さんに会わせて下さい。一度話をするだけでいいんです。私は、娘さんが心配なだけで…」
「お帰り下さい。そして2度と来ないで下さい。あなたに会わせる気はありません。」
再び語気を強めて言い放つ。彼は、これ以上話しても無駄だと判断したようで
「分かりました。突然すみませんでした。」
と、悔しそうな表情で言った。それを聞き、俺がドアを閉めようとすると、不思議そうな彼の言葉が聞こえた。
「釣りに行かれるんですか?」
突然の言葉に驚き彼の顔を見ると、彼は玄関に置いてあったクーラーボックスをドアの隙間から覗き込んでいた。容量が40L程の、ホームセンターでよく売っている青いクーラーボックスだ。
「ええ、まぁ。」
「…娘さんと、一緒にですか?」
「…ええ、まぁ。」
話はそこで途切れ、次の質問が飛んでくる前に俺はドアを閉めた。
再び静かになり、俺は少し安堵しながら部屋に戻った。自分の娘に対して持つべき感想ではないと思うが、正直早苗は美人だという訳ではないと思う。年頃にも関わらずファッションにも興味が無い。大人しく自分に自信がなさそうな態度は、確かに力で押し切れそうに写るのかもしれない。
早苗は、弱く見えてしまうのだ。運動とは縁のない病的に細く白い四肢。肩まで伸びた細くさらさらした黒髪。地味で薄い顔つき。相手を恐れてびくびくした態度。箱入り娘ゆえの純情さ。全てが弱く、儚い存在だ。親バカだと思うが、俺は彼女が綺麗だと思う。
突然、拳でドアを何度も強く叩く音が聞こえた。急な出来事に目を丸くしながらも、さっきの声が近所迷惑だからと文句を言われるのかと思い、ドアノブに手をかけた。すると次いで、
「おい開けろ!娘を、早苗を返せ!おいいるんだろ?!開けろ!」
野蛮な声が響いた。そして、思考が停止した。
娘を、返せ?
その声がした直後、別の男の声がした。
「待って下さい。いつ出てくるかわかりません、少し落ち着いて…」
「落ち着ける訳ないだろ?!ここにたった1人の娘がいるはずなんだ!…おい、父さんが助けに来たぞ!返事をしてくれ早苗!!」
発言を聞いている限り、激昴している男が早苗の父親を名乗っているように聞こえる。しかし、そんなはずはない。なぜなら、俺が、早苗の父親なのだから。そんなはずは、ない、絶対に。
震えを抑えながらドアチェーンを外しドアを開けると、怒りで顔を真っ赤にした40代後半ほどの男が例のストーカーに制止されている、理解不能な構図だった。
「三上徹さん、ですね?」
ストーカーが言う。
「…はい」
「橘早苗ちゃん誘拐の疑いで逮捕状が出ています。署までご同行願います。」
「…俺が早苗を誘拐?いや、誘拐も何も、俺は早苗の父親…」
言いかけたその時、激昴していた男はその言葉を遮るように胸ぐらを掴んで怒鳴り散らしてきた。
「ふざけんなよてめぇ!何訳分かんねぇこと言ってんだ!!早苗の父親は俺だ!お前は、早苗のストーカーだろうが!」
その言葉は、鈍器で殴られたような衝撃を与えてきた。同時に、固く閉ざしていた記憶の蓋をこじ開けられそうになる。嫌だ、やめろ。そんな訳がない。それを振り切るように俺は主張する。
「そ…そんな訳がないだろ…!それに…そうだ、早苗のストーカーはこいつだろ!?お前、きっとこいつになんか嘘を吹き込まれたんだろ!」
ストーカーの肩を掴んで訴える。しかし、
「その人はストーカーなんかじゃねぇ、捜査線上にお前が出てきた時から証拠を掴むためにお前と接触してた、正真正銘の刑事さんだよ!だがな、半年前早苗が誘拐された道路の防犯カメラに、お前と早苗が映ってたんだよ!車に押し込む一部始終が!なぁ、ずっと探してた証拠が、遂に見つかったんだよ!」
瞬間、閉ざしたあの日の映像がフラッシュバックする。人気の無い道路。前を歩く制服姿の早苗。俺の白い軽自動車。叫び声をあげる彼女の口を手で無理やり塞ぎ、ホームセンターで買った安物のナイフを首に当てる。声を上げず静かに泣く早苗を車に押し込んで、走らせる。
「嘘…だろ…俺…早苗の…」
全てを、思い出した。思い出してしまった。
ストーカーは静かに言う。
「本当のあなたは、50代前半にもなって独身のフリーターで、早苗ちゃんのストーカー、三上徹さんです。あなたは、自分で自分を洗脳してたんです。出身小学校のPTA広報誌から事故の新聞まで…早苗ちゃんの周りの情報を全て網羅して、自分が早苗ちゃんの父親だという妄想をしていたのです。あなたには子供なんていないし…事故に遭って亡くなった奥さんもいません。」
ああそうだ。俺は早苗の父親なんかじゃない。早苗の誘拐犯だ。全て思い出した。誘拐した時のことも、
誘拐した後のことも。
突然表情が消えた俺を、刑事は怪しむように警戒する。その横で、早苗の父親が思い出したようにわめき出す。
「…そうだ、早苗は…?早苗はどこなんだ!!中にいるんだろ?!監禁してるのか?!おい、早苗!!」
俺はそのまま勢いで玄関に入ろうとしてくる父親を制止した。睨みながら力づくで入ろうとしてくるが、突き飛ばした。
ゆらりと振り返り、クーラーボックスを持ち上げた。何キロほどあるんだろうか、と呑気に考えながら。
「俺の…俺の早苗を返せ…きっと怯えているはずなんだ…早苗…」
うわ言のように早苗の名前を呟く父親の前へ、クーラーボックスを乱雑に置いた。
「何だ…俺は早苗を連れてこいと言ったんだぞ…!こんなもの持ってこいだなんて一言も…」
遮るように言った。
「娘さん、その中に入ってるから。」
2人から表情が消えた。
父親が壊れかけのラジオのように呟いた。
「早苗が、この、中に」
「ちゃんと防腐処理したから、まだ綺麗だと…」
言い切る前に、クーラーボックスを見て叫び声を上げた。刑事は吐き気を催し、力が抜けたようで失禁していた。父親は嘘だと叫び、クーラーボックスをすがりつくように抱きかかえて泣いていた。腰が抜けて座り込んで、声にならない声が漏れるわなわなとした2人の口から、「どうして」とかろうじて聞き取った。答えようと思った。だって、
「だって、綺麗なものは、とっとかないと。」
親バカ 麺 @Yu_za_mei_pasta
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