第十六話 ミタカ・リンク・フォース~春を待って~
◇
「楽しみだねえ」
ルーの声が聴こえて、キアラは目を開けた。身を起こして伸びをする。
池沿いの緑地で昼寝をするのがキアラは好きだった。そんな彼女をたしなめるでもなく、一緒に付き合ってくれるルーは、彼女にとって親友と言って差し支えない存在である。
「ねえ、聞いてるの?
ニコニコと笑顔を浮かべるルーの金色の髪が日光を反射する。
「ごめん。うとうとしてた」
謝ると、彼女は頬を膨らませた。「もぉー。いっつも人の話を聞かないんだから。……春になるのが楽しみだねー、って言ったの」
春かぁ、とキアラは思う。
「宴会なんて呑気だよね。信じらんない」
そう呟くと、ルーのへらへらした笑いが聴こえた。「へへへ……。キアラちゃんはいっつも任務をさぼってるのに、宴会は嫌いなんだね」
「宴会が嫌いというか、人付き合いが苦手なの」
ルーは首を傾げてキアラを見つめた。「じゃあ、あたしも苦手?」
そう言われると困ってしまう。物事には例外というものがあるのだ。
「ルーは特別。……というか、地上で宴会をするなんて呑気過ぎるよ」
言うと、ルーは立ち上がって両腕を広げた。その目は対岸の木々に注がれている。
「いいのです! 我々リンク・フォースには充分な休息が与えられて
きっと隊長の真似だろう。全然似ていない。それが
「くそぅ」とルーは悔しそうに頬を膨らまして座った。「キアラちゃんは春が待ち遠しくないの?」
春と宴会は別だ。「そうだね……。ちょっと楽しみ」
水面が桃色の花弁で満たされる様を想像して、春の訪れを恋しく思った。地上には風光明媚な景色がたくさんある。地下コロニーの鬱屈した世界とは比べるべくもない。
「でしょでしょー」とルーがへらへらと笑う。その豊かな表情を見つめているだけでも気持ちがほぐれる。だから彼女と一緒にいるのが好きなのだ、とキアラは内心で呟いた。自分は感情表現が巧みではないから、その分、たくさんの反応を持っている彼女といると心地良い。
「さてと」と呟いてルーは立ち上がり、手を差し出した。「隊長に怒られに行こうか。一緒に」
彼女の手を握り、不器用に微笑んでみる。ルーと一緒なら、こうして無断で地上に出て気ままに過ごしていることを隊長に
◇◇
「
隊長の声が部屋に
「お花見の下見ですよー」とルーは悪びれもせずに言う。
「下見は不要です。いいですか? 宴会が待ち遠しい気持ちは分かりますが、ほどほどにして下さい。でないと貴女たち二人は地下で留守番をさせますよ?」
「ええ! 酷い!」
悲鳴を上げるルーをたしなめるように隊長は言う。「分かったら、勝手は
「はぁい」
「……キアラさん。返事は?」
突然水を向けられて、キアラは小さく頷いて「はい」とだけ答えた。
「宜しい。もう行っていいですよ」
隊長の部屋を出ると、二人は大きく伸びをした。毎度毎度の事ながら、隊長も飽きないのだろうかと考えてしまう。彼女の眼鏡の奥に光る鋭い眼も、お叱りの言葉も、毎回大した変化がない。もうバリエーションが尽きたのだろう。
そしてこの後ルーが口にする台詞も、きっと同じ。
「終わった終わった」とルーは息をつく。そしてキアラを覗き込んで、楽しそうな笑みを見せた。「明日も同じ場所で待ち合わせね。それじゃ、また明日」
自室へと駆けていく彼女の背を見送り、キアラは「また明日」と呟く。自然と頬が緩むのを感じた。
◇◇◆
地上で活動するリンク・フォースが手にする武器――リンク・メイトには大切な人間の魂、地下に残してきた人の魂が
雑な扱いなど一度もしたことがない。いつだって大切に大切に扱ってきたつもりだった。手入れは欠かさず、化物と戦闘するときも力を制御しつつ武器を振るってきた。
なのにどうしてこんな事になるのか。キアラは運命を呪った。
◇◇◆◆
「おーい」と呼びかけるルーを見返し、キアラは枯れたはずの涙が再び湧き出るのを感じた。それは止めどなく彼女の頬を濡らす。
抱きしめたリンク・メイトは真っ二つに折れ、かつて武器だったそれは、今やブリキの塊と化していた。
「キアラ――」
ルーの目が大きく見開き、言葉が途中で消える。彼女の瞳が、涙と、リンク・メイトの残骸を捉えたのだろう。
ルーは無言でキアラを抱きしめた。その温かい
それからは声を上げて泣き続けた。涙も鼻水も出るがままに任せて。どうしてかルーも
泣き止んでも、ルーは抱きしめ続けてくれた。彼女の優しさが肌を通して伝わってくる。
「あたしが守る」
その呟きが聴こえたとき、キアラは自分でもよく分からないまま「駄目」と返していた。
「守る」
「駄目」
「守るもん」
「駄目だって……」
突然ルーは身を離し、キアラの肩を掴んで真っ直ぐに見つめた。そして有無を言わせぬ口調で「守る」と口にした。今度こそキアラは、何も言い返す事が出来なかった。
ルーが手を離すと、二人は
「隊長の言う事……しっかり聞いておけば良かった」とキアラは呟いた。勝手に地上に出なければ、こんな事にはならなかったのだ。
「何があったか教えて」
ルーはいつになく真剣な口調で訊ねた。
「うん……」
それからキアラはぽつぽつと、雨垂れのように語った。
いつもより早く出発し、この池でぼんやりしていた事。対岸に化物がいる事に気が付いた事。そいつが池を飛び越えて襲ってきたので、リンク・メイトで撃退した事。そしてその直後、リンク・メイトが壊れた事。
「どうしてこんな事になったのか分からない……」
ルーは何も言わなかった。どんな言葉でも慰めにならない事を知っていたのだろう。だからこそキアラは、自分の頭を撫でる優しい手を感じても驚きはしなかった。自分は武器を失って地上で生き残れるのか、という問題よりも、ルーが無茶をしないだろうか、という心配の方が大きかった。彼女は優しく、そして、突拍子もない事を仕出かすのだ。
「え」
突然手を引かれて立たされ、ぐいぐいと引っ張られる。「ルー。どこへ――」
「いいから、ついてきて」
◇◇◆◆◆
地下拠点への入り口にキアラは立ち尽くしていた。荒廃した市街区に空いた階段口は、地上と地下を決定的に隔てている。特殊なゲル状の膜は、鍵を持たない者には決して通過する事の出来ない堅固な壁。そしてキアラは鍵――リンク・メイトを失ったが
地下拠点の自室を思い描いて、途方もない寂しさを覚えた。
やがて足音が聴こえ、キアラはなんとなく
上背のある隊長が目の前に立った時、キアラはぎゅっと目を
しかし、頬を張られる痛みも、
全身を包み込むような抱擁。その感触に驚いて隊長を見上げると、眼鏡の奥で彼女の瞳に涙が滲んでいた。口元を
どうしてそんな顔をするのだろう、とキアラは疑問に思った。言いつけを破って勝手をしていたのはこっちだし、リンク・メイトを失ったのもこっちなのに、と。
「貴女の事は、隊員全員で守り抜きます。けれど――」
安心はしないで下さい。隊長はそう付け加えて、口元を引き結んだ。
「隊長。キアラはあたしが守ります。ずっと地上にいるつもり――」
ルーの言葉は、隊長の怒声に遮られた。「馬鹿言わないで!!」
びくり、とルーの身体が震える。さすがに隊長も眉尻を下げて、
武器を失った隊員は化物にとって格好の餌である。リンク・メイトを持たない人間なんて、彼らにとって脅威でも何でもないのだから。
「でも! それじゃキアラは――」
「ですから、隊員全員で彼女を守るんです……」
キアラは俯いて、割れた地面を見つめた。気持ちはどんどんと暗くなっていく。もう二人の会話を聞いていたくなかった。
「隊長」呟いて、隊長の目を真っ直ぐに見つめる。「わたし、ちゃんと知ってるんです。……
俯く隊長を見て、言葉を切った。それも承知の上なのだろう。
武器を失った隊員は化物の群に襲われる。それも、異様に高い確率で。まるで死臭に群がる
守るという事はつまり、迫り来る化物の群を昼夜問わず撃退し続けるという事であり、そんな芸当は誰にも出来ない事くらい分かり切っている。それを承知で「守る」と口にするのは、きっと、ほんの僅かでも安堵を与えたいからだろう。その気持ちを否定する気にはなれなかったが、本気になってもらっても困る。
「それでも――」
ルーが言いかけたところで、キアラは駆け出していた。自分のために危険な目に遭わせるなんて、考えたくない。
逃げたところで、きっとルーは探すだろう。隊長がどれだけ止めても、探すだろう。それでも足を止めなかった。キアラは頭の中を空っぽにするように、ただひたすらに駆けた。ルーを振り切り、誰も知らない場所へ。化物さえ追いつけない速度で。
行けども行けども、廃墟だった。地上は荒廃し、人の影など少しも見られない。そこに生きる生物は
廃ビルを貫いて伸びる大樹を見上げて足を止めた。自然はどこまでも
「ルー……」
呟くと、虚しさが心を吹き抜けた。それまで存在していた日常は
「……寂しいよ」
答える者はなく、薄暗闇が辺りを満たしているのみ。舞う埃が、光に照らされて妙に寒々しい心地にする。
もう誰も追いついてこない。ここがどこなのかも分からない。そうなって初めて、素直に救いを求められる。
天の邪鬼な自分を思って、キアラは自嘲気味に笑った。
◇◇◆◆◆◆
膝の間に頭をうずめ、瞼を閉じる。暗闇に浮かぶのは愛する人の姿だった。
泣き疲れたのか、走り疲れたのか、キアラの思考は断片的になり、やがて眠りが訪れた。
目覚めると、薄闇だった。荒廃し、様々な染みの浮いた天井を眺め、ここが穏やかで安全な自室ではなく、地上の廃墟である事を思い出す。巨木に貫かれた廃ビルは、木漏れ日のような月明かりを抱え込んでいた。
ふと、自分のものではない呼吸音が聴こえた。それも、すぐ隣で。ぎょっとしてそちらを向くと、思わず声を上げそうになった。
ルーがいたのだ。
彼女は小さく丸まって、規則的な寝息を立てている。辺りを見回しても彼女の姿しかなかった。すると、隊長の制止を振り切って探しに出たのだろう。そしてどうしてか、この廃墟まで辿り着いたのだ。
なんでそんなに真っ直ぐなんだろう、とキアラは思う。溢れそうになる
すると、ルーは寝ぼけ眼でキアラを見つめ、ただ一言だけ口にした。
「大丈夫だよ、キアラちゃん」
ルーの言葉は無根拠で、けれども
激しさを増す鳴咽の合間になんとか「ごめんね」と返すと、ルーは小さく首を横に振った。
「友達だもん」
友達だから助ける。友達だから救う。たとえ困難な道だとしても。ルーらしい。
彼女を死なせるわけにはいかない。けれど、そのためには生き残らなければならない。武器を
けれど、とキアラは思う。けれど、そうしなければならない。ルーのために。そして、自分自身のために。
ルーの手を握ると、力強い反応があった。そして彼女の口が動く。
「まずは夜明け。次は明日。その次は明後日。一週間。一ヶ月。一年。……きっと、大丈夫。キアラちゃんを守るから」
ルーの透き通った瞳が、キアラをじっと見つめていた。眼差しを通じて、柔らかな感情が流れ込む。
「ありが――」
キアラの言葉は、夜を裂くような雄叫びに遮られた。ぞわり、と背筋に悪寒が走る。化物の鳴き声は廃墟のすぐ外で聴こえた。
――!
共鳴するように、遠方から同様の雄叫びが響く。
「キアラちゃん」
ルーの声は落ち着き払っていた。静かで、決意に満ちていて、けれども取り返しのつかない悲劇を予感させるような、そんな声。
「大丈夫。大丈夫だからね」
ルーは彼女のリンク・メイトである槍を手に立ち上がった。
何か言わなければと思ったが、キアラが言葉を
◇◇◆◆◆◆◆
ルーが倒れたとき、キアラは
ルーは化物の群を相手にして勇敢に戦っていたが、数は全く減らず、段々と動きが鈍くなっていったのである。キアラは
そして恐れていた事態が起こったのだ。
ルーは化物の爪に首を裂かれ、ぐったりと倒れたのである。
化物を突き飛ばし、ルーの首筋に触れる。真っ赤な流れが、絶える事なく続いていた。
「ルー!! ルー! ルー……!」
ルーは何も言わず、震える手で槍を持ち上げた。彼女のリンク・メイトが、キアラの手に触れる。
その口が薄く開かれ、ほんの少しだけ動いた。声にはならない声。決して耳では聴けない音。しかしキアラは、確かにそれを読み取った。
『使って』
ルーはそう言ったのだ。
言葉を読み取り、心で理解したとき、キアラは不思議と落ち着きを覚えた。すべき事は決まっている。今度は自分がルーを守る番だ。
慣れないはずの槍は驚くほど手に馴染み、次々と化物を裂いていく――。
◇◇◆◆◆◆◆◆
白みゆく空に、隊長は焦りを感じていた。キアラが去り、ルーが彼女を追ってから一晩が経過した事になる。
一晩。その時間を思い、隊長は奥歯を噛み締めた。
喪失者に群がる化物にたったひとりで対抗出来る隊員など、ほんのひと握りだ。そして、隊長にとって認めたくない事ではあったが、ルーはそのひと握りの猛者ではない。
「隊長……どこにもいません」
隊員の報告を聞き、ぐっと拳を握った。焦りは諦めの影に覆われつつある。隊長の頭は既に、残酷な考えに支配されつつあった。
自分を含めた捜索隊の撤退。その指令をどのタイミングで口にすべきか、計りかねていたのである。
任務で席を外しているメンバーを除いた全隊員を二人の捜索にあてたのが、ルーが去ってから一時間後である。通常任務を放棄してまで夜通し捜しはしたものの、望んだ結果は
それもこれも、一瞬の
ルーが駆け出したとき、隊長は追うべきか彼女に任せるべきか、ほんの一瞬迷ってしまったのだ。結果、ルーを追うのが遅れたのである。足の速さにかけてはルーのほうが
思えば、と隊長は今までの事を振り返る。彼女が私の言葉で静止してくれた事など一度もなかった、と。全てはこの日に繋がっていたのだと思うと、自分の適性のなさに腹が立つ。隊長なんていう大層な肩書を貰っても、こうして隊員を危機に
心に浮かんではべったりと貼り付く
非情と知りながら決断するのも職務の一環である。公私混同厳禁、私情に流されるなどもってのほか。それを重々承知しながらも捜索中止の一言を叫べずにいた。
「隊長……!」
隊員の声に振り向くと、
隊長は
それは段々とボリュームを上げ、やがて不協和音が混ざり、ひずんで消えた。
「隊長……ルーの手当て……。早く……」
傷だらけのキアラが、ルーを背負っていた。ルーの顔は
隊長は歯噛みし、短く息を吐いた。拳を握り、手の震えを止める。
「……キアラさん。ルーさんをこちらに」
そう言って、ルーの身体に触れる。隊長の腕に広がった冷たさは、ひとつの事実を示していた。
ルーの身体をキアラの背から離す際、こびりついた血が不快な音を立てて剥がれた。
隊長は慎重にルーの身を横たえて、心臓に耳をつける。既に答えは知っていても、そうせずにはいられなかったのである。
本来鼓動がある生命の小箱は、全くの静寂だった。
「ルーの手当てを……」
そう繰り返すキアラに向き直り、隊長は物言わず抱き締めた。
「ぅうぅぁああぁあああああああ――!」
キアラの
時間を忘れて、いつまでも。
◇◇◆◆◆◆◆◆◇
宴会の席から離れ、キアラはひとりで
いつか、ルーの事を忘れてしまう日が来るかもしれない。そして、それを薄情とすら思わなくなるときが訪れる……。
けれど。
キアラはルーから引き継いだ槍を握った。あの日彼女から受け取ったリンク・メイトは、しっくりと手に馴染んでいた。そして不思議な事に、地下拠点への防壁も通過する事が出来たのである。隊長の話では、前例に無い事らしい。
足音がして振り向くと、隊長がいた。彼女はキアラの隣に腰を下ろし、池を見つめる。
「辛いときは誰かに相談なさいね。私じゃなくてもいいから」
隊長の言葉は、配慮に満ちていた。キアラはそれをありがたく思ったし、事実助けられている。それでもひとりで抱えてしまうのは、性格の問題だろう。こればかりはどうしようもない。
「ありがとうございます」
キアラと隊長は、何も言わずに目の前に広がる景色を眺め続けた。
柔らかな桃色が、はらはらと舞っている。池の
キアラは心のなかで、呟く。熱い涙が頬を伝った。
ルー。春に、なったよ。
ツンと痛んだ胸を押さえて、キアラは目を閉じた。
Link Force クラン @clan_403
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。Link Forceの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます