真っ先に浮かんだのは『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』ですね……『ブレードランナー』の原作の。
ロボット犬は一時期凄いブームになった後、大量廃棄があったとか……。故障して動かなくなると愛情まで消えるのかと思いきや、人間は生きている動物すら平気で廃棄するので何とも言えない気持ちになります。原因はやはりその人の心かと。
作者からの返信
あれも無機物と生物の境目はどこなのかというのをテーマにした物語ですね。
難しいですね。
犬を捨てるような人間がいたら「可哀そうだから最後まで面倒を見るべきだ」と考える人間が多数派だと思います。
しかしこれが、カエルだったら? 魚だったら? 虫だったら?
面倒を見るべきだと考える人間の割合は減っていくと思うのです。
それは人間とかけ離れた生き物になるにつれて感情移入しづらくなっていくからではないでしょうか。
そうすると私たちの考える冷たい人間と優しい人間の違いは「どこまで感情移入できるか」という程度の問題なるのかもしれません。
確かに同胞愛と考えると人や動物の形をしたものに対する思い入れは納得できますね!
これに宗教が絡むと異端は悪魔として覆されてしまう。そう考えたらこっちは怖いですね!!
さてさて、今回の人形はいったいどんな人がどんな感情で持ち去ったのか気になります。ヽ(^。^)ノ
作者からの返信
人間や動物に似ているものは無意識に感情移入して傷つけづらいわけですが、人間を殺すとなると「これは自分たちと同じ人間ではない」という理由付けがいるのでしょうね。
だからこそ、中世ヨーロッパの十字軍などは異教徒は人間ではない「悪魔」と位置付けて殺すことを正当化したということですかね。
持って行った人は高坂さんとは逆にぬいぐるみに対して肯定的な感情がなかったのかもしれません。
編集済
人でなしの恋は、読んだ時衝撃的でした。まず乱歩が女性の一人称書けるんだって思ったので……笑
今銅像がどんどん壊されているのを見ると、「え……この人たちには心がないのか……?」と戦慄します。どんなに素晴らしい人物でも銅像を作る方もあれだと思いますが、だからって壊すのは……。
唯一神教の人々は物に心がやどる発想が分からないと言いますが、「幸福な王子」、英語圏の人々知っていると思うんですけどね……。
作者からの返信
そういえば、「人間椅子」にしろ「白髪鬼」にしろ乱歩の短編は男の一人称の方が多いかもしれませんね。
私も子供の頃に買ったロボットの人形を捨てるのにも罪悪感を覚えてしまうくらいだったので、デモなどで銅像を壊しているのを見るとそれ自体の文化的価値を抜きにしても感覚的に怖くなります。