第43話 ロボット犬を巡る論議


「それでどうなったの?」


 僕の話をここまでひととおり聞いていた星原は先を促した。


「うん。僕も試しに手紙を書いてぬいぐるみのところに置いてみたんだ。でもな、次の日の早朝に彼女が言っていたとおりに手芸部倉庫の鍵を借りて、ぬいぐるみの所に行ってみたら手紙どころかぬいぐるみも無くなっていたんだよ」





 そう。僕らは果たして高坂さんが言うようなことが起きるのか、起きないにしてもこの部屋の不思議な出来事について何かわからないかと実験するつもりでやってみたのだが、実際に倉庫として使われている教室に足を踏み入れてみれば例のウサギのぬいぐるみ「シルキーちゃん」は影も形も無くなっていたのだ。


 その状況を目にした高坂さんは「なんで? どうして? どこ行っちゃったの?」とぬいぐるみを探し回ったが、結局見つからず最後には泣き出しそうな顔でへたりこむ有様だった。


 もしかしたら今までと違って男子である僕がお願いをしたのがいけなかったのか。はたまた、僕と明彦が内心疑っていたことに気づいて「シルキーちゃん」が機嫌を損ねてしまったのか、などと考えてみたものの原因など判るはずもない。


 ただ僕らとしては消失した責任の一端を背負っている気がして「僕らも一応探してみる。もし見つかったらすぐに教えるよ」と約束してその場を離れたのだった。






「なるほど。……ちなみに誰かが出入りした形跡はあったの?」

「そりゃあ、僕も現実的に考えれば誰かが入って持って行ったんだと思うよ? 何の意図があるのかは知らないけど。でも職員室の鍵の貸出表を見たときには、昨日僕らが入ってから今朝もう一度入るまで誰も鍵を借りていなかった」


 星原は興味深そうに腕を組んで考え込みながら「ふうん」と呟いた。


「今までの『ぬいぐるみが箱の中に戻って、手紙が無くなった状況』と同じというわけね。違うのはぬいぐるみまで消えたことだけれど。……普通に考えたら鍵を使わずに出入りする方法があって、今までぬいぐるみを動かしていたりしていたのも誰かがその方法を使っていた。そして今回はぬいぐるみを持って行ったということになるのかしら」

「そうだな。多分それが理にかなっていると思うんだが、その方法が今のところ見当がつかない。それなら動機から探ってみればと思うんだけどそれも良く解らない。犯人もそうだし高坂さんに関してもそうなんだけど、何だってぬいぐるみにそんなにこだわるんだろう」


 僕は頭に手をあててぼやいた。


 いくら可愛いもの好きとはいえ、ぬいぐるみに名前を付けて毎日のように会いに行ったり手紙を出したり無くなっただけで取り乱したりしている高坂さん。


 彼女には今回の件で同情する一方で、そこまで執着している様子に呆れのようなものを心のどこかで感じてしまうのだ。


 星原はそんな僕の内心の葛藤を読み取ったかのように「ううん」と小さく唸ってからこう答える。


「まあ、どうしてそんなことが起きたのかは今のところ見当もつかない。……でも人形やぬいぐるみに感情移入するのは誰にでもあることよ」


 彼女の言葉に僕は首をかしげた。 


「そんなものかな」

「例えばね。何年か前にSpotというロボット犬を巡る議論が起こった話を知っている?」

「ロボット犬?」

「ええ。ロボット犬といっても四本足で形が犬を模しているというだけであまり可愛らしくはないのだけれどね。階段の昇り降りやドアの開け閉めもできて、生身の人間が行きづらい災害救助の現場で活躍することを期待されて造られたの」


 そういうニュースはインターネットで見た記憶がある。開発段階では頭も首もなく四本足の動物じみた動きをする機械という印象で、正直不気味に感じた気がする。


「それが何で議論になったんだ?」

「開発テストで転んでも自力で立ちあがれる機能をアピールするためにこのロボット犬を蹴り倒すシーンがインターネットで公開されたの。そうしたら開発スタッフがロボット犬を何度も蹴っ飛ばして、その度に倒れたロボットがよろよろ立ち上がるのを見て『可哀そうだから止めてくれ』という人たちが現われたわけ」

「なるほど。……そう聞くと、ただの機械と解っていても同情する人の気持ちもわからないでもないな」


 おそらく動物と似たような姿をしたものが酷い扱いをされているのを見て気分が悪くなったということだろう。僕も小さいころ古くなった人形を捨てたときに微かな罪悪感を覚えたことはある。


 星原はここで軽く肩をすくめながら「だけど、そこで反論する人たちが現われた」

と続けた。


「ほお?」

「『そもそもあれはただの機械であって痛みも何も感じないのだから動物虐待にはならない』『あれが駄目だというのなら生きているマウスを使った動物実験なんてもっとモラルに反している』……だいたいこんな論調ね」

「まあ、正論ではあるなあ」


 ロボット自身に魂や心があるわけではないのだ。


 極論すれば、泣きも笑いもしない無機物に過ぎないという意味では石と同じである。石が踏まれて可哀そうなんて言う人間はいない。


 けれども人間や動物と似た姿をしているというだけで、人間の心は錯覚を起こしてしまうのだ。これには心があるのではないかと。


「そういえばTVの特集ですでに介護ロボットなんかが開発されているのを見たことあるけどさ。ああいうのも実用化した後で型落ちして廃棄する時に『可哀そうだから捨てないで』っていう人間が将来的に出てきそうだな」

「SFではよくある題材よね」


 星原は僕の言葉に鼻を鳴らして微笑した。


「ロボットと人間の愛は成立するのか、なんてね。実際、ロボットの姿が似れば似るほどこれは生物ではないと思うのが難しくなるとも言われているわ。でもそうなると、危険な作業や人間ではできないことをさせるために造られたロボットの意義って何なのかという話にもなるしね。『大事なロボットに危険なことはさせられない』なんて話になったら本末転倒だもの」

「うーん。でも、ロボットみたいな人の形をしたものが酷い扱いを受けているのを見て『何も感じなくなる』というのも恐ろしい気がするな」


 確かにロボットや人形やぬいぐるみに感情移入するのは不合理なことなのかもしれない。


 けれども、同時にその感覚はなくしてはいけない大切なものでもあるような気がするのだ。


「そうね。言ってみれば人間や動物の形をしたものに親近感を覚えたり、傷つけることを忌避する感覚。根源的な話をするなら同胞に対する共感覚でしょうね。……ピグマリオンコンプレックスという言葉もあるし、文学作品でも江戸川乱歩の小説に『人でなしの恋』というのがあるわ。人形に本気で恋をして、妻がいるのに夜な夜な蔵の中の人形と逢瀬をする男の話だけれど」


 同胞に関する共感覚。つまり殺しあって種族が滅んでしまわないように、人は遺伝子的に人間の形をしたものを攻撃することに抵抗を感じるようにできているのかもしれない。


「なるほど。つまり人形やぬいぐるみに親近感を覚えるのは種族を維持するための本能として誰の心にも多かれ少なかれあるものなんだな」


 そう考えると、高坂さんの気持ちも多少は理解を示すべきもののような気もする。


「まあ、正直手掛かりがあるかもわからないけれど、明日から高坂さんのぬいぐるみを探すのに本腰を入れてみるかな」

「……見つかると良いわね。それじゃあ勉強に戻りましょうか」

「ああ」


 僕は頷いて再び机の上の問題集と向き合うべく、筆記具を手に取る。


 しかし勉強に意識を向けながらも、ふと僕の頭を小さな疑問がかすめる。


 高坂さんはあのぬいぐるみの可愛らしさに愛情を抱いたがゆえに毎日のように見に行くような行動をとった。しかしあのぬいぐるみを持って行った犯人は一体どういう感情を投影したのだろう、と。

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